join tea with me!

錯綜する人生なんてもんのなかで、たまたま同じ時間軸と場所軸に、二人の人間が重なったに過ぎない。もとより同じ思考回路を持っているわけでも、テレパシーが使えるわけでも無いのだから、それは偶然と呼ばれるものなのだろう。
本を片手に抱えて、あ。と声を上げたのはどちらが先だったのか、全くといっていいほど特に特徴の無い少年と何もせずとも嫌でも人目を浚う大男は偶然にも本屋で邂逅した。

「あれ、今日仕事お休みなの?」
「なんでこの時間にこんな場所に居るんだ、まさかサボりか?」

互いに本を持ったまま口を突いて出た言葉はほぼ同時の事で、まるで図り合わせたように再び返答しようと同時に口を開いたところで・・・先に笑い出したのは少年の方だった。

「サボリじゃないよ。今日は午前中の講義だっただけ。」

そうか、と頷くと男は私も仕事は休みだった、それだけだ。とそっけなく言った。もとより口下手なのでイレギュラーな事態にはそこそこ・・・弱い。少年が笑う。

「それ洋書?」
「いや、和書だ。」

買おうと思って棚から抜いた文庫本の表紙を見せると、少年…いや、青年だった、青年は素直に驚いたのか目を丸くした。『草原の記』司馬遼太郎だ。

「日本語が流暢だとは思ってたけど、漢字まで読めるわけ?それ翻訳書じゃないのに」

背表紙に書かれた出版社は、中堅の日本人作家を抱える有名所で思わず青年は溜息をついた。顔も頭も体も、申し分ないと来ている。ちょっと頭にくるくらいではある。

「父親の都合で昔日本にはしばらく住んでいた。辞書を引きながらだが漢字もわからないわけではない」
「へぇ、日本語ってむつかしいっていうけど、たいしたもんだね」
「それは、…違うだろう。異国の言葉というのはどこであれ難しいものだ。英語は簡単だとよく言われるが国際語だけあって意味合いや派生は深いぞ。なかなか難しい」
「あ、それは分かる」

青年の友人に日本国籍のアメリカ人が居るのだが、以前そのような話をしたことがあった。実際・・・青年が英語が流暢なわけでも無かったのでそんなに大きな話ではなかったのだが。

「私はコウが本を読むことのほうが驚きだな」

至極まじめな顔で・・・男が呟くので、コウはもうどこから突っ込んでいいやら分からなくなって最終的になんだか微妙な表情をしたまま芸もなくそうかなぁと言っただけだった。手の中に抱えられた厚ぼったいハードカバーの表紙には『宮沢賢治童話集』と書いてある。それを見て今度は男が感心したように頷いた。

「それも宮沢賢治ときたか。私には読めないな」
「けどこれ童話だよ」
「言っただろう、童話だからといってそこに書かれた日本語が簡単だとは限らない。洋書でも『catcher in the ray』が読めても『指輪物語』が読めないという人は多いだろう」

コウはどちらも読んだ事は無かったのでそうかな、とだけ繰り返した。どうやら褒められたらしい、その事実だけで十分なのだ。少し嬉しくなって無邪気な笑みを零すと、男は困ったように視線を逸らしてしまったので、コウはさらに笑うしか手持ちの技の中で「追い討ち」らしきものを知らなかった。

「いちいち恥ずかしい奴だな」

むすりとしたまま会計を済ませ、男が続ける。まるで尻尾でも振っているかのようなコウは笑顔も全開で「何が?」と顔中で疑問をぶつけてきたがなんだか馬鹿にされているようで悔しいので男はその先を答えてやらなかった。
挨拶もそこそこに男が立ち去ろうとすると、コウは叫んだ。

「ちょっと待てって、ガトー!」

びぃん。
それこそ音がするのではないかと思うほどの勢いで、束ねた後ろ髪を文字通り引かれてガトーは低い声でうめき声を上げた。うっかりそのまま踏みとどまれなかったら鞭打ちにでもなっていたのではないか。

「だからお前は恥ずかしい奴だと・・・なんなんだ、一体!」

自動ドアの前に突っ立って首を摩っていると少し暖かくなり始めた風に乗って、はらはらと花弁が舞い込んできて店員に嫌な顔をされたので、大人しく外へと出ながらやはり笑顔のコウを見下ろす。にんまりと笑ってコウは言った。

「お茶しよう!」
「は…?」
「だから、デートしてやるっていってんの。どうせ帰ったらその小難しい本読むのに部屋に篭っちゃうんだろ?そんなのもったいないからお茶しよう、って言ってるの。」
「お茶、デートってお前な、」

それに『草原の記』はエッセイだから小難しくも無いなどと、なんだか場違いな言い訳まで考えて結局ガトーは馬鹿馬鹿しくなって言うのをやめた。
やけに嬉しそうな顔の青年に、このまま誘われるのもいいのかもしれない。今日は天気もいいし。

「・・・・いつも思うが、強引だな」
「ガトーほどじゃないと思うけど。」

思わず赤面するようなセリフを平然と吐いて、はんなりと微笑むこの青年はもしかしたら相当の大物なのかもしれない。両手を降参のポーズに挙げて、わかったわかったと呟くと、

「なんかそれ、外人みたい」

ガトーにとっては立派な外人の青年は無邪気に笑うので、まっとうな突っ込みは止しておいた。







桜、咲く。
もうあたりはすっかり春めいて、街行く人の足取りも軽いように感じる。
おまけに偶然とはいえ本屋でガトーを「捕獲」したコウは大変な上機嫌だった。

「じゃあ俺は抹茶フロートと・・・どら焼きで」
「私は玉露入り煎茶と塩大福を」

かしこまりました、とシンプルなパンツとシャツにグリーンのエプロンをかけたウエイトレスが多少頬を赤くしてそそくさと退散するとコウはとたんにガトーを肘でつついた。どうやら、からかっているらしい。
コウが連れてきたのは桜並木に面した和風カフェのオープンテラスで、気にはなっていたもののガトーはまだ一度も足を運んだ事は無かったので少し嬉しかったのだが、態度としておくびにも出さずに眉を寄せてコウを見つめた。

「いまの女の子かわいかったよねぇ、ガトーのこと好きなんじゃないの?あんな顔させちゃってー」
「初対面もいいところだろうが。好きって、あのな・・・」
「でも一目惚れってそういうものだよ?」

コウはいつもあまりにあっけらかんと事実を述べるので、ガトーは時々反論するタイミングを見失う。さらに苦々しく眉を寄せると男はむすりと黙り込んで腕を組んだ。しゃらり、と音がするので顔を上げるとコウの首もとには例の鎖が見えて、

「いつもつけてるのか?」

何を、とも言わなかったのだがコウはすぐに察しをつけてああ、と頷くと襟から鍵を引っ張り出す。

「だってなくしたら困るじゃないか」

また、これだ。
これまた都合よくコウの目の前にはたっぷりソフトクリームの載せられた抹茶フロート(フロートいうよりはパフェに見えなくもない)とどら焼きが運ばれてきて、いただきまーす、などといいながら手を合わせていたので・・・ガトーは思う存分赤面した。そして器用に数秒で顔色がもとに戻る。これはある種の特技とでもいえるのではないだろうか。ただその特技のおかげで、先日のコウの泊り込み事件といいみっともなく赤面したところを見られずにもすんだのだけれど。

「ここのお茶もお茶菓子もうまいんだって。絶対おすすめー」
「わかった、分かったからもうすこし大人しく食べれないのか・・・」

がつがつとものを喰うコウの口の周りは見る間にクリームでどろどろになって、ガトーは溜息をつきながら拭ってやった。大学生、19だと言っただろうか。こんなに・・・落ち着きは無いものなのか?少なくともハイスクールに通っていた自分はもう少し落ち着いていた。パフェを食べても口の周りをどろどろにしたりしなかったし、されたことはないから分からないが、酔ってたとはいえ一線を越えてしまった相手(しかも男だ!恐ろしい事に)をお茶に誘ったりなど・・・天地がひっくり返ってもしなかっただろう。
先ほどのウエイトレスがやっぱりちょっと照れくさそうにガトーの分の煎茶と塩大福を運んできたので、少しだけ考えてから、

「有難う」

唇の端を綺麗に持ち上げた微笑みで礼を述べると、少女は耳まで赤くしてごゆっくり、と慌てて言いオープンテラスのテーブルセットに二度三度足をぶつけながら店内に戻っていった。
はらはらと風に桜が舞っている。感慨深げに首を傾げてから、あながちコウの言っていた事も嘘ではなかったのだろうかと思って、視線を戻すと、
コウは、

テーブルに突っ伏して震えていた。

「おい、どうした。今度は何の真似だ?伏せでも覚えたか犬。」

行儀が悪いとは知りつつもテーブルに肘をついてコウを見下ろすと、青年はあろうことか先ほどの少女以上に顔を真っ赤にしてこう叫んだのだった。

「妊娠する!」

妊娠する。
ガトーはきょとんとして、それから盛大にむせた。幸い口に入っていたお茶もお菓子も寸でのところでのみこんだから吹き出すのは回避できたけれども、怒鳴ってやろうかはたくべきか迷ってコウを見ると、大真面目に赤面したままじっとガトーを見つめているのだ。

「何の話だ」

仕方ないので溜息をついて口元を備え付けの紙ナプキンで拭いながら、殴るのも怒鳴るのも止してただそうとだけ言った。

「だってそんな顔、そんな顔するなんて、反則だよガトー!」

反則だって?
虚を突かれて唖然とするガトーを尻目に、コウは赤くなったり青くなったりしながら『がつがつ』と抹茶フロートとどら焼きを掻き込んでしまった。はらはらと桜が舞う。
自分の顔は自分では見えないのだから、そんなことを言われてもガトーはただ笑っただけでどうしてそこまで言われなければならないのかわからなかったのだが、青年にとっては一大事だったらしい。
男なのに妊娠してしまうくらい。

「なんでそんな、そんなヤラシイ顔!!」
「・・・・やらしい?随分失礼な事を言うな。大体飲み会でだってなんだって、笑ったことが無いわけじゃないだろう」
「だって全然違うじゃないか!」

そこまで言われてやっとガトーは、ああ、と思った。
少なくとも今までコウが見てきたのはあくまで自然体なガトーの笑顔だったわけで・・・意識して作った「女性用」の顔ではなかったのだ。普段そんな顔をするガトーでもなかったのだが、意識するとしないではそんなに違うものなのだろうか、コウが妊娠してしまうくらい。まだ少しほんのりと赤みが差したコウの頬を見てぼんやりとガトーは考えた。
本当に、

「変な子供だな」
「・・・子供じゃないし、変でもありません!ガトーがおかしいんじゃないか。日本人じゃないのにそんな本なんか読んじゃうし、和菓子とか好きだし、女の子相手にそんな顔できちゃうし」

不服そうにむくれるコウは、少し柴犬に似ていた。
変な犬だな、と言いそうになったのだけれどまた怒られそうなのでガトーは踏みとどまって、
桜の花弁の浮いた煎茶をそのまま飲み干した。ほんのりと桜の薫り。
街行く人の足取り軽く、桜並木も満開で、目の前の青年は犬みたいな顔をしてガトーのまだ食べ終えていない塩大福をつまみ食いしている。真っ黒な髪には舞ってきた桜の花弁を乗せて。

春だな。

それこそ日本人じみた声で、ガトーはそう呟いた。

作成:2005年4月06日
最終更新:2016年12月11日
ガトーさんはドイツ人っぽいと思う。

back

PAGE TOP