共葬

「近藤局長が、刑死なされました」
その言葉を聞いた時、不思議と感情の揺らぎはなかったように思う。決してあきらめていたわけではない。安房守の邸宅へと出向き、畳に頭を擦って懇願した助命嘆願を持ち帰った時など自ら飛び出しかねない土方を見かねて、相馬がむしるようにその手紙を引き受けたほどだ。
近藤先生のお命は必ず。この書状は自分の命に代えましても。ですからどうか、と蒼白の自分へ頭を下げた相馬に、ともすれば震えそうになる声で「頼む」と一言呟くのが精いっぱいだった事も。……まだ半月も経っていないというのに、随分と昔の出来事のように感じる。
「……そうか、間に合いはせなんだか。野村と相馬にも、……辛いことになっちまった」
ご苦労だったな、東山で湯にでも浸かって行くと良い。と懐紙に包んだ一両を手渡す。天気の具合でも聞くような淡々とした態度に、会津街道を走り通して汗みずくになったまま宿へと飛び込んだ使者は、拍子抜けをした顔で「あの」と思わず声を掛けてしまう。
「何だ、足りねえか、そりゃ悪かった」
遠慮がちにかけられた声を報酬の催促と取ったのか、懐へと手を入れた土方に彼は慌ててかぶりを振る。顔に流れた汗が、首を振る度ぱたりぱたりとあたりに散った。
「い、いえ、とんでもない、十分すぎるほどの額です」
飛脚も使えぬ立場で、繋ぎの走りで頼んだ連絡に渡すにしては多すぎる金だ。そうか、と土方は懐へ入れた手を抜き、再び「ご苦労だったな」と淡々とした声でつぶやく。もはや目はこちらを見てはいなかった。
役者のような色男だと、隊の中でもうわさされたと聞くその横顔は、今は疲労と度重なる敗戦のためか、血色を失って瞳も落ちくぼんで見える。ただ、その銀無垢のような凄みが余計その顔に一種の色気のようなものを添えているのだろう。
「……、……近藤さんは、死んじまったのか」
失礼します、と頭を下げたまま敷居をまたいだ使者の耳に、微かな呟きが届く。風に吹かれれば消えてしまいそうな声に、一体どんな感情が含まれていたのか。彼には知る由もない事だったが。閉じられた襖の向こうは静まり返っている。
一枚隔てた部屋の中で、彼の漏らした慟哭は誰にも届く事無く静かに飲み込まれていった。



初めて顔を見た時は、随分と箱入りの藩主様なのか、とも思っていた気がする。
白く優し気な細面に差すのは、今や柔らかな表情ではなく数多の戦場を切り抜けてきた大将としての貫禄と、すり減った心身の落とす深い翳りだ。
「近藤が、……そう、だったか」
傷の痛みはようやく引いてきたが、歩こうとすれば感じる違和感と骨の軋みに足は引きずる。惨めさに奥歯を噛み締めながらもたどり着いた本陣の奥。義兄である彦五郎の収める日野の本陣の広さに比べてしまうと、手狭な、しかしその奥の間に腰を据えた主である容保は、建物の良し悪しなど霞むほどの威厳をもって土方を迎え入れる。
彼は報告を静かに聞くと、慎重に言葉を選び土方を労う。本来ならば、これは近藤さんが受けるべき言葉だったはずだ。と、頭を垂れたまま彼はきつく歯を噛み締めた。
「随分と遠くまで来てしまったな、土方」
道を踏み誤ったとは微塵も感じさせない真っ直ぐな声で容保が呟く。果たして彼は、敗軍を率いながらも一度も「どうして」などとは口に出さなかった。
「近藤には、本当によくしてもらっていた。……試合を見せてもらったのを、覚えているか」
「……は」
「素晴らしい試合に、余は喜んだだろう。近藤の顔を見たら、それはもううれしそうに笑っておってな。……この者達を心底、誇りに思っているのだろうと」
良い仲間を持ったな、と閉める容保に、何も言えずに口を閉じる。その「良い仲間」を何人もおのが手で切り捨て、そして結局それは巡り巡って局長の刑死という余りにもあっけない幕切れを迎えてしまった。
いや、まだだ。伏せた顔の先で畳の目を睨みつけながら息を詰める。まだここで終わらせるわけにはいかないのだ。散っていった仲間たちの為にも、そして何より、自分たちの手で切り捨てた隊士たちの為にも。
「不躾な、願いだとは承知しております。一つ私の願いを聞いてはいただけないでしょうか」
仕切り直さねばなるまい。
そのためには、と土方は思った。一番邪魔になるのは、……この、土方歳三という自分自身になる。
「何だ、何でも言うてみよ。余に出来ることであれば、何でも申し伝えるとよい」
「……ありがとうございます」




あれはいつの事だったか、池田屋事件が終わって何日か経った頃だっただろうか。
初夏の京都は蒸し暑く、風のない日々に江戸育ちの隊士たちはそろって縁側で伸びている。永倉と原田などは、どこで調達してきたのか大きな洗い物桶を井戸端に出して、水をくみ上げては頭からざぶざぶと被って濡れしずくになっていた。
雨上がりにも空気は冷えず、むしろ重く熟れ切った果実のようにねっとりとまとわりつく感覚に、体力と気力はじわじわと削がれていく。それでも隊をまとめる立場上、多摩に居る頃のようにふんどし一本で川へ飛び込みに行くわけにもいかないのは分かっていた。賑やかな中庭を抜けて、人の言えない部屋を選ぶと障子を細く開ける。風を招き入れようとしても、つるされた風鈴は沈黙したままだ。
「トシ、少しいいか」
じわじわと流れる汗が落ちていく襟元に辟易して、団扇で申し訳程度の涼をとっていると、のしのしと廊下を踏み歩く音と共に襖が開かれる。こちらも耐え切れなくなったのか、紗の単衣をおろしたと見え、目に染みるような匂い立つ濃紺の影がぬうと顔を出した。
「ああ、近藤さん、こっちに来てたのか」
暑くてたまらんな、と扇で顎下を仰ぎながら襖を閉めた近藤は、膝を下ろして向かいに腰かける。文机に向かった土方に「邪魔だったか」と首をかしげる様は新選組局長の顔ではなく、付き合いの長い友人である近藤勇の顔だ。
「いや、彦兄にそろそろ報告の手紙を書こうと思ってたところだ。別に急ぎの用じゃない。……どうしたんだ、改まって」
「うん、実はな」
口を開きかけたところで、障子の向こうから賑やかな笑い声が響いてくる。総司と、……藤堂だろうか。大方先ほど水浴びをしていた永倉たちにちょっかいをかけて水を掛けられているのだろう。
「……お前の髪を、少し、その、もらえんか」
「……は?」
半分、外からの歓声に気を取られていた土方は、耳を撫でた声に一瞬混乱して間の抜けた声を上げた。髪を、髪をなんだって?
「聞き間違えか近藤さん、髪をくれって聞こえたんだが」
「聞き間違えじゃない」
恥ずかしいだろうが、何度も言わせるな、と反らした目線を追いかけてこちらまで赤面してしまう。
「……変な呪術やらなんやら吹き込まれたんじゃねえだろうな。誰だ、総司か?」
「トシは……俺を何だと思ってるんだ」
そういうのじゃない、と軽く咳払いをした近藤は居住まいをただすように書いた胡坐の膝に手を乗せて、少し身を乗り出す。聞かれたくない話に、声を潜めるように。その耳はまだ少しほんのりと朱を刷いて赤く染まって見えるが。
「この間の池田屋の時から考えてたんだ。……もし、俺かお前か、どちらかが先に死んだら、多摩には帰れねえだろう。ならせめて、生き残った方が遺髪を持って故郷に届ければ、と思って」
呪術でないよ、と頭を掻く近藤の目には、真っ直ぐな光しかない。
「そりゃ……もとより生きて里の土が踏めるとは思ってもねえ、ここで朽ちてもいい覚悟だがよ、近藤さん、俺より総司のが頼みやすかったんじゃねえのか」
「うん、まあ、頼んでは見たけど断られたよ」
「断られた?」
「『そんなの、私が持ってたらなくしちゃうに決まってるでしょ。歳さんに頼んでくださいよ』……だとさ」
「はは、まあ、アイツらしいな。」
その言葉が総司なりの照れ隠しであることを知っている。元より、池田屋で昏倒した総司に、思う所があったのだろう。本当は、と近藤は口を開く。
「髪を持たせて、先に市谷へ返してやりたかったんだが」
「あいつがそんな事『はい』なんていうわけねえだろ、そんなの勝っちゃんが一番よく知ってるじゃねえか。たとえ首だけになろうが、あいつはあんたの傍を離れやしねえさ」
それで、次点が俺かい。と土方は正座をしていた膝を崩す。少し風が出てきたのか、風鈴が先ほどから頼りなくも涼やかな声音で鳴き始めていた。
「……分かった、頼まれるよ。俺の髪はあんたに、あんたのは俺が預かる」
文机の引き出しを探って小刀を抜き出し、懐紙を二枚広げると差し向かいの近藤へと差し出す。
「どうする、自分でやるかい」
長い髪を束ねて結っているだけの自分は兎も角、近藤は大髻だ。悪いが頼めるか、と小刀を渡されて髪を切りやすいように頭を垂れた近藤の前へと膝を立てる。
「人に髷を切らせるなんてなぁ」
「切り落としはしてくれるなよ、遺髪になるくらいの量でいいんだから」
「わかってるって」
椿油で整えてある髪は、不思議と甘い香りが漂う。日に焼けて少し色の落ちた栗色の髷をひとすくい指へかけると、小刀の先で切り落とす。ほんの人差し指ほどの長さで、手の中に髪の束が残った。
「ほら、終わったぜ近藤さん」
まるで首でも落とされるかのように、ぎゅっと目をきつくつぶっていた近藤は、その声にそろそろと目を開くと、土方の掌に乗せられた髪を初めて見るものかのように不思議そうな目で見やる。それが自分の体から切り落とされたものの一部であると、俄かには信じられないとでも言うように。
「じゃあ、ほら」
切り落とした髪を丁寧に懐紙へと包んだ土方は、自らも背を向けると肩越しに白鞘に納められた小刀を差し出した。
「お、俺が切るのか?」
「何だ、俺ばっか切ってたら不公平だと思ったんだが、嫌か」
「……いや、そういう訳じゃないが」
では、切らせてもらおう。鞘をとる近藤の指が固い。あんまり切りすぎねえでくれよ、と笑う土方に頷くと、水を浴びたカラスの羽のような髪をひとすくい。小刀を滑らせると、音もなくひとふさ切り落とす。
「なんというか、これは罪悪感があるな」
ほんのひとかけら切り取られた髪は、近藤の指が離れてしまえばどこを落とされたのかは分からない。大げさだと笑う親友に頭を掻くと、懐紙へ包んだ髪を大事そうに袖へと入れた。
「こっちは俺が預かるぜ……総司じゃねえが、このままじゃなくしちまいそうだし、あとで何か入れもんでも探さねえとな」
「着物に、着物の襟にでも縫い付けとけば、いいかもな……そうすれば」
そうすればなくさないだろう、と至極真面目な顔をして言う近藤に、土方は声を失い。あんたって人は、と耳の先を赤く染めながらそれだけ呟くのが精いっぱいだった。




眼下には城下町が広がっている。
容保が案内したのは東山からほど近い、天寧寺の有する山の中腹だった。ぽっかりと開けた眼前には、ここからでは長閑に見える会津若松の街並みが広がり、人々の営みが続いている。それでも、この町は戦火に巻き込まれていくのだろう。そう思うと若き藩主の心中を察するに余りある。
「ここは、鶴ヶ城が一望できるでな」
静かに呟く言葉の先には、白壁に暗い赤の瓦の美しい鶴ヶ城が顔をのぞかせる。会津の町を一望できる場所だ。
「このような素晴らしい場所に」
「……余の出来る、せめてもの手向けだ」
愁いを帯びて俯く容保の背後には、削り出したばかりの真新しい墓石が一つ。納骨室は無く、今は墓の下につながるように、深く穴が掘られている。
「土方さん、局長の遺品を」
掘り出した土の横で、鋤を立てかけた島田が促す。受け取ろうと立ち上がりかける島田を制し、土方は掘り起こした真新しい土の上に汚れるのも構わず跪いた。戦場を変えてもその度に縫い直して持ち歩いてきた遺髪を、昨晩糸を解いて取り外してある。風呂敷から取り出したものを見て、島田が絶句した。何度も血で汚れ、元の鮮やかな色はもう見る影もないが、袖口に染め抜かれただんだら模様は見まごうべくもない。
「……京都から出るときに、たまたま持ち出してたんだろうな。こりゃ、……近藤さんの羽織だ」
懐かしいな、と羽織を見つめる視線があまりにも柔らかく、鋤を握る手に思わず力が入る。広げた羽織の真ん中に袱紗で包んだ遺髪を乗せ、何を思ったのか土方は脇差を抜き放った。突然の行為に目を見開く容保と島田の前で、迷うことなく脇差を掲げると、背中に散った髪を掴んだと思うや、手首が一閃する。まるで、黒い、
黒い蛇のように、長くうねっていた髪は息の根を留められてだらりと地面へ垂れ下がった。
「ひ、土方さん、何を……!」
「騒ぐんじゃねえ、髪くらいで」
不揃いになった髪が面差しを覆い隠し、土方の顔は様としてうかがい知れない。切り落としたそれを羽織の中へとくるみこみ、身を乗り出して掘られた穴へと恭しく収めていく。
「島田、埋めてくれ」
「……へ、へい!」
膝を払いながら立ち上がった土方の顔は、先ほどまでの憂いを含んだまま、どこか違う色をたたえているようにも見えた。
「良いのか土方」
「ええ」
土方歳三は、近藤勇と共に生きた自分は今ここで死んだのだ。と、墓の中へ消えていく自分と友人の『亡骸』を見送る。ここで立ち止まらないためには、一番邪魔になるのは親友の死に囚われて足を止めてしまう自分自身だ。
(――士道に、)
「……背くまじきこと」
唄うように呟いた声が聞こえたのか、容保は墓から顔を上げると初夏へと移ろい、美しく色づき始めた城下へと顔を向けた。
(行ってくるぜ、勝っちゃん)
彼の最後まで貫いた誠が、色を失わぬように。元より、生きて切り抜けられるなどとは思ってもいなかった。それでも、死ぬまで、最後の瞬間まで、近藤の守り抜いた誠の火を消すわけには行かないのだ。
「多分そう、……長く一人にはさせねえよ」
だから、もうちょっと待っててくれ。痛む足を引きずり、山を降りていく。会津の初夏は、山に目に染みる浅葱の燃える、それはそれは美しい季節へと変わろうとしていた。

作成:2017年10月15日
最終更新:2017年10月15日
会津の天寧寺のお墓、今は木が茂っているのですが、当時は木が無く城下が一望できたそうです。
あそこには首が埋まっているよ、という説があるようですが、近藤さんと副長の髪が収められていたらいいなぁ、との思い。

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