身長184cmの花嫁

まさかほんとにこんな事になるとは思わなかったなぁ、なんて、緊張した面持ちのまま乾がつぶやく。
言いだしっぺはアンタじゃないかと思いながら、それでもまあその気持ちは分からなくも無いけれどと思った。

「…ええと、いいかな」

伸びてきた手に頬を撫でられて俺は小さく頷いた。いつもと違う緊張感があるのは多分、これが自分たちだけの問題ではなくなってしまったからだということと、少しの背徳感。

「今更っスよ、それとも止めますか、やっぱり」

それも嫌だな、と鼻先で笑った乾に唇をふさがれた。



にんじんを短冊に切って、こんにゃくは細くきった真ん中へ切れ目を入れて開くようにねじっておく。鶏肉の皮は、脂を好まない彼のために全部綺麗に剥がしておいた。全部母に教わったことだ。料理好きの母が高じて、小さい頃から少しずつ家事を覚えた。
綺麗に片付いた広いキッチンで、週末には菓子を焼く母のとなりについて。表には出さないが、楽しそうに料理を教えてくれる母は、思えば女の子が欲しかったのだろうかと考えてしまうこともあっったが、邪推するのもはしたない気がして言葉に出したことは無い。ただ、…ただ父と母の望むようには「いいこ」であろうと努力はしてきたつもりだ。
子供には好きなことをさせる、との父、飛沫の方針で小さい頃から不自由を感じたことは無いが、これがせめても今自分に出来る恩返しなのではないかと思っていた。高校生活も残り数ヶ月を残し、推薦でこのまま大学までの切符も手に入れている、せめて冬休みの間くらい母の家事の肩代わりをしていても罰は当たらないだろう。

「海堂、買って来たよ塩と小麦粉。あとお茶はこれでよかったかな」

野菜を全てしたごしらえしたところで買い物から戻ってきた乾に袋を渡された。買い物から帰ってきたばかりの乾の手は、乾いていて冷たい。代謝がいいのですぐに暖かくなるのだけれど、さむいさむいなんていいながら、首元にぺったりと触れるものだからたまらない、おい、と低い声で怒って見せても乾はどこ吹く風だ。
紙袋からは甘くていい香りが漂っている。

「…これ」

手が脂で汚れているから、直接触れることが出来ずに視線を落とすと、ああ、と笑って乾が袋を開けた。中からは朽ち葉色の褪せた緑をまとったいびつな形の果物が一つ。

「洋梨、」
「そうラフランス、お勤め品で出てたから買ってきたんだ。海堂きらいだった?」
「いや」

じゃあ食べちゃおう。
誘いでもなんでもなく、シンプルに結論だけを述べて、キッチンに並ぶとシンクの扉から小さな果物ナイフを取り出した。大きな乾の手に握られると、それはおもちゃのように小さく頼りなく見える。

「その前に手、洗ってください」

脂で汚れた手で水道の蛇口をひねることが出来ずに、ひじで給水バーを上げて水を出しながらつぶやくと、はい、と子供のような素直な返事をした彼は微かに笑って見せた。

果物は少し熟しすぎていて、
舌の上でまるで溶ける様に崩れた。それでもみずみずしい香りと、少し香ばしいような不思議な味だ。甘さが舌に心地よい。
汁気が多いせいで、皮をむいた乾の手も、つまんだ指先もたちまち甘い汁にべたべたにされた。

「美味しい?」
「ん、甘くてうまい」

そう、よかった。と穏やかに笑う乾の手に取られた一片が口の中に消える。指先についたしずくを吸う唇を思わずぼんやりと見入っていると、どうしたの?と眼鏡越しの目がこちらを見下ろしてくる。

「…べつに、なんでも」

思わず反射的に目を逸らしてしまうと、果汁で汚れていないほうの手であごを掬い上げられた。ぽたり、ぽたりと締め切れなかった蛇口からこぼれる水の音が煮立つ鍋の音に混じって妙に鮮やかに鼓膜をたたく。

「…なに、」
「どうして目を逸らすの?」

どうしてって、そんなこと、アンタに見とれていたからだなんて。
言えるはずも無く。

「だから別になんでもな」

かいどう。
眼鏡ごしに覗き込まれた視線に落ち着かずに視線を泳がせていると、名前を呼ばれて俺はひとたまりも無くなる。この声がいけない、低くて、耳の奥をくすぐられるような。

「キスしていい?」

低く湿った声が耳の奥を打つ。断ることなど出来るはずも無い。
肯定の代わりに、ふてくされたまま顔を上げれば、降りてきた唇がゆっくりと重なった。どちらのものともつかぬ、果実のさわやかな香りがする。
ぺろりと唇を舐めた舌を残して離れた顔に、一言。

「ごちそうさま」

乾がこんな甘ったるい台詞を吐くだなんて、誰が想像できただろうか。俺だって予想外だ、と、きっとみっともないほど真っ赤に染まっているであろう顔を逸らして、捨て台詞のように「馬鹿じゃねーの」とつぶやいた。
乾は、満足そうに笑うと上機嫌な顔のまま食卓に皿を出している。





「ただいま薫、乾さんも悪かったわね、ごめんなさい、せっかくのお休みだったのに」

玄関先で乾は母を迎えている。
出張になった父へとスーツの代えを届けに行っていたらしい。宅配で送ればいいのにとは思うのだが、その辺が母が母であるゆえの行動なのだろう。子供の自分から見ても、母は父に「ゾッコン」だ。

「良いんですよ、こちらこそあつかましくて」

なんて、乾は白々しい台詞を吐きながら母から受け取ったコートを玄関先のコートかけにかけている。手元ではちょうどけんちん汁が仕上がり、焼いた鮭と白いご飯を出せば夕食がそろう算段だ。
ほうれん草の胡麻和えに玉こんにゃくという、母の作る夕食に比べてしまってはえらく簡素な品揃えだが、仕方無いだろう。

「おかえり」

キッチンに立ったままリビングに入ってきた母を迎えれば、ただいまと幸せそうな笑みを浮かべた彼女に思わず笑ってしまう。父のせいだ。
出かけていくときと、こんなにも表情が違うとは驚きである。

「飯できてるから、それとも外で食べてきた?」
「いいえ、お父さんとは昼食だけですよ。いただくわ。葉末はお友達のお家にお泊りなのね。じゃあご飯にしましょう」

葉末は今朝から仲のいい友達の家に飛び出して行った。冬休みのため泊りがけで遊びに行っているようだ。
綺麗に整えられた食卓に招かれて、母は上機嫌そうに見える。

「お父さん来週には帰ってこられるそうよ」
「そ、か、よかった」
「そうね、よかったわ」

うふふ、と笑った母がおわんからけんちんを飲んでいる。馬鹿みたいだが、父が出かけてからの母は偉く元気が無く、どこか途方に暮れているようで心配もしたものだ。
それほどぞっこんだ、べったりなのだ、と思う。見ていて恥ずかしくなるほどには。

「あら美味しい。おばあちゃんの味に似ているわ」
「海堂は」

本当に美味しそうにご飯を食べる母に、やや気恥ずかしくなりながらも茶碗に盛った白飯を口に運ぶ。新米は、ネットでの評判が気になって買ってみたものだ。休日に、パソコンの前でだらだらしながら買い物をする癖がついてしまったのは多分、乾のせい。隣でさも旨そうに鮭をほお張っている横顔にため息を吐きながら行儀わるく箸を咥える。

「海堂はいいお嫁さんになれそうだ」


なにを

何を言ってるんだこの馬鹿は。


思わず目をむいたまま口に入れたままの白飯を飲み込んで、咳き込む。
あまりにもストレートに吐き出された言葉に、怒ることも忘れて乾を見上げると、ああそうかと罰の悪そうな顔をして乾がごめんと言った。何がごめんだ。

「お嫁さんっていうか主夫か、」

そういう問題だろうか。
言い直せばいいというものでもないだろうに、母はそんな乾を見てそうねぇ、と首をかしげた。

「薫は家事ならそつなくこなすわね、でもだめよ乾さん、うちの長男ですもの。お嫁には出せないわ」
「母さん…!」
「あ、海堂って家だと『お母さん』なんだね」

しまった、と思ったときには時すでに遅しである。この二人は、気が合うのか波長が合うのか分からないが、タッグを組まれると手に負えない。

「そうなの?」
「外だと、おふくろって」

あらあらうふふ、と母がおっとり笑ったところで、横に座る乾の横腹にひじを叩き込んでやる…もちろん、机の下で、だ。おフ、と低い声とともにむせこんだりしながらも、乾はやけに楽しそうだ。

「そうね、薫をお嫁に出すことは出来ないけれど、乾さんがお嫁に来てくれれば解決ね」

ああ、そうだな、アンタが嫁に

「…俺がですか」

冗談とも本気ともつかないような顔で母が笑うのを見て、乾も一瞬動きを止める。無論、自分もだ。このひとは、冗談のような顔をして本気を言うし、まじめ腐った顔で冗談を言う。本音など、たかだか二十年ほどしか生きていない自分が探れるはずも無く。
冗談よ、と母の口からこぼれるのを期待していたのだが、彼女はそのまま食事を終えてしまった。ありがとう、美味しかったわ。なんて。何にも無いように笑いながら。
彼女がどこまで感づいているのかは分からないが、自分と乾の関係がただの「友達」で終わるようなものではないということは、おそらく分かっているのだろう。勘の鋭いひとだ、それがレンアイ感情だとは思わないにしろ、と食器を片付けながら考える。母は長旅で疲れたのか、お先に失礼するわとあっさり寝室へとひっこんでしまった。





ふたりきりには広すぎるダイニングキッチンには、ぬるま湯が泡を洗い流す音と、時計の音が妙に明晰に鼓膜を打つ。饒舌なはずの乾が黙り込むと、本当に静かだ。静か過ぎて、知らない場所にいるような錯覚すら覚える。

「お嫁さんだって、」

全ての食器をシンクの水切り籠に立てかけると、ぽつりと乾が口を開いた。お嫁さんだってさ、と冗談めかして肩をすくめている。自嘲のはずが、酷く鋭く言葉に切り裂かれた気がした。
蛇口から流れる水が止まると、静寂が押し寄せてくる。なにかもっとしゃべれよ、と思った。こんなときに限って乾の口数は少ない。

「…海堂が旦那さん?」
「馬鹿いわねーでクダサイ」

海堂貞治だなんて、ねぇ。
そういいながら笑う乾の顔はいつものものだ。

「結婚しようか海堂」

いつもの顔でそんなことを言うから、思わず唖然として乾を仰げば、どうしたのと聞かれて手を握られる。しんと静まり返ったキッチン、換気扇のうなる音と冷えた床と、心臓の音がうるさいくらいで。何言ってるんだと悪態をつくこともできずに手をつかまれたまま棒立ちになる。水に晒されたせいで冷たい指。悴んだてのひらを包まれて、互いに残ったわずかなぬくもりを与え合う。

「出来るわけねーだろ…男同士でどう結婚しろって言うんスか」
「…どう、うーん、どう結婚しようか。俺が海堂貞治になって、海堂がだんな様で、そしたら名前で呼ばなきゃ変だよな、薫って」
「ばっ」

かじゃねーの!
思わず口からこぼれれば、乾はどうして?と首をかしげる。

「だって穂積さんだっていいって言ってくれたじゃないか。俺が嫁入りすれば問題ないって」
「そういう問題じゃ」
「じゃあ、どういう問題?」

名前で呼ぶな、と思った。名前なんかで呼ばれたら、おかしくなってしまいそうだ。

「どういうって…」
「薫」
「だから名前で呼ぶな、」
「かおる」

泣きそうだ。
じっと見下ろしてくる視線に耐え切れずに目を逸らせば、こっちみて、と伸びてきた手で頬を包まれ、視線を引きあわされる。眼鏡の向こう側で意外と色素の薄い、光に弱そうな目が揺れていた。

「…結婚してください」

馬鹿みたいだ、と顔を掴まれて視線も逸らせずに、冷たい手がどんどん熱した頬の熱を吸い込んでいく。何も言えずに、酸欠の金魚みたいに口をぱくつかせている自分をじっと見たままで、乾は静かな声で繰り返した。結婚してください。低い声が、ゆっくりと耳の中に吸い込まれて脳の深いところに蓄積されていく。アルコールみたいに、じんわりと。
声に、
縛られる、動けなくなる。

「せん、…せんぱ、い」
「先輩は変だよ」

どうしろと言うのだろうか、唇でこめかみをくすぐられて肩をすくめてみせると、手を解かれて抱きしめられた。逃げようにも手のひらに背中を押さえられてもがくことも出来ない。

「い…乾、さん」
「俺が奥さんになったら海堂姓でしょ?」

震える声で名前を呼べば、下で呼んで、と甘えた声。思わずにらんでやっても相変わらず楽しそうな視線が落ちてきただけだった。

「貞治さん、」

一息飲んで名前を呼べば、背中に回った腕に力がこもる。苦しい、と胸を押すと僅かに頬を染めた乾の顔が覗いた。

「やばいね、今のけっこうキた」
「なっ、にバカな事言ってねーで…!」

もう一回呼んで、とせがまれてシンクを背に逃げ場を失う。犬に、大きな犬に甘えられて飛び掛られているみたいだ。抱きしめられたまま体を掬い上げられて腰がシンクのふちに乗り上げる。つめたく冷えた硬い淵に乗り上げて、バランスを失った体は否応にも乾の支えを必要として、俺は情けなく胸にしがみついた。

「ねえ、もう一回」

乾を見下ろす形になって、すぐ目の前の視線に戸惑う。甘えた声。柔らかな視線。
そんな顔、反則だ。

「…さ…だはるさん」
「薫」

すねた声も役に立たない。

布団、いこうか、

手を引かれてシンクから降り、バカとつぶやいてみても乾は嬉しそうに笑っただけだった。




「普通、こういうのは役割が逆なんじゃないスか」

自室に並べて敷いた自分用の布団と、来客用の布団が一組ずつ。そのうち自分の布団の上で乾にあちこちをまさぐられながら不平を洩らすとどうしてと首を傾げられる。この状況でどうしても何もあったものだろうか。

「だから、アンタが、嫁なんだろ」

そうだけど、と言いながらも乾の手は止まらない。乾いた手のひらがシャツの中に入り込んでくすぐるので、体をよじればいたずらのように乳首を掠めていく。じわり、ともどかしい刺激が腰を徐々に重くしていった。

「普通、嫁が抱かれるほうで…」
「…うーん、」

困ったように鼻を鳴らすしぐさが犬じみている。海堂は俺を抱きたい?と手を止めて覗き込んでくる目は、眼鏡がないせいか少し潤んで見えた。そんなの、抱きたいに決まってるじゃないか、男なんだからと思ってみても果たして自分が彼を抱く姿は想像が出来ない。

「そりゃ、まあ…男ですから」
「俺も男だしなぁ…、俺は海堂を抱きたいよ、海堂の中でいきたい」

ぐっと薄手のパンツ越しに手のひらに臀部を掴まれて声を殺す。跳ねそうになる腰を落ち着かせて、もの言いたげににらんでやってもどこ吹く風だ。こういうときの乾は何を言っても無駄で、いつも折れて好きにさせてやるしかないのだが。それはそれで癪に障る。第一、嫁だというのは乾の方だというのに!

「ここ、」

ぴたりと大きな手のひらが腹部に触れて、乾を見上げれば、薄い唇を楽しそうにゆがめた顔がのぞきこんでくる。間接照明をつけているせいで、オレンジの陰が落ちた色の薄い皮膚。

「海堂のなか、どうなってるか知らないだろ」

そりゃ自分の体の中がどうなってるかだなんて知る由も無い。腹部に触れた手のひらは、皮膚の中の何かを探るようにゆっくりと動き、パンツの淵へとたどり着く。フロントホックの外されたジーンズをつかまれ、腰を上げて、と視線だけで訴えられ、自然と腰が持ち上がる。するんと抵抗無く脱がされたジーンズは無造作に布団脇へと放り投げられ、情けない格好のまま視線に晒される。

「この中、とろとろで、奥のほう擦るみたいにして突くと、もっともっとって入り口がひくつくんだよ」

乾の声は毒だ、と思う。
耳の中へ吹き込まれる言葉は、もう意味を成さずにただ意識と感覚だけを揺さぶっていく。熱に浮かされたような声は、僅かにうわずった息遣いとともに頭の中に直接吹き込まれて理性を吹き飛ばした。長く乾いた指が緊張して硬く閉じた蕾を探し当てて、からかうようにつつく。
自力では濡れることの無いそこは、乾の与える刺激に情けなく震えた。

「っ、ンなこと…」

何を言いたかったのか分からない自分の声は、もはや自分ではコントロールできずに、ただの音として唇から吐き出される。なめて、と唇に押し当てられた指先を反射的に唇の中へと導いた。夕食前に食べた洋ナシの甘さはとっくに失ってしまっていたけれど、乾いた指が口内の弾力を楽しむかのように舌を、歯茎をなぞっていく。口の中をかき回されて、唇からあふれた唾液があごへと伝い落ちた。

「やらしい顔してる」

指が口内から引き抜かれて、思わず名残惜しげに音を立てて指を吸うと、低く笑った乾に濡れていないほうの手で頭を撫でられる。乾が好きだと言うから、髪の手入れに時間をかけるようになった。海堂の髪の毛、つるつるで気持ちいいね。…それは、アンタが望むから。

「っあ、!っ…まっ…」

頭を撫でる手が心地よくてぼんやりしていると、背中に回りこんだ指が抵抗無く体の中に飲み込まれていく。さっき自分で舐めた指だ。ぬ、ずる、とゆっくり、探るように入り口へと押し込まれる感覚に、痺れるような刺激が走る。入り口付近を探るように動いていた指は、抵抗が緩んだのをいいことに二本に増えて内壁を擦り上げた。

「ほら、とろとろ。やわらかくて熱いね、奥のほうもぴくぴくしてるの、わかる?」

耳元に声を吹き込まれて、一気に下半身へと血が集まるのを感じた。
だめ、
だめだ、
乾の落とした視線の先で、情けなくはりつめた自身が揺れて、思わず目を逸らす。

「薫…」

やめてくれ、と声にならない悲鳴を上げた。触れられても居ないのに、声が吹き込まれるたびにどんどん体温が上がって、痛いほどに熱を帯びてくる。そんな声で呼ぶから、あんたが、

「せんぱ…っ」

泣きそうになって懇願すれば、優しく残酷な声で違うだろとあごを持ち上げられた。

「名前、ちゃんと呼んで」

ぐっと腰に埋まった指を体の中で開かれて、流れ込んだ冷たい空気に悲鳴が上がる。自分ではどうしようもできない感覚に這い寄られて、助けを求めるようにしがみついた。

「名前」
「…さ、…貞治、」

ごっこ遊びだ、そんなことは分かっている。
それでも、と僅かな期待を込めて瞼を開けばすぐ鼻先の触れる距離で乾が小さく、笑った。体に押し込まれた指が、別の生き物か何かのように奥へ奥へとねじ込まれて、一瞬の安堵もどこかへ消し飛び、つなぎとめるために乾の胸へときつくしがみついた。

「そう、いい子だ」
「っひ、やだっ、ぁ、やぁっ、アッ…!」

勢いよく、乱暴に二本の指で体の中を引っ掻き回されて腰が跳ねる。ぐちゅ、ぬち、と耳をふさぎたくても塞げずに、音が容赦なく羞恥心を煽って追い立てられ、一瞬の硬直の後で腹部にあっけなく白濁が散った。
生暖かい液体が腹部をすべるのが気持ち悪くて、顔を覆ってうめいているとテッシュペーパーが手際よくそれを拭い去っていく。怒った?と笑みを含んだ声が振ってきて、腕の間から覗けば目を細めた乾が手を伸ばして頬を撫でた。

「…興奮した?」

いつもより早いね、とわざわざ声に出すのはいかがなものかと思う。

「俺は興奮した。すごく」
「興奮て、あんたまだ何もしてねーじゃな、」

そうだけど、と太ももに押し付けられた半身は布越しに分かるほどの熱を帯びていて、質量をもって主張している。思わず黙り込むと、苦笑した乾に頬を撫でられた。

「…あきれたって顔だ」

声色が熱を帯びずに消えていく。やめようか、と手を離したのを思わず引き止めて首を振った。

「いやだ」
「海堂?」
「いや、だ」

バカみたいに涙が滲むのを自分ではどうすることも出来ずにすがり付けば、頭を抱えられて胸元へと押し付けられる。どくどくと頬に触れる肌からは、うるさいほどの鼓動が聞こえていた。

「…あんまりそういう顔で煽るんじゃないよ」
「なに…、」

やわらかく苦笑したあとに、額におちてきた唇は酷く優しい。
泣くのを必死に堪えようと、顔を真っ赤にしたままあたふたする自分は滑稽なものだっただろう。鼻をすすり上げていると、指先で目元を掬い上げられて耳を噛まれた。

「どうにかしてやりたくなるから」

そのまま耳元へ吹き込まれる声に腰が抜ける。反則だ、と目で訴えるも両脇を抱え上げられて体を起こされただけだった。
手をとると、ゆっくりと足の間に導かれる。手のひらに触れた熱は、はっきりとした意思を持ってそこにある。思わずつられて体温を上げた俺は、頭上から降ってきた笑い声に動きを止めた。

「出来る?」

伺うような聞き方のくせに、それは強制力をもって体を縛る。頷いてみせると乾は満足そうにわらってベルトを緩めた。手のひらに、直接主張をする熱を握りこんでやると、喉を鳴らして体が強張る。

「…そう、いつもみたいに」

ゆっくりといいところを探すみたいに、震える雄の裏をくすぐって先端に至る。指先で鈴口を擦れば、乾は喉を鳴らして息を呑んだ。反応を返すのが嬉しくて、もっと乱してやりたくて、布団へ腕を突くと体をかがめて足の間へ顔を。

「海、堂?」
「っン…」

口の中へ、むっとする雄の匂いが広がってむせそうになるのを堪え、舌先で指でなぞった場所をたどっていく。びく、と触れた足が強張って乾に頭を軽く押された。

「お前、いつの間にこんなこと覚えたの、」

よく言うよ、と思う。
アンタが教えたくせに。
自分の体で、こんなふうに乾が喜ぶだなんて知らなかった。こんなふうに、甘えた声で自分の名前をよぶなんて、誰が想像出来ただろうか。口の中の熱のせいでろくに返事も出来ずにゆるく首を振れば、喉を鳴らした乾に髪を軽く引かれる。だめ、海堂、出る、

「…薫」

ぐいっと髪を引かれて微かな痛みに眉を寄せながら顔を上げると、眼前に抜き出された乾が見え、あ、と声を上げる間も無く顔へと温い液体が降りかかった。文句を言う隙はなく、あわてた乾にタオルで顔をぬぐわれる。

「うわっ、ごめん…!」

射精の量などAVではないのでたかが知れているが、温い液体はあごを伝って首筋にてんてんと白い筋を残す。唇をぬぐいながら目を開けば、焦りなのか何なのか耳を赤くした乾の姿。あんまり気持ちいいから、と言い訳じみたことをぼそぼそと口にしている。今更なんだと言うのだろうか、すっかり自分の布団は乱れて、褥の呈だ。何も言わずに乾の顔を引き寄せると、押し付けるようにしてキスをした。
乾の薄い唇は、体温は高いくせにそこだけ何か別のもので作られたかのようにひんやりとしている。自分の熱でぬくもらないものだろうかと合わせていた唇は、やがて舌で割り開かれてしっかりと絡まりあっていた。

「ン、んん…ふ」

息を上手く継げずに鼻を鳴らすと、ゆっくりと離れる唇が糸を引く。いつまでたってもキスだけは慣れないねと笑われたキスで。仕方ないだろうと思った。…こんなにも目の前でアンタを見て、上手く息を継げというほうが無理なのだ。

「気持ちよかった」

ノーズキスをしたまま乾が笑えば、素直に嬉しくなる。自分の体で、乾が喜んでくれるのならそれでいい。ベッドの中で、まるで自分が娼婦か何かになったような感覚を覚えて肩を震わせる。喜んでくれるのが素直に嬉しいだなんて、こんな

「お前も、よくならないと」
「なに、っ…ぁ」

乾に触れられているところから溶けてなくなってしまいそうだ。
熱のこもった手のひらで撫でられるだけで、達してしまいそうになる。大きな手のひらは足の間で痛いほどに張り詰めていた芯へとたどりつき、無造作な手つきで幾度かしごき上げられた。

「俺も舐めたいな、海堂の」

何を、
いってるんだアンタは、と口を開きかけたときには既に乾の口内へと飲み込まれていて、異様な光景に目を逸らせずに声を殺すのに精一杯だった。足の間にいつもは見下ろすことなど無い頭が揺れていて、時折低くうめくような声。与えられる刺激よりも、視覚から与えられる興奮のせいで何も考えることが出来ない。
数度しごかれ、先を強く吸われただけであっけなく腰から力が抜けて、含まれた唇へと精があふれた。

「っ…んぁ、」
「海堂、ジェルとかおいてたり…」
「するわけ、ねーでしょうが、」

だよねぇ、と笑った乾の手が蕾へと伸びる。先ほど散々蹂躙されたそこは、自分では見えないが浅ましく震えて乾を誘っているのだろう。見えなくてもよく分かる、これは自分の体が乾を絡め取る蛇だから。と自嘲気味に笑みがこぼれる。がんじがらめにして身動きをとれなくして、頭からひとのみ、だ。

「…つかうねこれ」

ぬるり、と熱を伴って差し込まれた指を伝い、先ほど自分が吐き出した精を潤滑剤代わりに乾の指先が挿入ってくる。一度ほぐされた裏庭は、すんなりとそれを飲み込んで奥へと誘う。貪欲に熱を欲し、乾を欲し、なにもかもを飲み込もうとして。

「い、から…」

何度も入念に体の中を探りながら広げていく乾に耐え切れなくなって音を上げるのは自分のほうだ。何度も指の腹で広げるように内壁を擦られ、下半身はすっかり自分のものではない何かに成り果てている。ただ乾の与える感覚のいちいちに身がまえ、何かを欲し、からっぽの一片を埋めようとするかのごとく指を咥えて離さない。

「いいから、もう…」

限界を訴えて腕を掴めば、例にして例のごとく覗き込んでくる乾が無言で先を促す。
抵抗しても無駄なのだ。ほれた弱みと言うやつなのだろう、線が細いくせに、がっしりとした骨の感触を、掴んだ手首に感じながら唇を噛む。抱いてください、その一言が言えずに。

「唇、噛まない」

躊躇ったまま震えていると、掴んだままの手でかみ締めた唇を撫でられ、枷を解かれたようにそれが開く。指先は唇の中にまで入り込んで、ゆっくりと舌を確かめるように触れていく。

「いれて、ください」
「俺も、早く海堂の中、入りたい」

強烈だ、と眩暈がした。
たったそれだけで、イってしまいそうになるなんて。
はやく、と握った手に力を込めれば、

「仰せの通りに、旦那様」

笑った乾は薬指へと唇を落とした。






溺れているみたいだ。
下半身を溶かされてしまいそうな熱に、息を殺しながら目の前で浅い息にあえいでいる体を見下ろす。
均整の取れた体は手足が長く、頭が小さい。身長の割りに長身に見られることが多いのは、きっとそのせいなのだろう。散々泣かせた声は掠れ、大きな目にはこぼれそうにもりあがった透明なしずくが二つ。上手く呼吸できずにすがりつく指が、自分の体に疵を残していくが構わない。
少し腰を揺らしてやれば、つながりはぎゅうぎゅうときつく自分を咥え込んで離さない。名前を呼んでやるだけで、びくりと震える体には倒錯した感情すら覚えてしまいそうで。

「…あっあ、はっ…せんぱっ、」
「名前」
「っさ…あ、あう、」

ろれつも怪しいものである。
きつく食い込む指と、熱い体の中だけが唯一現実につなぎとめられているかのような心もとない行為。激しさとは裏腹に、目の前の海堂はどこか現実離れしている。
結婚、だなんて。どうしてあんなことを言い出したのか分からないが、海堂の母の言う「嫁に来る」事がこういうことならば、体がもたないなと苦笑した。行為そのものに対してではない、毎日こんなにも海堂と顔をつき合わせていたら、自分はきっと息苦しさに溺れ死んでしまうだろう。
辛いのではない、むしろその逆である。

「は、るっ」

濡れて赤く熟れた唇に名前を紡がれて、背中がぞくりと震えた。

「薫、もう一回、呼んで…名前」

つながった体、と汗と、途切れ途切れの吐息と、泣き声のような海堂の声と。

はる、

「っ…」
「あ、ちょっ…」

はる、舌ったらずにもつれた声で名前を呼ばれて腰が跳ねる。焦ったような海堂に、ごめんと内心で謝ると、重ねるだけだった腰をぶつけるように奥へとねじ込んだ。
性急にもたらされた刺激に溺れて、海堂の爪が深く食い込む。伸びきるほどにいっぱいにくわえ込んだ蕾は、粘膜の擦れる音を立てて柔らかな肉を引きつらせる。互いの皮膚の擦れる音と、もはや泣き声になった海堂の悲鳴と、己の洩らす吐息と、なまえ、
耳に噛み付きながら名前を呼ぶだけで、海堂の体はかわいそうなほど震える。

「中、中に出して、いい?」

ゴムをしてない、と気づいたときには既に遅く。あと一息のところまで張り詰めた緊張感の元、抱きしめた体を揺さぶりながら許しを請えば、海堂ははやく、と掠れた声で鳴いた。
息が止まる、溺れる、と思った。
きつく抱き合ったまま、互いに一瞬心拍が重なるような奇妙な感覚。沖に流されていくときの不安とよく似ている。自分を食んだ蕾がひきつり、耐え切れずにそのまま中へと白濁とした精を流し込めば、のけぞった海堂もまた腹部へ薄くなった蜜をこぼして力尽きる。汗だくになって落ちていく体を抱きとめて、しばらくはこめかみに唇を寄せたままじっと互いに息を潜めあう。
嵐をやり過ごす二匹の獣みたいに。

「こういうのも、初夜って言うのかな」

再び急に静寂の落ちてきた部屋の中でつぶやけば、くたくたになった海堂が顔を上げて、そうなんじゃないスか、と掠れた声を上げた。散々声を絞っていたせいで、いつもよりも乾いた声。涙の痕も痛々しい目は少し赤みを帯びて、酷く扇情的だ。

「アンタが」

長く息を吐いて呼吸を整えた海堂が顔を上げる。伸びてきた腕に頭を抱えられて面食らっていると、眠そうな声で名前を呼ばれた。

「…アンタが嫁だろうとなんだろうと…そんなの関係ないです。俺は、」

ちゃんと、好きです
と、頭を抑えられて表情までは伺えなかったけれど、照れたような声色に心臓が跳ねる。海堂、やっぱり俺、

「…うん、俺もちゃんと好きだよ海堂。」

やっぱり俺、お前のお嫁さんでいいなぁ、なんて。
抱きしめられたまま小さく笑う。

「もし俺が嫁入りしても、専業主婦はしないでちゃんと働くから安心してね」
「何言ってんスか」
「…だって海堂に負担はかけたくないからね。エンゲージリングはシンプルなのがいいかな、俺、ウエディングドレスに合うと思う?」

絡めた指を、薬指に口付けながら笑って見せれば、海堂からも小さな笑みが漏れる。無いと分かっていても、
それでもいいじゃないか。夢を見るくらい。
俺は何度でも海堂に恋をするよ、と握った手のひらを頬に当てながら目を閉じる。かっこよくて、かわいくて、照れ屋で優しい、俺の旦那様?

「かおる」

ごっこ遊びじゃないよ、と名前を呼んで抱き合えば「ハイ」と震える声で頷いた海堂がしっかりと抱き返してきた。

「遊びなんかで俺は男と付き合いもできないし、セックスなんて出来ない」

敷かれた客用布団は綺麗に整えられたまま、乱れた海堂の布団に二人でもぐりこむ。先ほどの情事のかけらは微塵ものこっていない、ただ互いのぬくもりを分け合うためだけに。
それから交わされた言葉ははっきりしない、ただ、
ただ眠る間際に名前を呼ばれたような気がして、つないだ手をしっかりと握り合った。

ごっこ遊びじゃない、
本当に。

本当に、俺の自慢の旦那様だよ。
花嫁も悪いものじゃないかもしれない、と。
幸せそうに眠る横顔を見つめて眠りに落ちていく。朝起きて、一番にそのぬくもりと声を独り占めできるのだ。

「薫」
「…ハル、」


冬の匂いがする。
ただの形の無い約束も、互いが思えば形を成すだろう。
今はただ、互いの与えるぬくもりが、酷く心地よく、幸せなものだった。

作成:2010年12月30日
最終更新:2016年12月11日
2010年の冬コミで出した乾海無料配布エロ本をサルベージ。
攻が花嫁ってシチュエーション好きです。

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