手のひらの中

「新さん、新さん、どっちだ」
ひょいと目の前に小さな両手が差し出される。指を下に向けて緩く握り込まれたそれは、まだ大人の男のものと言うには頼りなく、けれども解いた手のひらの中にはしっかりと刻まれた竹刀タコを隠しているなどと誰が想像できよう。
走ってでも来たのか、うっすらと額に光る汗に、細い髪が幾筋か張り付いている。両手を握っているせいで髪をかきあげることもできずに、ただその白い拳を悪戯な目でこちらへ向けた小さな頭。
「なんでぇ、どっちだ、って」
拳の中身を告げるわけでもなく、じゃあこっち、と左の拳を指した永倉の前で、藤堂はしめたとばかりに笑うと「ハズレでーす」なんて能天気な声をあげてくるりと手のひらを開く。もとは柔らか買ったであろう手のひらには、しっかりと竹刀ダコが住み着き、硬く皮膚が張っている。それでも傷のない、しなやかな指はまだこの青年がほんの二十歳を少し超えただけだと言うことを否応なく思い出させた。
空っぽの手のひらをひらひらと振り、んじゃあこっちかよ、と右の拳を指した永倉の目の前で開かれた手のひらはまたもや空っぽだ。
「ざーんねん。さっき歳さんから金平糖もらったんです。肥後守様の所に局長と行ったらお土産に持たされたって。歳さん甘いもの好きじゃないから、さっきわたしに全部くれて」
ほんとはここ!と笑う藤堂の頰は、言われてみれば中に何かを含んだように少し丸い。
「最初ッから全部食っちまってるんじゃねぇかよ」
揶揄われた、と眉を寄せた永倉が伸ばす腕をひらりとかわした藤堂が笑う。普段は真っ先に剣先の中へと飛び込んで行く小さな修羅のようなその姿とは似ても似つかない無邪気さが、胸の内に小さな棘を残すのを、藤堂は知らない。
オラまて!とひらひら逃げる体を追いかけて庭先を追い回すも、小柄な体は簡単には捕まらず、ぐるぐると井戸を三週したところで門をくぐってきた沖田に「何じゃれてるんですか」と呆れた声を頂戴してしまった。
「藤堂、サンナンさんが呼んでいたよ。隊の編成を聞いてたから、その事じゃないかな。ねえ、永倉さん」
「え?あ、ああ。ありゃ一番隊から順繰りに呼ばれてったから、おめえんとこやっと回ってきたんだろ」
子供のように駆け回る姿を見られた事に居心地悪く頭をかいて立ち止まる。藤堂は、ふうんと納得したのかしないのかつられるように立ち止まると、いまいく!と再び門をくぐって出ていく沖田の背中に手を振った。この二人は歳も同じで仲が良く、よく斎藤も交えて(斎藤は巻き込まれているだけにも見えるが)何かとつるんでいるのをよく見る。
それが羨ましいのか疎ましいのか、かすかに刺さった棘の正体を永倉自身も測りかねていた。
「ほら行け、総長を待たせるんじゃねえ」
沖田を見送った後もしばらくその場にとどまる小さな背中に声をかけると、薄い唇を持ち上げて綺麗に微笑んだ藤堂は妬いてるの、と楽しそうにくすくす笑った。
「な…に言ってやがる。バカ言ってねえで早く…」
犬でも払うように手を振った先で、新さん、と。名前を呼ばれてたたらを踏む。襟ぐりを掴んだ手を離された時には、藤堂はもう背中を向けて門の外へと駆け出した後だった。
口の中に、小さな甘いかけらが一つ。舌の上で溶けていく。
「へ……いすけ、おまっ、お前なぁ!!」
聞こえなどしていないとはわかっていても、思わず手を振り上げて叫んだ先に、運悪く顔を出した井上源三郎が目をまん丸に見開いて抱えたタライを難儀そうに井戸端へと置いた。
「なんです、永倉さん、藤堂君と喧嘩でもしたみたいな顔で」
ちょうど藤堂とすれ違って入ってきた井上は、駆け去る背中を見ているのだろう。違うともそうだとも言い切れず、曖昧な顔をした永倉は、口の中で淡く溶けていく金平糖の残滓を喉奥に押しやる。
「…いや、」
「藤堂くん、なんだか顔を真っ赤にして怒ったみたいに走ってったから」
たらいの中には、まるまると太った大きなスイカが揺れている。八木さんからの差し入れで、今切って道場に持ってくところで。と、呟く井上の声は、もう永倉の耳には入ってはいない。
ねっとりとまとわりつくような暑さ。
「……参っちまうよなァほんと」
ぽつりと呟いた一言を、暑さに対する苦言だと取ったのか、ええほんとに。と笑う井上の手元でスイカがぱっくりと割れる。
だらだらと甘い汁を垂らして夏の空に無防備に身の内を晒す果実を、なんだか見ていられなくて永倉は足早に道場へと向かった。
これをなんと呼ぶのか、今更恋だなどと、そんなものは。
「責任取りやがれってンだ」
呟く口元が、自然と緩んだのを果たして気づいていたのだろうか。

作成:2017年5月31日
最終更新:2017年5月31日
永倉とわちゃわちゃじゃれあってる藤堂が好きです

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