人生は一瞬みたいに、愛は僕らみたいに

Life like a moment.
Love like ...no,exactry us.









うまれてきてくれて、ありがとう。










ある、大きなお屋敷に、領主様が住んでいました。
彼はとてもハンサムで頭もよく、彼の納める領地の住民は口をそろえて彼を褒め称えます。
女性は皆どうやって彼の気を引こうか、どうすれば彼と結ばれる事ができるのか、そればかりを囁きあいました。
綺麗な金の糸で紡がれたような髪は、いつだって人々の羨望の的で、そのアイスブルーの瞳を見ては、賞賛を送りました。
きっと彼はどこぞの王家の血筋を引いているに違いない、と。
そんな羨望の的にあって、領主様は悪い気はしなかったのだけれど、悩みもありました。それは、後継ぎの事。
彼には奥さんが居ませんでした。彼に思いを寄せる女性は数多く居たのですが、どうも彼はその女性達を心から愛せる気がしなかったのです。
それは、彼女達が惹かれてるのは、私の外見やお金であって、私自身ではない。と、そう気付いてしまったから。
彼は、とても悲しくなりました。いつも煌びやかで艶やかな女性達が、急に色あせて感じます。パーティを開いて、いくら美味しいものを食べても、まるで砂を噛んでいる様にしか思えなくなってしまいました。

そしていつしか、彼はお屋敷から外へ出ることすらしなくなってしまったのです。

誰とも喋ろうとせず、誰にも会おうとせず、ただすることといえば広いお庭に訪れる小鳥たちにご飯を上げたり、庭に咲く綺麗なお花の世話をしたり。
まだ夏までは良かったのです。
けれど、やがて秋が訪れ、冬になり、小鳥達は春を求めて遠い遠い国へと旅立ちました。彼は寂しそうにその姿を冷たい窓ガラス越しに見送ります。
暖かそうに咲いていた花達も、ひっそりと土の中で再び顔を出す春を待ち焦がれ、彼は本当にひとりぼっちになってしまいました。
ただ毎日冷たく寒い空を見上げて、溜息をつくばかり。
街の人たちは、初めどうしたことかと気遣ってはいたものの、やがて領主様は病気だ、なんだと様々な噂がまことしやかに流れはじめ、
ますます彼は外に出ることが無くなっていきました。
慎ましやかに、けれど楽しそうに街が色づくクリスマスになっても、毎年のように開かれていた彼のお屋敷での暖かで煌びやかなパーティが開かれる事は無く。
ただ静かに、彼は空へ祈りました。

「高価なプレゼントなど何一ついらない、ただ本当に愛されたい。身分や外見やお金ではなく、自分自身を愛して欲しい」

と。
彼はもう子供ではなかったし、クリスマスにプレゼントをお願いしたことなんてありません。
けれど、これが最初で最後のお願いですから、と悲しそうな目で空を見上げて領主さまは長く長くお祈りを捧げます。
深々と空は凍りつき、やがて聖夜に羽根のような雪を降らせても、彼はずっと祈りを捧げていました。


どうかどうか、この思いがお空の向こうの天使達にとどいて、彼らが神様へと伝えてくれるように。










雪は連日少しずつ積もり、新しい年がやってきた頃には町中が真っ白でやわらかな布団に覆われたように、静寂の中に彼は目を覚ましました。
いつもと変わらない静かな朝。ただ少しだけ違うのは、今日からまた新しい一年が始まるということです。領主様は大きな窓にかかった真紅のカーテンをいっぱいに開けると、純白に変わった広いお庭を眺めます。これは毎日の日課。
静かで平穏で、寂しい一日が始まる前に、お空の神様へお祈りを捧げる大事な時間。けれど、この日は少し違ったのです。
お祈りを終えて、彼が一度庭を見渡すと、ぱさり、と小さく雪が落ちる音と共に何かふわふわとした柔らかそうな赤い綿毛が純白の間から覗いていました。
時々この広い庭には兎や小鳥達がやってくることは珍しくありません。
けれど小鳥達は既に春の国へと旅立っていましたし、
ふくふくとしたウサギ達は、既に雪色をした冬の洋服に着替えてしまって、遠目では見分ける事は困難なはず。
彼は、少し首をかしげると綿のように雪がこんもりと積もった庭へ、サンルームから直接踏み出しました。
さく、さくり、と裸足の足の裏に不思議と暖かい雪を感じながら、落ちてきた何かの元へ。

「・・・・」

それを見つけた途端、彼は、何かの間違いだろうと、首を振りました。
真っ白な雪の布団に包まれて、落ちてきたそれは、ふわふわとした柔らかそうな赤い髪の子供だったのです。
それに背中には、雪よりも白い、鳥よりも繊細な、翼。

「天使、」


これはいったいどうしたことでしょう!


呆然と呟くと、領主様は慌ててその羽の付いた子供を抱き上げました。いくら極上の羽毛布団のように柔らかなこの雪の上でも、いつまでも寝転がっていたら風邪を引いてしまいます。
まるで羽のように軽く、紅顔の可愛らしい子供は、天使らしく真っ白な絹のドレス一枚だったのですから。

「君、大丈夫かい?」

優しい赤で燃える暖炉の前へ、暖かい毛布で子供をくるむと寒空に晒されて赤く色づいた頬を撫でて彼は聞きました。
何度か優しく柔らかな髪を撫でてやると、凍えた小さな体を暖めようと震えていた子供は、はっと気付いたように目を開いて彼を見つめました。
其の大きな丸い目といったら。
上等ないちご飴のように透き通った赤い色をした瞳は、くるくると表情豊かに揺れ、やがて泣きそうな色をして止まりました。
今にも零れ落ちそうな、たっぷりと目の縁から盛り上がった涙の雫が暖炉の火を掬ってきらきらと揺れています。領主様は、慌てて優しく頭を撫でました。

「どうしたんだい、君は天使様なのかな?道に迷ってしまったの?」

すると、子供はとうとう大粒の雫を零して、泣き出してしまいました。見ている領主様は、まるで胸が締め付けられたように切ない声に、よしよしと肩を抱いてあやしてあげます。

「僕、ね・・・お空から追い出されちゃったの・・・、お仕事、は人間さんの恋のお手伝いしなきゃいけないのに、僕が、人間を好きになっちゃったから、お父様はそんな悪い子は出て行きなさいって、羽根を折られちゃった・・・」

見ると、なるほど小さな天使の背中には、痛々しく翼が片方しかありません。
キューピッドが人間に恋をして天から追放されてしまった、彼は小さな小さな堕天使なのでしょうか。

「可愛そうに・・・君がお空に帰れるように私も手伝うから、それまでここにおいで。こんな寒い中雪の布団で寝ていては風邪を引いてしまうよ」

そういって、微笑んで見せるとやっと安心したようにこくんと頷いて、それからほんのすこしだけの笑顔。
ふわりとほころんだ頬に領主様は、この可愛らしい天からの落し物を守っていこうと決めたのでした。


人間に恋をした。


と、そういった人魚姫は最後に泡になって消えてしまったけれど、ここに落ちてきたこの可愛らしい天使の子供に、
神様はそんな残酷な仕打ちなどしないものだろうか、と内心ひやひやしながら領主様と天使は暮らし始めました。

「ねえ、君名前はなんていうの?」

初めは借りてきた猫のように何をするのもおっかなびっくりで、まともにその口すら開いてくれなかった天使でしたが、領主様と一緒に、まだ雪の残る庭を眺めながら紅茶を飲んでくれるくらい、こちらの生活に慣れた頃、やっと彼はそう切り出しました。
それも、この小さな子供を驚かせるのではないかと随分考慮したうえでのことでした。

「わからないの・・・」

けれど、天使は悲しそうな声で小さくそう呟くと、力が抜けたように顔を伏せてしまいます。忘れてしまったの?と頭を撫でながら聞くと、お空から落ちる途中で、全部忘れてしまったのだと、そう言います。
恋の天使であるキューピッドやナイチンゲールが、その恋を手伝う対象である人間に恋をしてしまったというのは、相当な重罪なのかもしれません。

「君の好きになった人のことも?」

「そう・・・お父様は僕がいけない子だから、全部忘れてしまいまなさいって・・・思い出を全部捨ててしまったから。けど、僕が好きになった人は・・・温かくて、優しくて・・・とても素敵な人だったの。それだけは覚えてる」

「見つかるといいね・・・君の好きになった人・・・、きっと大丈夫、君の心はこんなに透き通って光みたいに綺麗なんだから」

本当に、幸せそうに「好きな人」を思い出す彼を見ていたら、やっぱりちゃんと見つかりますようにと祈らずには居られないのです。
それくらいこの小さな体、全身全霊で大切に大切にその思いを守りきったのでしょう。自分の名前すら忘れてしまっても、その想いだけは忘れないように、と。

「有難う、・・・・・ええと、」

「・・・私はキャスバル、だよ。キャスバル・レム・ダイクン」

「有難う、キャスバル。綺麗な名前」

あまりに透明で綺麗なこの天使に、彼は長い間忘れていた自分の名前をすらりと答えていました。
そう、長い長い間ずうっと忘れていました。皆が、彼のことを領主様、領主様、としか呼んでくれないのでキャスバルはいつか自分の名前がどこか記憶の中からすとんと抜け落ちてしまうのではないかと思うほど。
けれど、柔らかい綿菓子のような笑顔で自分の名前を呼んでくれた天使は、それがキャスバルのお母さんが、たった一つ彼に残してくれた大切なものだった事を思い出させてくれました。
彼のお母さんも、お父さんも、まだキャスバルが小さかった時に死んでしまっていたのです。
なんだかとても嬉しくて、悲しくて、どうしていいのか分からなかったキャスバルは、小さな天使を抱きしめて少しだけ泣きました。

「どうしたの、どこかいたいの?」

「違うんだよ、ただ・・・そう、ただあまりに懐かしすぎて」

心まで、二人の周りの空気まで遠い昔に返ってしまったようで、子供の時、あまりに世界は大きすぎ、いつも心細かったあの感じが体を襲ったので、
彼は小さなぬくもりに縋るように、しばらくそうやって天使を抱きしめていました。
小さな天使は、何も言わずただ・・・聖母マリア様のするように優しくその細い光に輝く金の髪を撫でてやります。
やがてキャスバルは言いました。

「君は本当に光のようだね・・・優しくてとても暖かい、そして・・・懐かしい感じがする」

光、とキャスバルは言いました。レイ。天使は、その暖かで優しい響きが気に入ったのでしょうか、微笑むと有難うといいます。

「僕の名前をくれて有難う、其れは貴方だけの名前だね。」

「レイ、・・・レイ、うん。そうだね、そうするよ」

それはなんだか少し、秘密めいた儀式のようなものに感じられて、二人は額を寄せ合うと、内緒話のようにくすくすと笑いあって指切りをしました。
キャスバルが、天使に与えた彼だけの名前、そして、天使が、生き返らせたキャスバルの名前。
確かに、寒い夜の儚げな聖なる儀式は、それでもしっかりと二人の間にあったのです。

深々と更けていく夜に抱かれて、
大切な人が見つかりますように、と、キャスバルはレイを抱きしめて祈ったのでした。










「見て、キャスバル!うさぎ!」

まだまだ外は寒くて、お屋敷の庭でティータイムとまでは行かなかったのですが、ガラスのサンルーフから差し込む光が暖かかったので、キャスバルはサンルームに小さなテーブルを運んでいました。
レイが庭に舞い降りてきて少し、彼は使用人全員を暇を使わすという名目で屋敷からしばらく返してしまったのです。
それは、この幼い天使がキャスバルの周りにつき従う人間達に気を使って疲れてしまうのを考慮してのことでした。
しばらくは片方だけの羽根すら窮屈そうに上着の中へとしまいこんでいたのですが、広すぎる屋敷に二人になってからというもの、レイは年相応の無邪気な笑顔を頻繁に向けてくれるようになったのです。
庭先ではしゃぐレイの手の中には、おまんじゅうのような雪兎が納まっていて。

「飛び石の上へ置いておいで。可愛らしいけれど、家の中では溶けてしまってかわいそうだからね。」

そういって微笑むと、小さな天使は素直に頷いて雪の上へ顔を出した庭の飛び石の上へ兎を乗せました。キャスバルが手招きをするのに笑って、軽い足音を立てながらサンルームに用意されたテーブルへと座ります。
「ほら、外でずっと遊んでいたから手が真っ赤だね。レイの好きなミルクティーだから、よく温まって」
見事な装飾の施された青い薔薇のティーカップには、なみなみと注がれたミルクティー。

「美味しい。キャスバルの淹れてくれる紅茶、好き。」

「有難う、私も、君のその顔が見れるのが嬉しいから」

ミルクを注ぐ前の紅茶色に良く似たレイの瞳は、彼が微笑むと其れに連れ、嬉しそうにきらきらと光の粒を映します。
それはまるで、星空を映す水面か何かのようにキャスバルの脳裏に焼きつきました。どうしてか、いつも、レイの瞳はキャスバルを遠い昔に引き戻してしまうのです。
何か大切なことを教えようとしているかのように、急に、彼の心を不安にさせ、そして子供のように心細くさせる、綺麗な光。
美しいカップを両手で包むように持って、夢中で暖かい飲み物を飲む天使を見つめ、キャスバルは自分のカップをソーサーへ戻すとぽつりぽつりと昔を思い出していました。そして、無意識のように・・・話しはじめます。

「昔、冬の終わりごろに、そう・・・ちょうどこの季節かな。春を迎えるお祭りがあったんだ」

「春のお祭り?」

「そう。とびきり冷え込んだ冬の終わりの真夜中にね、この街を通る一番大きな川へ皆で紙の器へ入れた蝋燭を流しに行くんだよ。そうやって、春の神様を迎えに行くのさ。」

「キャスバルもいつもそのお祭りへ行くの」

こくりと首を傾げたレイに、彼は苦笑して答えました。

「私はね・・・、怖くて行けなくなってしまったんだ」

レイは不思議そうな、驚いたような顔をしてその美しい男を見上げました。
だって、そうでしょう、こんなにちゃんとした大人の男がお祭りが怖いというのです。

「どうして?お祭りは楽しいものでしょう、キャスバルはオバケが怖いの?」

「違うよ、そうじゃなくてね・・・昔、友達と一緒に川へ蝋燭を流しに行ったんだ。川面に沢山の蝋燭がきらきら揺れてね、星空みたいに綺麗だった。それで・・・私とその友達は夢中になって欄干から川を覗いていた。そして、人込みに押されて二人とも川へ落ちてしまったのさ。
私は助けられた。けど、友達は・・・冷たい川から助け上げられた時にはもう・・・川の水より冷たくなっていたんだ。それからだよ、あの春祭りの夜、川の側に行くのが怖くてね。今でもあの星みたいな川面を見てると、すっとあの中に吸い込まれてしまうような気がして・・・」

そう、星空のように綺麗な地上の宇宙は、人の魂までをも空へ返してしまうので、
川面に流されてく儚い蝋燭の光は皆、消えていった命の光と同じ数だけなのです。
確かにあの日、どれくらい冷たいかなんて分からないくらい、体が一瞬で動かなくなるほど冷たい川へと飲み込まれたキャスバルが見たのは、ゆらゆらと頭上で閉じた水面へ無数に揺れる蝋燭の、不思議と凍りつくような赤い光でした。
そして目の前を流れてあっという間に見えなくなってしまった友人の姿と、悲鳴のように自分を呼んで川面から引き摺り上げた見知らぬ人。それは、とても美しい人でした。
もう、顔すら思い出せないけれど、その人はまるで自分が怪我でもしたような、痛みを耐えるような顔で自分を見ていたので、キャスバルは、重苦しい眠気に襲われながら何度も大丈夫だと言ったのを思い出します。

「そういえば、忘れてしまったよ」

空になったカップを手のひらに包んだ呟くと、レイは幼い顔を向けてしっかりとキャスバルを見つめました。
くるくると良く表情を映す大きな瞳は、そこだけなんだか大人びて見えます。まるで、キャスバルよりずっとずっと長く生きているようです。

「あの時、有難うって・・・助けてくれて有難うって言えなかったんだ。もう、15年も昔になるのかな」

あの頃は随分世界は大きくて、何もかもが素晴らしくて、けれど自分を守るのに精一杯で。
大人は楽だと思っていたのです。自分の手の届く高さの生活をきちんと堅実に守って生きていけるので、キャスバルが川へ落ちたとき、範疇外だと誰も助けてくれないと思いました。
けれど、あの美しい人は、大人の癖に、まるで子供みたいに手を伸ばしても届かない他人の生活へと踏み込んでまで、
自分の命を危険に晒してまで、キャスバルを助けてくれたのです。
目を覚ましたときはもうこの広いお屋敷で、周りには使用人しか居なかったけれども、キャスバルは確かにあの冷たい星空から自分を抱き上げてくれた美しい人の声を覚えていました。それは、とても素敵な声でした。

「見に行こうよ」

と、唐突にレイが言ったので、キャスバルはきっととても驚いた顔をしていたことでしょう。
小さな迷子の天使は、ふんわりと笑って言いました。

「その川に、もう一度行って見ようよ。もしかしたら・・・キャスバルの大切な人に会えるかもしれないよ。キャスバルは僕の大切な人を探してくれるって言った。だから、僕もキャスバルのお手伝い、したいよ。だって、貴方だって僕の大切なひとだもの」

「・・・ありがとう」

わたしも、きみが大切だよ、と確かめるようにしっかりと呟いて彼は天使を抱きしめました。
そのからだは暖かくて、清らかで、まるで人間の子供と変わらないような気がしました。

















暗闇を柔らかく溶かすランタンの光は、しっかりと寒さを少しでも和らげようと手を繋いだ二人の周りを優しく照らしていました。
ともすれば切られてしまいそうなほど鋭敏に透き通った夜の空気が時折二人の足を竦ませはしたのですが、キャスバルよりもレイが手を引いて、彼を古い橋まで連れてきたのです。
緩やかに曲線を描いたその橋は、黒曜石を割った時のような黒く深い色を讃えた冷たい川にかかっています。丁度真ん中で立ち止まると、キャスバルは少し怯えたように欄干をしっかりと掴みました。
祭りの期間が少し過ぎたこの日は、遅れてきた村人の流した冷たい光が、ちらほらと水面をゆっくり巡っています。その光を、ふたりはしばらくじっと見詰めていました

星を見る星座盤のように、あっちへゆらゆら、こっちへゆらゆらとまるで現世を懐かしむ魂みたいに。

「見て、キャスバル、本当に・・・星空みたいだよ」

遠い声のように、レイが呟いてキャスバルはいつの間にか繋いだ手のぬくもりが消えていたことに気付きました。
片手にランタンを持ったままはっと顔を上げると、石で組まれた欄干の上に、レイの小さな体が乗っています。少しでも風が押したら、いとも簡単にその不安定な足場から落ちてしまうでしょう。

「レイ・・・!そんなところに乗っては、」

「ねえ、ほら・・・遠くの方、川と空が混じって同じ星空みたいに見える。」

白い指が指す先には、確かに細く地上と空が繋がっているように見えました。
闇が、世界を分断したみたいに、その間でちらちらと小さな火が燃えて、あれが全部いままでここから旅立って行った人たちの、最期の輝きなのかも知れません。
命が燃え尽きる瞬間の、一番美しく光り輝いた閃光を、凍らせて固めたような、星。
あそこまで行けたのなら、15年前この冷たい水の中で最期の火を凍らせた友人にも会えるのでしょうか、

「ここから落ちたら、僕はお空に帰れるのかな、羽根が片方しかなくても、落ちることは出来るもの」

「駄目だ・・・ッ・・・・!」

伸ばした指が、触れないうちに。
レイの小さな体が欄干の上から躍り出るのを、はっきりとキャスバルは見たのです。左背に付いた真っ白い羽根が、健気に二三度羽ばたいて、真っ黒な星空に落ちていきながら、それでも・・・

レイは、笑っていました。

「----・・・!!レィィ!!」

声に成らない声で、キャスバルは叫びました。まるで、心に繋がっていた大事なものを引き千切られるような激痛が、襲ってきたのです。
大人になんかなるものか、
手の届く場所の平穏だけを守っていくだけで、
私は、大切なものも守れないような大人になんて。と、無意識に、ランタンを放り出すと橋げたから必死に落ちていく天使を抱きしめました。遠くで、ランタンの割れる音がして、
気付いた時にはもう、盛大な水音と共に体は星空へと飲み込まれてしまったのです。けれど、
腕の中にはしっかりと、レイを抱きしめて。

ああ、やっと見つけたんだ。
私の、守るべきもの、愛すべきもの、

大切な・・・・大切なもの

やがて、キャスバルは真っ暗な水に飲み込まれてだんだんと眠くなるのを感じていました。15年前と同じです。
けれど、と彼は思いました。この天使だけは、レイだけは助けないと・・・。不思議と冷たさは感じない夜空の中で、彼は天使の体を岸へと押しやります。やっとの事で対岸へ体を乗せてやると、あとはもう何も出来ませんでした。
自分が助かる為の力を、全て使い果たしてしまったように、水面が遠くなっていくのを感じてふと見上げるとそこには、あの時と同じ、ガラスでふたをされたような星空が、広がっていました。





















行かないで、お願い。













見つけたんだよ、

何を?

・・・・・君を・・・。

私を?

そう、貴方を。












誰かが、泣いている。
それはとても悲しくなるような声だったので、泣かないで、と言おうと思ったのですが、そこで初めて彼は体も声も全然働かない事に気付きました。
死んだのかな、とどこか落ち着いて考える自分が居て、それでも一番気になったのがレイは無事だろうか、とそのことばかりだったのです。
まるでくっついてしまったかのような重い瞼を必死にこじ開けると、
目の前に、あの・・・美しい人が居たのです。あの日のまま、年もとらずに、静かに綺麗な雫を頬から零して

「・・・・キャスバル・・・・?」

喉から搾り出すように声を上げようとしましたが、結局掠れた吐息しか吐き出せず、それでも驚いたようにその人は顔を向けてくれました。
背中には、大きな翼が震えていて、紅茶色をした柔らかな髪と、少し大人びた大きな瞳が涙を湛えて彼を見下ろしていて、

「・・・・レイ・・・・、やっと・・・」

そうか、とキャスバルは小さく笑いました。
あの時も、この川から自分を抱き上げてくれたのはこの美しい天使だったのでしょう。いつも見ていてくれたのです。あの日から、ずっと?

「・・・・やっと、言える、有難う」

掠れた声を必死に絞って、情け無い声しか出なかったけれども笑って彼は言いました。
美しい青年天使は、しなやかな腕で彼の体を抱き起こすと、濡れそぼった肩を真っ白な翼で包んでくれます。星空の光を閉じ込めたような涙がキャスバルの頬に落ちてきて、彼は其れをとても暖かいと思いました。暖かくて綺麗な。

「思い出したんだ、やっと。やっと・・・逢えたね、シャア」

シャア。
なんて懐かしい響きなのでしょう!
15年前、水に落ちた彼を呼んだのも、その名前でした。優しくて、暖かで懐かしい、それは、彼が生まれたとき、教会の洗礼で告げられた彼の天名だったのです。
そう、その名前をつけてくれたのは、

「君だったのか、アムロ」

「そう。俺だったんだ・・・シャア、ずっと・・・見てた。ずっと、好きだった。こんな羽いらない、天使なんかじゃない、人間に・・・」

人間になりたかった、貴方とずっと一緒に居たかったのに。そういって、静かにアムロは泣きました。
震える肩が薄く透けて、驚いて抱きしめたシャアの腕の中でアムロは切なそうに眉を寄せます。そして、帰らないといけないんだ、と言うのです。

「思い出してしまったから・・・コレでは罰ではなくなるから。」

「だ、・・・めだ、アムロ・・・!行かないでくれ、やっと見つけてくれたんだろう?だから、一人に・・・一人にしないでくれ、アムロ・・!」





人間に恋をした人魚姫は、最期に泡になって消えてしまったけれども、
やっと見つけた愛しい天使は、人間に恋をして、
神様は、また、泡のように消してしまうというのか。





子供のように、シャアは泣いていました。ただ行かないでくれ、と側に入居てくれと泣いたのです。
悲しいほど綺麗な笑顔で、アムロは言いました。その体はもう殆ど光のように溶けて、シャアの腕の中で微かに揺らめくだけになっていました。

「本当はね、シャア、本当は・・・15年前のあの日からずっと・・・、」

「アムロ・・・・・・!」

そこから先は、殆ど聞こえませんでした。
縋るように伸ばしたシャアの腕は、ただ虚しく空を掻いて、一筋の光が空に上るのを見たのです。
それは、残した想いを噛み締めるようにゆっくり、溶けていきました。









本当はね、

15年前のあの日からずっと、貴方を殺してしまいたかった。









そうすれば、空で一緒になれるでしょう?
貴方にあんなに悲しい目をさせずにすむでしょう?


それでも・・・こんなに醜い僕を、美しい貴方は必要としてくれますか?








・・・・・・・こんなにも愛しているのに。









こんなに、




こんなに酷い恋は知らない。




























やがて春が訪れ季節が巡り、長くてゆっくりとした時間が流れ始めていました。
彼はまた村の領主様へと戻っていました。
少しずつまた、外へも出るようになり、しばらく忘れていた忙しさを取り戻し始めています。
けれど、あの日から一度も天使を見ることもなく、幾度目かの光流しのお祭りを迎えることになりました。
シャアは、二本の蝋燭をそれぞれ同じ紙の器に載せると川に向かって歩き出します。いつもは側に従えている使用人も、この日だけ毎年彼は暇を出してお屋敷を一人にしていました。それは、大切なこの日の儀式に備えるため。
弱弱しい炎で寒空に燃える二本の蝋燭は、

一つはあの美しい天使の想い、

もう一つはアムロと共に天へと消えてしまった自分の名前、

それは命よりも大切なもの。けれど、失ってしまったのです。
冷たい水面を見つめてかがみこむと、何人か蝋燭を流しに来ていた村人が言いました。

「それ、1本分けてもらっても構いませんか?」

本当に、酷い恋だった。
恋だなんて自覚する余裕も無いくらい、夢中になってて、
しかもその相手が天使様で、

美しくも愚かしい、酷い恋。

死んでしまいそうなくらい、

殺してしまいたいくらい、

「・・・天使がね、一人死んだんです。だから、1本、分けて欲しいな。それとも、一緒に流してくれますか?」

「コレはもう・・・必要ないだろう?天使が死んで、でも・・・新しく人間が生まれたんじゃないのかな」

なんて素晴らしい恋!

冷たくて綺麗な、星空みたいな水面で蝋燭の日を消してしまうと、シャアは、











精一杯のありがとうと大好きを伝える為に、キスをしました。
















冬の終わり、
それは愚かしく、孤独で美しい恋の物語。

人間に恋をした人魚姫は、最期泡になって消えてしまったけれど、

人間と恋に落ちた愛の天使は、



翼を泡にして、空から落ちてきました。






愛しい、大好きな、








貴方の元へ。

作成:2005年2月11日
最終更新:2016年12月11日
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