初夏

じわじわと窓の外でアブラゼミが鳴いている。
広く開けたてられた縁側は広く、障子の枠の直ぐ外はさんさんと明るい太陽が差し込んで白く色が飛んで見えた。
あれだけ焦がれた太陽なのに、と緩めたシャツの胸元を、まるい紙の貼ってある棒で仰ぎながら潰れたカエルみたいな情けない声を上げた。
「あーーー、っちぃ…」
庇に吊るしてある赤い魚の描かれたガラスの細工が、時折ちりちりと涼やかな音を鳴らすものの気温自体が下がるわけでもない。湿気には慣れていたが、湿気と気温が合わさるとここまで凶悪なのだとは思いもよらなかった。
空調に慣れてしまった体は情けなく、しっとりと汗で張り付いたシャツとスラックスが煩わしい。
「あっちいよ、馬鹿っよっかかんなって!」
西瓜でも切ってきますね、と一人涼しげな顔をした本田が部屋から出ていってからどれぐらい経ったのだろう。
たかが西瓜を切るのに何分掛かるのだといぶかしがりながらも、背中にぴったりと重なった背中をなんとか振り落としたくて身じろぎする。縁側の日陰に座った自分を背もたれがわりにしている、この子供。
「動かないで欲しいんだぞ」
自分よりよっぽど体脂肪なんか多そうな癖をして、と多少恨めしく感じながらラフなTシャツにジーンズに足を突っ込んだままのアルフレッドを見返す。
目の前のゲームに夢中で、完全に無我の境地、といったところか。手元のグラスにはとっくに空っぽになった麦茶が、溶けた氷を手持ちぶさたに佇んでいて。
僅かに身じろぎをした自分にあわせるように、わざわざ背中を重ね直してぼそりと呟く。
「…だから、あっついっていってんだ、この馬鹿、お前体温たっかいんだよ」
汗ばんだ背中がくっついて居心地が悪いのは、互いの体温が包み隠さず筒抜けてしまうせいだろうか。
蝉がうるさい、なんでついてきてしまったのだろう。花火があるんです、良かったら見に来ませんか、なんて。別に態々アメリカと連れ立ってくることは無かったのだ。
迂闊さに自分に腹をたてながら、背中の言い分にはほとほと呆れてしまう。
「あああ!動かないで、動かないでってば、ぅあ!」
シット、と珍しく口汚く悪態をつく舌打ちと共に聞きながら、振り向けば、テレビの向こうにゲームオーバーの文字。コントローラを投げ出した大きな子供は、渋面を浮かべて画面を睨み付けていた。
「君が動くから死んじゃったじゃないか!」
「…なんで俺のせいなんだよ」
振り向いたアルフレッドと肩越しに瞳が合わさる。近い。眼鏡の奥の瞳は、窓の外の空のような、鮮やかな空色だ。
もう一回やり直しだのなんだのと、ぶつくさ呟くアメリカ。ざまあみろと思っていると、伸びてきた腕にひょいと体を捕まれ、あぐらの上に下ろされた。抱え込むようにコントローラを握っているせいで腕の中から逃げられない。
「ちょ、だから何だよ!暑いっていってんだろっ」
「君がもぞもぞ動くから集中出来ないんだろ、ちょっと大人しくしていてくれなんだぞ!」
なんだよそれ!
頭の上に顎まで載せられ、本格的に逃げられなく成りながら悲鳴じみた声を上げる。目の前の画面には、よりにもよってホラーゲーム。最悪だ、と頭の上の顎のせいで目を反らせずにジーンズの膝を叩く。

あっついし、
ゲームはバカみたいに怖いし。
汗くさいし。

じわじわと熱気に蒸されて汗が滲む。
時々頭上でも汗を手でぬぐっている気配が伝わって、暑ければ離せばいいのに。とぬいぐるみか何かを抱くような恰好で固まったアメリカの、コントローラを握る手をずっと見ていた。
自分のよく知る、丸く小さな手ではない。筋張って大きな、大人の手。そう言えば…まだ彼が幼い頃は、よくこうやって膝の上に抱いて絵本を読んでやっていた気がする。
かちゃかちゃとコントローラが立てる音で、過去に繋がった意識が戻ってくる。

匂いが。

ふわりと包まれるようなアルの匂いが、否応なしに記憶を引きずる。
「…なんだよ、体ばっかりでかくなってんじゃねーよ、」
聞こえるはずもない、と思いながら呟いた声は、案の定聞こえていなかったらしい。
がちゃがちゃとボタンを連打する指。なんだか悔しくて、くるりと首を回すと、ちゅっと音を立てて鎖骨に噛みついてやった。
がちゃんっ

鈍い音。
ちょっと跡になったかもしれないと思いながら口を離せば、唖然とした顔でコントローラを取り落とした幼い横顔。画面には、今日何度目になるか分からないゲームオーバーの文字が踊っていた。
「あーーー!イギリスっっ、君、っ君、はねぇっ!」
真っ赤になって捲し立てる顔を見て、なんだやっぱりまだ子供じゃないかと安堵する。噛まれた首を押さえて、アメリカがさけぶ。
「なんで君はそうやって無駄にエロいんだ!」
「うるせー馬鹿、エロくねーよ!」
ぺちん、と音を立てて太股をひっぱたくと、今度こそ腕の中から抜け出す。
丁度タイミング良く襖が開き、やけに機嫌の良い顔の本田が顔を出した。
「すみません、お待たせしてしまって。素麺を頂いたので茹でてきました」
「あ、ああ。ありがとうな」
にこにこしたまま低いテーブルに山盛りの麺と、切り分けた西瓜を並べている。何時もなら真っ先に飛び付くはずのアメリカは、テレビの前で真っ赤になったまま佇んでいた。
「アメリカさん?どうかしましたか、もしかして素麺嫌いでしょうか」
あくまでにこやかな本田にさとされて、渋々といった感じでアメリカが席につく、食べる、と呟いた言葉を最後に彼が食後まで口を開くことは無かった。
「ふふふ、ご馳走さまです。どっちも美味しいものですね。」
余談だが、後日本田から何やら写真が広がったらしいと聞いたのは、また別の話だ。

作成:2009年7月30日
最終更新:2016年12月11日
暑苦しい!

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