明星

あかぼし

左下、上、右下
まどろみの中でうつろいで居ると、むき出しの背中に触れるものがある。それはゆっくりと場所を代え、何かの形を彩っているようだった。
くすぐったい、そう声にもれそうになるのを耐えて枕に顔をうずめたまま指の好きにさせてやる。やがてまたそれが左下に戻ってくると、背中から指の感触が無くなった。
決して上等とは言えない硬いベッドが音を立て、人一人分の重量がふわりと浮き立つ。裸足のあなうらが床をひたひたと遠ざかる音、ぶざまに床を擦ったりはしない姿勢の良い歩き方だというのが音だけでも分かる。いつだったか、その姿勢が好きだとほめた後姿が、まだ夢と現の間にある脳裏にぼんやりと浮かんで消えた。
一人分の熱を失ったベッドは数十秒の間にも冷え、分厚い壁に閉ざされているはずの建物の外からは、冷たい雨の気配がする。
…今は何時だろう。
さして広くも無い部屋は静まり返っている。
音を立てるのははだしの足と、パタンと冷蔵庫を閉める音。部屋にすえつけられた小さな冷蔵庫は、せいぜい80Lサイズといったところだろう。飲み物を入れるだけで精一杯だ。ぱきぱきとペットボトルの封を切る音が響く。確か冷蔵庫に入れてあったペットボトルはミネラルウォーターとコークくらいだった筈、皿にいえばミネラルウォーターは自分のものだったはず、などと考えているとベッドにぎしりと体重がかけられた。
「…星」
眠気のせいか、酷く不機嫌な声が出る。雨がふっているのに部屋が乾ききっているせいもあるのだろうが、声もひび割れて、自分でも何を言ったのか良く分からないほどだった。
「起きてたのか」
頭上から降る声が甘い。乾燥のせいだけではない声のひび割れが、自分とは違ってその声に甘さを含ませている。
「さっきな」
指が背中に星を書いたときに。ちょうど心臓の裏側、まるで刻み付けるような仕草だった。
声が笑う気配がして、シーツの中に熱が戻ってくる。薄闇に溶けたペットボトルのシルエットは、案の定自分のミネラルウォーターのものだ。自分のベッドへ戻れと言いかけて、きっと冷え切っているであろうもう一方のシーツを思い浮かべると、口に出すのははばかられた。
もともと二人用の体重を受け止めるために出来ていないベッドは、大男二人を乗せて不満そうに声を上げる。それもいつももぐりこんでくるのは相手の方のせいで、酷い目にあうのは自分のベッドばかりだ。
「お前、自分の飲めよな…それ俺が買ってきたのだぞ」
枕にあごをうずめたままくぐもった声を洩らすと、こんな喉でコークなんか飲めるかよと悪びれもせずに彼が言う。そんな喉にした責任が少なからず自分にあるとでも言いたげな声だ。…あながち間違っても居ないので否定も出来ずにため息を吐く。
数時間前まで、同じベッドで声を押し殺すようにしながら散々に泣き喚いていたのは彼で。そうさせていたのは自分である。
シーツを少し持ち上げてやれば、外気に冷えた足が触れた。なんともあられもない格好で部屋を歩き回っていたものだ。
「正解」
「…何が」
「さっきの『星』ってやつ、お前の背中に描いたの」
覚醒の間のまどろみが見せた幻でも夢でもないらしい、ああ、と気の抜けた返事を返すと、彼はつまらなそうに鼻を鳴らした。キャップを絞めなおしたペットボトルは無造作にベッドサイドに投げられる。
「ああ、ってなんだよああ、って。それだけ?」
先を促すような声だ。呆れたままもしばらく考え、わざとらしく相槌を打ってやる。
「ああ…ええと、そうだ。そういやお前のそれ、何で赤なんだ?まさかあれか、ジオンの赤い彗星にもじってとかか?」
そんなわけあるかよ、と不服そうな声とともに脛を踵で蹴り飛ばされる。ベッドはいい加減にしてくれとでも言いたげに一度大きくギシリと鳴いた。この反応からするに、散々言われつくされた言葉なのだろう。赤い星をいただいていれば無理も無い。
しかし話を切れば先を促され、返事をすれば蹴飛ばされ、お前は女子か。と思わずカクリコンは頭を抱えた。
「女子か、お前は」
「誰がだ!」
思うだけが思わず言葉に出ていたらしい。シーツの中で二度目の足蹴を食らってうめく。力は女子で片付けるほど甘いものではなかったようだ。
とはいえ、かの伝説とまで言われたジオンの赤い彗星、敵とはいえ彼にあこがれてパイロットを目指す若者は少なくない。胸に赤星を掲げていれば無理も無いだろう。
赤く塗装した機体は、エースだからこそ敵にその恐怖と威圧を与えることが出来るというのはまだ人類が地球だけにへばりついて暮らしていた頃の歴史小説とさほど変わりは無かった。
戦場で赤い星が瞬くたび、味方はどれだけ勇気付けられ、敵はどれだけ恐怖したことだろう。かつて一年戦争と言われた戦いが人類を二分していたとき、自分はまだ士官学校に通うただの学生だった。さほど歳も離れていない赤いエースパイロットが戦場をそれこそ彗星のように駆け巡っていたというのは、なんだか不思議な思いだ。
「お前さそりの火ってしらねぇの」
耳を打つ、ベッドの中の声が甘い。とそう思うのは自分の錯覚なのだろうかとカクリコンは思う。まどろみの中をさまよっていたはずの意識は、もうすっかり覚醒へと向かっていた。狭いベッドの中で、暖房を止められた部屋の中で、声を潜めてキスもセックスも覚えた。
まるでハイスクールの学生みたいに。
壁が厚く作られているとはいえ、貸し与えられた部屋は防音でもなんでもない。それに、
(まあスリルがあっていいってね)
彼には恋人が居る。無論女だ。
それでも友人であり、また腕を競い合うライバルでもあるこのやかましい男と意図せず覚えてしまったセックスにはそれなりの楽しみを見出していた。女を抱くのとは違う、駆け引きや予感めいたものなど、ましてあまったるい空気などもない、ただ本能のままのような野蛮な行為だ。
それがたまらなく気持ち良いと思ってしまったのは…相性の問題なのかもしれなかったが。
そんな事を洩らしでもしたら、模擬戦でコックピットごと叩き潰されるかもしれない。
「さそりの火?さそりってあの虫のさそりか?」
「虫じゃねーよ、無脊椎動物。お前そんな事もしらないのか」
馬鹿にするというよりは、ただ単純に感想としての言葉だというのは長い付き合いで分かっていたが、彼の言い回しはいちいち癇に障ることが多い。それが回りに敵を作りやすいというのも、彼自身にはさほど悪気は無いというのも分かっていたが。
案の定彼は背中越しに声を殺して笑ったきり、その言葉には追随してこなかった。数年後、彼のその性格が、たった些細な一言がどれだけ彼を狂わせるかだなんて知らずに。
「で、そのさそりがどうしたってお前の星と関係してくるんだって」
満足げな笑みが背中に触れる。カクリコンは観念して不平を溢す狭いベッドの上で向きを変え、暗闇で笑うジェリドへと向き直った。薄闇に溶けて尚、今はまくらに広がった金糸が眩しい。みどりいろの目が猫のように光った。
「俺様が昔話をしてやろう。」
えへんとわざとらしく胸を逸らす様はまるで子供だ。はいはいといなして耳を傾けてやると、出来すぎのようにジェリドは「むかしむかし」から始まる話を滔々と語り始めた。

昔、とある砂漠に一匹のさそりが住んでいました。
そのさそりは小さな虫や生き物を殺し、食べ、自らの糧として生きてきましたが、あるとき自分よりも大きないたちに狙われ、命からがら逃げ出すことにします。
しかしさそりといたち、最初から勝負は決まっていたようなもの、ついにおいつめられたさそりはうっかり足を踏み外して井戸の中へと落ちてしまいました。
遠くなるまるい空を見上げて彼は気づきました。
自分もまた多くの命を奪ってきたのだ、どうしておとなしくいたちに自分の命をくれてやらなかったのだろう。こんな無駄な死に方をするくらいなら、自分を糧にしていたちを生かしてやれればよかった。
ああ、神様。
どうかお願いです、おろかな私をお許しください。願わくばもし次に生まれ変われるのなら、多くのものを救ってやれる何かに生まれたい。
やがてさそりは目を覚ましましたが、そこで見たのは天上で赤く燃える炎となって、多くの生き物の道しるべとなった自分の姿でした。

「こうしてさそりの火は今の今まで夏の空で赤く燃える目印としてだな・・・」
得意げに話したその物語には聞き覚えがあった。
遠く昔のことを思い出すのも限界があるが、たしか学生時代に読んだ童話だった、だろうか。ああ、そうか。
「おまえそれ銀河鉄道の夜、だろうが。それくらいは俺も知ってる。…ああ、それ、アンタレスか、さそりの心臓、紅い星」
ジェリドのノーマルスーツの左胸に描かれたのは赤い星。少しいびつにゆがんだシルエットを思い出しながら呟けば彼は満足そうに頷いた。
古い航海時代から、宇宙に飛び出した今になっても星は船の道しるべだ。空に煌々と輝く恒星は、パイロットにとってもどれだけ心強く写るか知れない。
「お前のはわし座みたいだな、わし座のアルタイル」
「あかいめだまのさそり、ひろげた鷲のつばさ、青いめだまの子犬…ひかりの蛇のとぐろ」
トップパイロットを志すものであれば、だれでもパーソナルマークというものにあこがれる。それが許された今、胸につばさをいただいて、果たして自分はどれだけ飛べるというのだろう。
「星めぐりの歌だろ、それ。お前も顔に似合わずロマンチストなのな」
くつくつと肩を震わせてジェリドが笑う。
彼は知っているのだろうか、さそりの話をした少女は話のなかでどうなったのだろうか、と。
「目印になるよ」
ジェリドは笑う。まるで子供のように。
あかいほしはめじるしになるんだ。
シーツの海に半分うずもれて、彼はそんなようなことを口に出したような気がした。
「お前の心臓の上に描いた、…んだから、」
「ジェリド?」
声が甘い。
少し不安定にろれつの回らない声に首を傾げて顔を覗けば、彼は既に満足げな鼻息を一つついて眠りに落ちた後だった。声が甘いのは、きっと眠いせいだ。
シーツを引き上げるとぴすぴすと鼻息が漏れる。眠っているときのほうが、少し大人びて見えるのは表情の消えた横顔のせいだろう。
「そんだけやかましけりゃ戦場でも見失ったりはしねえな」
のみかけのまま放置されたミネラルウォーターをとって、半分ほどに残った中身を喉の奥に流し込む。温い室内で中途半端な温度になった水は甘く、ゆっくりと体の中に落ちていく。今の自分の意識のように。
戦争というにはあまりにも馬鹿馬鹿しく、人々が振りかざす大儀とやらには嫌気が差した。それでも自分たちは戦わなければならないし、生き延びなければならない。
目印になるとジェリドが言ったのも、きっとそんな大儀なんかよりはよほど単純で裏の無い言葉なのだろう。
闇の中で紅く紅く燃える星は、きっと目にこびりついて離れない。
さそりの話をした少女のように行かせはしない、とカクリコンは思った。単純に、並んで先に進むために、だ。
「アルタイルねぇ、そんなにかっこいいもんじゃないな、ロマンチストはどっちだよ」
温い眠りに落ちていく。
多分、明日になればまた隣のやかましい男は喉が痛いだのなんだのと騒ぎ立てるのだろう。つい先刻のやりとりすら、覚えているかは怪しいものだ。それでも、と思う。
それでも明日になればまた前を見て先に進まなければならないのだ。
見えないまじないのように、それは、自分を導く目印になるのだろう。
背中に刻まれた見えない星が、じんわりと優しく、熱を持ったようだった。

作成:2011年12月03日
最終更新:2017年10月22日
カクジェリ本のゲストで書いたもの

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