白い部屋

白い部屋というのは、どうしてこう気が滅入るのだろう。
軽く頭痛すら覚え始めた頭を軽く振って気のせいだと思い過ごし、俺は背中を伸ばす。
「窓開けるね」
返事は待たずに立ち上がると、西に面した窓を開く。広く作られた窓は沈みかけた太陽からの光を十分に飲み込んで、たちまち白い部屋を赤く染め上げた。出来すぎのように白いレースで作られたカーテンが翻り、燃えるような光景に目を細める。
忘れることなど出来ようか。
11月13日。
何もかもを叩き折られたあの日から、もう半年以上がたとうとしているなんて、とても思えなかった。

「また行くのか?」
汗ばんだ制服を回収籠に放り込んで埃と油にまみれた顔を洗っていると、同じくロッカーに荷物を詰めていたキースにあきれたような声をかけられた。
「よくやるよなぁ。今日はニナさん行かないんだろ?」
「自分でも物好きだと思うよ」
時刻は今日はいつもより早く片付いたとは言え、時刻は18時を過ぎている。今から急いでも突くのは10分前か、さほど時間が取れるとも思わなかった。
「まだ回復する見込みもないんだろ?お前が毎日通ったところで何か変わるのか?最近顔色悪いぞお前」
「大丈夫だって。どうせ病院から寮、近いし。じゃあ俺先に帰る、また明日!」
適当につくねた制服は洗濯籠に突っ込んで、おざなりにちらばった荷物をカバンにつめてロッカールームを飛び出していく。あ、おい!週末の飲み会には出ろよー!背中からキースの声。心の中で小さく謝ると、借りていたバギーへと飛び乗った。
週末は、ニナに付き添って病院にいくことに決めていた。何も変わらなくても、と思う。
何も変わらなくても、せめて自分が出来る限り彼を見続けなければいけない気がしていた。もう目の前で勝手に死なれるのは、耐えられない。それならば、せめて自分の中で整理がつくまででかまわない。彼を看続けて居なくては。
(自分でもどうかしてると思うよ)
ハンドルをきると黄色い砂埃が立ち上がって視界を遮った。
これではまるで、恋だ。
夏の日は長い。暮れかける道を急いで病院のエントランスへと駆け込む。おざなりにとめた軍用のバギーに眉を寄せられるのも、もう慣れてしまったというのは皮肉だろう。
「ウラキさん、今日もいらしたんですか?」
「すみません。面会時間ってもう終わりですか」
時計を見上げれば、18時40分、確か面会は19時までだったはずだ。こんなぎりぎりに駆け込んで面会も何も無いだろうに、顔なじみになったまだ新人らしい若い看護士は小さく笑うと内緒ですよと看護棟に続くドアを開けてくれた。
「いいんですか?」
きょとんとしたまま扉を見つめると、彼女は人差し指を唇に当てるジェスチャーをした後、黙っててくださいねと笑う。
ありがとう、と。それだけを呟くと俺は足を早める。早くあいたい、それよりも早く無事を確かめたい、とそれが心を走らせた。

『私を殺してくれ』

ニナは俺が貴方を殺すと思っているけど、それはとんだ誤解だ、と思う。
全部終わってしまった、何もかも。あまりにも突然に自分の手から離れて、追いすがる暇もなく打ち落とされてしまった。
もしあの時、間に合っていれば。或いは、
今の自分たちにはまた違った道があったはずなのではないだろうか。
そう言って静かな目で自分を見た彼の顔が忘れられない。薄い唇が三日月のようにゆがんで、この人は、なんて苦しそうな顔で笑うのだろうかと。…悲しくなった。
あまりにも、悲しくて、苦しくて、泣いたのは自分のほうだった。きっと泣きたかったはずなのは彼のほうなのに。
「こんばんわ…」
病室はひんやりとしている。夏の日が長いものとはいえ、暮れかけた太陽に白い部屋は薄暗く静まり返っていた。恐る恐る声をかけて扉を潜るが返事はない。無機質で硬そうなベッドに横たわる白い横顔が、薄闇に紛れてまるで息を止めているように見えて。足を忍ばせてそっと鼻先に指をかざす。大丈夫、ちゃんと息をしている。
彼を、憎んでなど居ない。殺したいだなんて、思えはしない。
どうしてあの時引き金を引けたのか、手の中に残った確かな感触は、時間が経った今でも消えずにしっかりと残ってしまっていた。
枕元の花瓶はさっき活けたばかりのように見える。白い病室に赤い花、そこだけ色がついて生々しく、余計に白い部屋の静寂を際立たせている。ニナが来たのだろうか。
「あつ…」
白く寒々しい部屋のくせに、故意であるのか空調のきられたためか暑くて息が詰まる。じわりと浮き出した汗を拭ってベッドを見るが、色を失った横顔は汗一つかかずに寝息をたてていた。
「窓あけるね」
西に面した窓は、開いたとたんに乾いた風が舞い込んで部屋の空気を押し流す。赤い花が、解けてしまいそうだ。
あっという間に息絶える寸前の太陽の血の色で染め上げられた部屋に目を細めると、背中で空気が僅かに動く。振り向いた俺の目にいつの間にか起き上がったシルエットが赤く染め上げられている。血に濡れた横顔、無論それは血などではなく太陽の断末魔に照らされただけのことだったが。
「…寝ていたのか」
こちらに問いかけるというよりは独り言のように呟くと、彼はゆるく頭を振る。長く伸びた銀色の細い髪が肩から零れてきらきらと光る。ここへ来たばかりの頃は、まだ肩甲骨へかかるかかからないか位だったはずなのに、今はもう背中の真ん中へと届きそうなほどで。思わず触れたくなるのを手を握り締めて目を逸らした。
「寝てていいよ。様子、見に来ただけだから」
開け放した窓から吹き込む風で、はたはたと踊るカーテンを捕まえてホルダーにくくる。振り向いたガトーの背中は頼りなく、あちこちに残った生々しい傷跡が否応無く目に飛び込んできた。肌が白いせいだろうか、白いシャツの襟ぐりから覗く首にも、はっきりと分かる薄紅の火傷が一筋。
「最近は一人で来るんだな」
「…迷惑かな」
少しいいかな、とそう断って椅子を引いても、ガトーは何もいわなかった。少し距離を置いて座る。互いの手が、届かない距離。まだ少し、俺はこの綺麗な人が怖い。
白くて鋭利な硝子みたいな横顔、どこかずっと遠くばかり見ている目はりんどうの色で、俺はこんな色の目をした生き物が本当に人間なのかと驚いたものだ。戦場で初めて出会ったガトーは、怖くて、強くて、生き残るのに必死だった自分は敵の姿をまともに見ることすら叶わなかった。
殺し合いまでしたと言うのに、こうして目の前で無防備にベッドに座った男はかつてソロモンの悪夢とも、鬼人とも称されたエースパイロットだとはとても思えないのだ。
「部屋、暑くないか?」
体温の低そうな肌はいかにも暑さに弱そうだと思いながらそう問えば、彼は否と短く答えてヘッドボードに背中を乗せた。こんな色をしていても軍人だったのだと思いつくよりも早く、ガトーの目は不可思議なものをみるような空気を纏って自分を貫く。色の薄い目が、太陽の赤に燃えて人間というよりは猫や鳥を思わせる。
「物好きな男だな。私が怖くないのか」
まるで全て見透かされたような言葉にどきりとする。
「怖いんだろう」
あざけるような声。
顔を上げることも出来ずに膝に置いた手を握り締めるのは、あの時自分を殺してくれと笑った彼の声を思い出すからだ。怖くないのかと聞かれれば、怖いに決まっている。でもそれは、
「ガトーが、怖いんじゃない」
今ならきっと、ニナが彼を守ろうとした理由を理解できるのに。
数ヶ月前の自分は、自らを守ることが手一杯でそこまで意識をまわすことが出来なかったのを歯がゆく思いながら触れない距離を踏みとどまる。
「…貴方がまた、死のうとするのが怖い」
ニナはガトーを大事にしていた。彼を愛していたからとか、昔付き合っていたからとか、彼女の中ではきっととっくに答えは出ていたのだ。それを誤解してガトーへ銃口を向けたのは自分。なんて、
…なんておろかなことをしたのだろう。
「私が?何を馬鹿な」
それは綺麗な鳥を飼っているのに似ている。
いくら美しい鳥でも、それが野生のものであれば狭い鳥篭に閉じ込めておけばやがて自ら命を絶つだろう。それが気高い猛禽なら尚のこと。昔、どこかでそんな話を聞いた気がした。
「ニナは貴方を大事に思ってるよ。…俺も、今ならそれ、分かる」
全部終わった、終わってしまったのだ。怒りも、憎しみも、悲しみも、全部全部押し流して、全て終わってしまった。なくなってしまった。
「全部、終わったんだよ」
「ああ」
「もう、全部終わったんだ、ガトー」
「…ああ」
「なのに、」
どうしてまだ、こんなに苦しいのだろう。
「おい」
少し、驚いたような声に耳を打たれて、こちらのほうがびっくりしてしまう。目を丸くして顔を上げれば、すっかり太陽の沈んだ室内で闇色に溶けたガトーの目が淡く月の光を反射していた。
「…何故貴様がそこで泣く」
「え…?」
困ったような声、そういわれて初めて自分が情けなく涙をこぼしていることに気づいて俺は驚いた。まるで何かが壊れてしまったかのように、次から次へと涙があふれて止まらない。声も無く、感情のさしたる高ぶりも無く、それでもあとからあとから流れる雫が膝にしみを作る。
「ち、が…、これ、違う…!」
慌てて両腕で顔を覆って上げる声が揺れた。泣いている、そう意識してしまってからの転落はすさまじく、子供のように声帯が引きつって嗚咽を洩らし、殺そうと喉をしぼればますます痛みが襲う。しまいにはまるで幼い子供のように声を上げてコウは泣いた。
「何が違うんだ」
これは俺が泣いてるんじゃない。
そんなのは身勝手ないいわけだろうか、しゃくりあげる先で考える言葉ばかりがもつれて上手く声が出ない。ふ、と伸びてきた指が見えて体をすくませると、触れる寸前で止まったガトーの手が見えた。行き場を失った手はそのまま何事も無かったかのようにベッドへと引き戻された。
「…っ」
シーツが舞い上がる。
止まった息はどちらのものか、たった60cmの距離、踏み込んでしまえばいともたやすく。
触れた腕は思ったよりも温かく、そしてガトーは何も言わなかった。
思わず飛び込むようにすがりついたためか、ベッドにもたれていたガトーは痛みかそれとも別の何かのためか一瞬息を詰めて動きを止める。あの時以来だ、と思わず勢いですがりついたシーツを握り締め、コウは妙に冷めた頭で考える。
薄いシーツを隔てた下のガトーの体は、一年近くこうして病室に縛り付けられているせいか、想像よりも細く、薄い。腕に抱えた腰も、驚くほどに心細い。
「…ウラキ」
貴方はどこを見ているの。
くぐもった声で問えば、頭上から降った声はしばらく逡巡してからどこも、と答えた。そうだ、ガトーの目はどこも見ていない。俺も、ニナも、ここにある何も。
ただ過去に残ったまま手の届かなくなってしまったもの、全て。俺には届かないものだ。俺も、ニナも、ガトーの望むものを与えることは出来ない、二度と。
「終わりにしよう、ガトー」
静かに呟いた声は酷く泣いたせいで掠れて、隙間風のように響いた。ぴくり、とシーツのしたで震えたガトーの動きが止まる。ゆるく息を吐く気配。顔を上げれば、またあの笑顔だ。あの悲しい顔で笑ったガトーが静かに「ああ、」と言った。
「…終わりにしよう」
長くて綺麗な指だ。
震える俺の手をガトーの大きな手が包む。終わりを望むのに、あまりにも穏やかな手だ。
「でも、俺は貴方を殺しはしない」
「何を、」
「殺さない。…でも、俺はガトーをここから逃がすよ」
アメジストが見開かれる。にがす、ほうけたように呟いた唇は、そのまま馬鹿馬鹿しい響きをなぞって嘲笑し、何を馬鹿な、と吐き捨てる。
「貴様は何を言っている」
もう迷うのはやめよう。
涙の跡の乾いた頬を拭ってコウは顔を上げた。
「ガトーをここから出してあげる。そこから貴方がどうするかは、ガトーの勝手だよ。ニナは貴方を愛してる。俺も、…ガトーを憎んではいない。」
「貴様何を言っているのか分かっているのか?」
「…俺も軍人だって、言っただろう。ガトーの言う一人前の男になってるかは分からないけど、…いろんなものを失ったし、多分この先も。だからもうこの手で人を殺すのは終わりにしよう」
全部。
…終わりに。
「馬鹿な男だ」
「自分でも分かってるよ、」
「軍法会議ものだぞ。下手をすれば死刑だ」
「分かってるよ!」
でも、決めたんだ!
怒鳴るように叫べば、ガトーはあっけに取られたように黙り込む。壁の時計が面会時間が終わりことを告げていた。
「…だから、待ってて」
絶対に、貴方をここから出してあげる。
そう言って強く握った手に、ガトーは何も言わずに苦笑した。すこしだけ体温の低い手のひら。あまりにもたくさんのものを失い、そしてこれからも失うのだろう。
それが生きるということだというのなら、その覚悟があるというのなら、この子供のような男の言葉に、少しは何かを見てもいいのではないか。
「…私も甘くなったものだな」
ウラキ少尉、お時間です。
控えめに扉を叩く音が聞こえてコウは思わず握り締めた手を離した。とっくに太陽は沈んだというのに、まだ幼さの抜けない丸い頬が赤い。
「…まるで駆け落ちのような台詞を吐く」
そうかもしれない、とコウは思った。
恋にも似ていた。あまりにも衝撃的過ぎて、めまぐるしくて、脳裏の一番深いところに刻みついてしまったのだ。
「ガトーと駆け落ちなんて、冗談じゃないよ」
すねたような声にガトーが笑う。
銀色の髪が月に透けて、きらきらひかって、
悲しそうに笑う笑顔はやっぱり、…とても綺麗だった。

作成:2011年7月11日
最終更新:2016年12月10日
お友達の本に寄稿させてもらったものでした

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