リボン

その日は朝から珍しく部屋の片づけをしていた。
一人暮らしの、しかも学生、男。この条件が揃えば部屋が樹海と化すまでにさほど時間はかからない。
一度片付けたところで三日で樹海が発生するのは目に見えていたのだが、とりあえず片付けよう、とアムロは思い立った。
カレンダーはもう12月を差している。この時期は不思議とそういう気を起こさせる力を持っているらしい。
とりあえず一人暮らしも家族暮らしも、身のうちをきちんと整理してまた一年を迎えられるように。






もうすぐ、今年がおわる。








5:リボン









今更自分を責める訳ではないが、(実際責めたところで現状が少しでも良くなるわけではない)部屋は凄惨たるものだった。
かろうじてパソコンデスクに続く獣道が確認出来る程度で、床には雑誌やらミニペットの空きボトルやらがところせましとひしめき合い、決意した先から、戦意を殺がれそうだ。

「まあ・・・自業自得か」

一つ一つ、床に散乱したものを拾い上げてはゴミ箱へ、机へ。この分では床が綺麗になるより、机が溢れるのが先になりそうだ。
雑誌にプリント、PC診断書、手紙、請求書、と山のような必要なのか不要なのかの判断も微妙な紙の束を積み上げながら、ふと書類の間に挟まったひも状の物を見つけて手を止めた。
落ち着いたこげ茶の地に、金の文字で刺繍がしてある。指を絡めて引き抜くと、「GODIVA」の文字が連なってプリントされたリボンらしい。
ゴディバなんて俺買って喰ったりしないし、バレンタインだってそんな高いチョコなんか貰わないし。何かに絡まってここまで持ってきてしまったのだろうか。
そう、考えてからふと思い当たる。そうか、あれは確か・・・

「シャアだ。」

指に未練がましく絡まった帯を見つめて呟く。そうだ、思い出した。これはこの狭い部屋に入り浸っている、男が初めて、
初めて俺にくれた形あるもの。
まだこんなところに居たのか、と内心懐かしいような、それと同時に何かとてつもなく遠いところに来てしまったような、かすかな喪失感と。こんな散らかった部屋に一人立ちつくして途方に暮れてしまった。
一体、俺はなんだってこんなところに来てしまったんだろうか。今年の初めにはこんなこと考えるなんて思いもせずに、いつの間にか一人の部屋が二人になって。
ただそれだけだ。けれど、この、もう直ぐ暮らして一年になるという狭いLDKの部屋が、そこかとてつもない遠い異国に思えて、背筋が凍る。


窓の外には、それこそ凍りついたように綺麗な、真冬の乾いた青空が広がっていた。








どうしてだ、と聞かれれば、シャアは「都合がいいから」だと答えるだろう。

金の生地に落ち着いた茶がクラシックな袋を提げて、その日シャアはアムロの間借りしている学生会館のそこそこ新しいと思われる階段を上がっていた。
アムロの通っている学校柄か、ブロードバンド完備、部屋もそこそこ綺麗で(アムロはすぐに散らかすが)駅からも近い。エレベーターからアムロの部屋が遠く、階段の方が便利だということを除けば、まあ好条件なのだろう。
大体、日本やイギリスなど地価の高すぎる場所にフラットでも借りようと思えば、馬鹿にならない。学生というのは、大体豊かな国であればでもそこそこ楽できる職業なのだ。実質この居心地のいい学生会館は驚くほど安い。
ただいまもお帰りもなく、この部屋へ入り浸るようになってから、いつの間にかアムロが用意した合鍵で扉を開ける。鍵を渡された時の、夜中にベルを鳴らされる身にもなってみろ、と言っていたのは本心なのか、建前なのかは未だに分からなかった。
それくらい、このアムロというのは近くて遠い気がする。しっかりとそこに立って、確かに近くに居る。なのに、驚くほど遠くて伸ばした手が、全然触れないような。
はたしてこの関係に甘えているのは自分なのか、それとも彼のほうなのだろうか。多分自分の方だな、と思いながら狭いリビングを覗くと、青白いパソコンのモニターに照らされたアムロの赤い柔らかそうな髪が見えて、ほっと息をつく。
いつからだろうか、誰かの居る部屋に帰ることの意義を知ってしまったのは。少なくとも日本へ来てからしばらくはそんな事考えもしなかったはずだが。
いつものように、ネットをしていて眠ってしまったんだろうか。パソコンの置いてある低いデスクの前で、クッションに体を丸め、見事にすっぽりと収まって眠っているこの部屋の住人。大きなビーズクッションはよくこの場所でパソコンを弄るアムロへと、なんとはなしに選んで買ってきたものだったが、見事なワインレッドのそれは部屋に不釣合いで、アムロは散々笑ったものだ。器用にクッションに収まったアムロは、まるで猫みたいに。
随分と冷え込んだ部屋で、鼻の頭を赤くして。

「・・・・アムロ?」

雑多にモノが置かれているその小さなテーブルに、これも不釣合いな金の紙袋を置くと床に屈んでその年よりは随分若く見える顔を覗きこむ。20だと言った。どうして東洋人はこんなにも幼い顔をしているのだろう。
赤い鼻をひくつかせると、小さく何か不満だか寝言だかを呟いてぱっちりとした瞳が正面から姿を捉えた。その外見を幼く見せているであろう、幾分大きな瞳が眠たそうに揺れて、瞬く。

「・・・・・あ、シャア」

相変わらず、お帰りとは言わないまでも、律儀にただいま、と言うと、おー、とかうーとか、そんなような声を上げてクッションに身を起こしていた。
当たり前のようにキッチンに火の気はなく、コンビニの袋も見当たらない。今日は学校が休みだといっていた。なら、アムロが一日中この部屋に居たんだとしても、今更驚くことではない。燃費がいいのかタダ単に出不精だからか、恐らく後者だろうが、放っておけば一日このビーズクッションに座ってモニターとにらめっこだ。

「夕飯は?というか・・・私は今日一日の食事を尋ねたいが」
「喰ってない。あんまおなかすかなかったから・・・・それ何?お土産?」

その喰ってないは、恐らく夕飯ではなく今日一日の分を指しているのだろうが。
そういってアムロが手に取ったのはGODIVAの紙袋。いやに立派な装丁に、興味津々といった面持ちで早速袋のテープを剥している。

「取引先の受付嬢がくれた。チョコレートだ。バレンタインでもないんだが」
「なんだチョコレートか・・・。俺あんまり好きじゃないや、袋とかリボン、綺麗だから何か時計とかかと思った。」

急に興味を失ったかのように、綺麗にリボンで封をされた小箱をテーブルに戻しながら、アムロ。再び姿勢はクッションに傾いでいる。
ぽす、と軽そうな音を立てて体がビーズクッションに沈み、もそりと手足が寝床を整えるようにクッションを押していた。
本当に、猫のような仕草で。どこがと聞かれたら、伸ばされた首筋辺りが猫っぽい。いかにも。
あの首筋に、キスしたら怒るだろうか?
擽ったら、引っかかれるのだろうか。
無意識に、もうこの場所で寝るつもりらしいアムロの、静かに上下する赤い頭に触ると柔らかい手触り。当人は、顔を上げるとちょっとだけ笑った。何を言うわけでもない、ただ柔らかい笑顔。

ああ、

馬鹿みたいだ、私は。

チョコレートの箱から、リボンを引き抜くと、寝そべったアムロのモニターで照らされて青白い首へ。くるりと一周させるとちょうど首の後ろで大きな花結びが出来た。
こんな時に限って、アムロは何もしない。ただその丸い目でこちらを伺っているばかりで。
ただこの表情を独占したいと子供じみた思いが髪に触れた指先を熱くする。この熱が、アムロにばれなければいいが、この男は敏感だから、それこそ髪の先からでも私の体温が測れるかも知れ無い。

「・・・・誰にも触らせたくは無いな」
「何言ってんだよ。馬鹿。そういうのは恋人にでも言ってやんなよ」

そう、恋人でも無いのに。
半ば本音を込めた呟きはふわりとした声に飲み込まれてしまう。
セックスは、たまにするし、キスもたまに。それでも私はアムロを恋人だとは思っていない。のは、どういうことなのだろうか。
昔恋人はいた。セックスもキスも、アムロと同じように。
かれどアムロは違う、何故だか分からないが、そういうのでは・・・・ない気がした。ふと視線を落とすと、結ばれたリボンを解こうともせずに、相変わらずの柔らかい顔でこちらを見つめるアムロの瞳がある。
ああ、私の

「アムロは私の猫だろう?」












猫、だろう?














「・・・・・猫・・。」

窓の外には、相変わらず叩けば割れそうな青い空が広がっていたし、俺が居るのはあの赤いビーズクッションの上じゃなくて、床の上。座ってるんじゃくて、立っている。
あのGODIVAのリボンも、首じゃなくて、指先に。
ただ、この部屋の空気だけが、リボンに触れた指先からあの日に侵食されている。あの、俺を猫だと良いながら束縛を望むような眼差しで何度もキスをした日に。
そういえば、あの時のチョコレートは、シャアが一人で食べたのだろうか。俺を、猫だといったあの男が。もし、俺がシャアの猫だったとしても、きっと飼われているのはシャアの方だと、思った。
チョコレートが食べたい。本当は好きじゃないけど、どうしても。
今度は、もらい物ではなくて、シャアの買ったチョコレートを。そう思ったら居てもたってもいられなくなって、俺は片付け途中の部屋をひっくり返して、机の上のケータイを手に取った。多分シャアは、仕事中だろう。けど、絶対に出る。
絶対に。

「・・・・・シャア」

三度目のコールの後、予想通り電話先であの甘い声がして、柄にもなく嬉しくなってしまう。

「アムロ?どうか、したのか?」

その声の直ぐ近くで、かんかんかん、と聞きなれた音が響いていて、おや、と思う。これは、何事だろうか。

『今、帰ったところなのだが』

と、玄関先に立ったシャアと、持ったままのケータイから少しだけずれて、同じ声が零れて。寒そうにコートの襟を立てたシャアの手には、見覚えのある金の紙袋が一つ、寒風に晒されてきたのかぶら下がっている。

「・・・・あんた、エスパー?」

これは、何事だろうか!

思わずきょとんとしたままシャアを見上げると、心外なことにシャアは、面白そうに唇をゆがめると笑い出したのだった。君のそんな顔が見れるとは思わなかったよ。と。
以前見た時と同じ、綺麗な金の紙袋には、立派なGの刻印が押された箱が、あの、
あのリボンに包まれて収まっていた。

「仕事が早く終ったからね、買って帰ったんだ。丁度限定品が出ていたから」

器用そうな、白く長い指が手早くリボンを解くと箱を開けた。まるで宝石のように冷たくて綺麗な色の小さなチョコレートがきっちりと並んでいる。箱だけじゃなくて、中身もこんなに綺麗だなんて、前回もちゃんと食べてれば良かったと、思ってしまうほど。
それに今回は、特別なんだ。
シャアは、俺の指先にぶら下がったままだったリボンを見つけると、ああ、と妙に納得したような顔で頷いて、笑った。

「確かに・・・エスパーかも知れない。私もな・・・今日、急に、思い出したんだ。猫のことを」

こんな、空がやけに青い日は、人は一日くらいエスパーになってしまうのかもしれない。
この、恋人でも友人でも無い男と、少なくとも意識のどこかが繋がってしまうくらいのことは簡単に起きてしまうのだから、一体世に溢れる恋人達はどんな奇跡を体感するのだろう。
それとも、恋人でも友人でも無いシャアは、ある意味それよりもどこか深い繋がりが有るのかも知れないが。

長い指は、長い間冷気に晒されて、たっぷりと冷たい風を吸い込んだためか、とても冷たかった。解いたばかりの真新しいリボンがくるりと首へまわされて、項のあたりで大きな花結びが作られる。ひやりとした指が首から離れると、あの日と同じ顔で、声で笑う。






「まだ、アムロは私の猫だろう?」








「シャアを飼ってるのは、俺だけれどね」








どうしてだ、と聞かれれば、アムロは「俺はシャアの猫だから」と答えるだろう。
「シャアを飼っているのも俺だ」とも。

俺は、否定はしない代わりに、そういって笑ってやった。首に金と茶で編まれたリボンをつけて、シャアに抱きしめられながら。
恋人でもない、友人でも無いシャアに、もらった二つ目の特別な贈り物を泣きたい位、嬉しく思って。
確かに、そうかもしれないな、と柔らかい声で笑うと、俺の飼っているシャアは猫みたいなキスをした。
また、この首にリボンが増えるかどうかは、今の俺達には分からない。ただ、窓の外にはあの、青く透き通った空だけが広がっていて、もしこの同じ色を見れるのなら、増えるのかもしれないとも思った。





初めて食べた宝石みたいに綺麗なチョコレートは、
宝石みたいな味がして、






食べたら、















宝石のように体が内から二人で透き通るような気がして
























本当に、透き通ってしまえばいいのに、と思った。




























もうすぐ、一年が終る。
俺が猫になってから、一年が経つ。





作成:2004年12月15日
最終更新:2016年12月11日
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