rainny days

あけるんじゃなかった。
と、心底後悔したのは久しぶりだった。もうすぐ時計は日付を越えようと、垂直の前後をバランスよく歩き続けている。
とっぷりと暮れた夜の空気は冷たく、石畳は夕方降ったにわか雨に濡れ、街灯に照らされて小さな星を散らす。

「ふーらんすー」

にへら、と多分文字にしたらそんな感じだ。と先ほど流し込んだワインの酔いを一気に吹き飛ばすほどの、酒気の直撃を受けて頭を抱える。ずいぶんと 間の抜けた声を上げて微笑んだ無防備な顔。ふらつく足。扉を開けなければ、と過ぎた後悔に自分のうかつさ加減をのろいながら、ぼんやりと街灯に照らされて 浮かび上がるのは、薄い蜂蜜色をして、いつもより2割増して乱れた髪。
とろりと酒にとかされて危うい光に揺れる碧眼。

「…」

きちゃったー、と舌っ足らずな声で零し、くたくたになったからだが崩れ落ちてくる。いつもなら蹴りのひとつでもお見舞いして叩き出すところだが、 と全身から酒の匂いを振りまきながら、なにやらたどたどしい英語だがフランス語だかを繰り返しつぶやく体を受け止めたまま呆然とつぶやく。

「La Belle au bois Dormant?・・・冗談じゃない。頼むからその辺に吐いたり

しないでくれよ。」
洗いたてたリネンのシャツは、少し湿ったイギリスの体でたちまち湿気を吸い込んでしまう。外気にさらされているくせに、酒に浸された体は少し湿っていて熱い。まるで子供みたいに。
全身から雨の匂いを立ち上らせ、なにやら愉快な笑い声を上げる体を抱えると、仕方なく居心地のいいリビングへと引き返した。
それまでリビングに立ち込めていた質のいいワインの、コルクを抜いた後の甘いような、焦がしたカラメルにも煮た芳醇な香りは、賑やかな闖入者の空気にかき乱されてたちまち霧散していく。

・・・弱いくせに。

浴びるほど飲んだのか、浴びてきたのか。たっぷりとビールの匂いの染み付いた体。
小柄なくせに、今は酷く重く感じる手ごたえの無いからだを引きずって、なんとかソファへとたどり着く。何がそんなにおかしいのか、笑い声を零す唇には、こっくりとしたギネスの柔らかな泡でできているようだ。

「酔っ払い。あんまりおいたするとお兄さんがなにするか・・・」

「えへへへへー、ふらんすだー、変な顔、ばーかばーか」

・・・。

軽くでこのひとつでも弾いてやろうと顔を寄せれば、緩みまくった表情のまま髪を引かれた。思わず笑みも引きつって、毒気も吹き飛ぶというものだ。
いくら家が近いとはいえ、酔っ払ってこんなところまで歩いてくるとは、思ったよりも重症なのかもしれない、と子供のような顔をして笑う青年を見てため息を吐く。
普段はきっちりと締めたネクタイも緩み、糊の利いたカラーもだらしなく崩れている。財布でもすられていなければいいのだが、とすっかり前ボタンが外されたジャケットのポケットをたたいてみるものの、手ごたえは無く絶望的だ。
舌っ足らずな口調も、酒に融けてしまったような表情も、扇情的というよりはいつもより幼さを強調するばかりで。
殻の破れた卵みたいだ。
と、いつの間にかあやすように湿った髪をなで続けている自分に気がつく。
イギリスは・・・そうか、イギリスは今日アメリカと会合ではなかっただろうか。
いつもは硬く閉ざして自分をあまりさらけ出すことの無い彼の、親しい物だけに見せる内面が、不自然に広がったヒビのせいで無防備にさらけ出されている。
傷つきやすい中身は、少し突いただけで簡単に崩れてあふれ出すだろう。

「お仕事はもういいのかい?」

ふにゃふにゃと要領の得ない言葉に、ぽつりと本音が漏れれば、少し潤んだような翠水の瞳が空を捉える。
どこか感情に詰まったようなもどかしさを抱えながら、もういいーの、あの馬鹿。と悪態をつく様が、痛々しい。

「こっちまで、まきこみやがってあのメタボ。ほんっと、いい迷惑だっての・・に・・・」

「いつまでも強がってないで早くユーロにしちゃえば良いの・・・に、」

あながち冗談でもなくつぶやいた一言に鋭い視線が飛んでくる。見なかったふりをして髪を梳きつづけるも、少し体温の上がったような肌。猫に威嚇されているようだ。
強がりが、心配だということはわかっていた。
最近のアメリカは柄にも無く酷く体調が悪そうだ。それはイギリスにも言えることなのだけれど、自分のことも二の次で会合に駆けつけた彼への、これは、

(嫉妬か?)

酒で紛らわす気だったのだろうか。おそらく、今日の会合でも手負いのアメリカに辛らつな言葉を突きつけられでもしたのだろう。
薄い肩。酒の熱が引き始めたからだは、ヨーロッパの太陽の遠い空を焦がれてかすかに震えている。
本当に、この国は太陽が遠い。
言葉よりも先に、腕が背中を捉えていた。

「…ふら、ん…」

さらりと乾いて柔らかなソファへ体を預けて背中から抱きとめると、少し驚いたような声を上げた後に、今のは名前を呼ばれたのだろうかと思案する。
嫉妬、だとしたらなんと浅ましく若い考えだろうか。昔のあいつはもっと素直で可愛かったんだ、とかなんとか、抱え込んだ腕の中でまだぶつくさと言葉を吐き出しているイギリスに、それはどっちのことかといってやりたい。
抱きしめた腕に、すがるように強く指が食い込んでくる。
これだけ近くに居るのに、ヨーロッパの空と同じだ、と思う。これだけ傍に居るのに、イギリスはどこか遠く、いつだって声も、指も、届かない。
いっそ腕の中で締め上げて壊してしまえればよかったのに、と最後の最後でいつも突き放すことができないのはわかっている。
あとが残るほどに強く、しがみついてくる腕を振り払えずに無言で痛みに堪え、笑みを浮かべて抱きしめた。

「ここにいるって、大丈夫、どこにも行きやしないから」

俺は、お前を裏切ったりしないから。
声には出さずにつぶやく。フランシス、と酒に乾いてひび割れた唇が、かすかに名前をつぶやいた気がした。
腕の中で上下する酒におぼれたからだを抱きながら、これは酷く長い夜になりそうだと苦笑する。

「ほんと、ここまで君に甘いのはおにーさんだけですよ、と」

自分の体を下敷きにするようにソファへ身を投げ出すと、もう洗いたてたリネンのシャツも、シャワーを浴びて甘い香りをなじませた自慢の髪すら、どうでも良くなった。
たまには、酒臭い体を抱いて朝まで付き合うのも悪くは無いだろう。
疲れきった顔を、今は安堵に緩ませて深い寝息を立てる横顔を見て、かき上げた前髪の隙間から汗ばんだ額へ唇を落とす。
朝になって目を覚ました後、大騒ぎするイギリスの姿が目に見えて自然と唇が緩んだ。
二日酔いが酷いと泣き言を言う彼のために、明日は早く起きよう、と思った。
たっぷりのオニオンをスライスして溶けるまで煮込んだスープを作るのだ。

「お休み、アーサー」

久方ぶりのあまやかな休日の朝を思って、彼は腕の中のぬくもりを大切に抱きしめた。

作成:2009年6月17日
最終更新:2016年12月11日
英を甘やかす兄ちゃん。愛とは違うけど、最後まで英を見捨てないのは兄ちゃんだと思う。

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