がんもどき

えっ、違うの。

コウはそういってぴたりと箸を止めてしまった。割り箸の先では汁をたっぷり吸い込んで重たくなったひじき入りの厚揚げが、ぽたりぽたりと出汁をこぼしている。
「垂れてるぞ。早く食べてしまえ、行儀の悪い。」
「あ、うん」
洗ったばかりのテーブルクロスを汚されても堪らない。ぽかんとしたままのコウを促すと、彼は腑に落ちない顔をしながらもたっぷりとしたそれを口の中に押し込んだ。
汗だくになりながら。
アイスを買いにいったはずのコンビニで、「夏おでん」とかかれたノボリにまんまとのせられたのか、
帰ってきたコウの手にはアイスの袋とコンビニの、おでんのパッケージがぶら下がっていて。
下りに差し掛かっているとはいえ何が悲しくてこんな暑い中にわざわざ冬の食べ物を食べなくてはならないのかとガトーは頭を抱えた。
ともに買ってきたらしいビールはなんとか及妥点とはいえ、流されて汗だくになりながらおでんを食べている自分も大概だ。
大ぶりのがんもどきを口に押し込み、案の定真っ赤な顔であたふたしているコウをはた目に缶から直接ビールを流し込む。ほろ苦い炭酸が、心地よく喉を刺激しながら胃袋に滑り落ちていく。
まぁ、悪くない。
と、涙目になりながらごくごくとビールを飲んでいる目の前の青年を見つめる。
そんなに慌てて飲んでいると、喉に入るぞ、と言おうと思ったところで彼は綺麗にむせ込んだ。顔を赤くしたり青くしたりしながら唇を押さえてあたふたしている。
子供という歳でもあるまいに、いつまで経っても変わらないコウの、綺麗に揃えられた前髪が汗で額に張り付くのを見ながらこっそり苦笑する。
こっそりといっても、コウにはばっちり見つかって「笑うなよ」とむくれられてしまったけれど。

全く暑い。

このところすっかり秋の程を為して穏やかに天高くなりつつあった気候が、目の前のおでんをもって一気に戻ってきたような気がする。
がんもどきをなんとかやっつけたらしいコウは、相変わらず汗だくになりながらビールを飲んでいる。
ごくごくと音を立てて健康的な喉が上下する様は、いかにも「正しい」ビールの飲み方で、旨そうだ、とこちらのビールまでまるで極上なものに思えてくる。
食べ物を美味そうに食べる人間に悪い奴はいない、というのが彼の祖母の持論でもある。
コウは、
コウは再び「違うんだ、」と犬のような顔をして、今度は表皮の色が茶色になるまでしっかりと出汁の染みた卵を箸に取っている。
「がんもって丸いので、がんもどきは四角いのじゃないの?」
「がんもどきの略ががんもだろう。形は関係ないと思うぞ」
「えー、うそだぁ」
こんなことで嘘をついてどうなる、とガトーは思ったが、美味そうに卵を頬張っているコウの手前、わざわざ口を出すのはやめておいた。
「ガトーたまご。」
一つ目を食べ終わったコウが、二つ目(どのタネも律儀に二つずつ買ってきたらしかった)を見つめて箸を指す。
行儀が悪いぞとたしなめながらもガトーはそれをコウの皿へと押しやっておいた。
どのみち、自分はおでんの煮卵は好きではない。
煮すぎて黄身がぱさぱさするし、崩して食べればおでんの取り皿に黄身が溶けて出汁が濁るのも苦手だった。
「美味しいのに」
自分でねだっておきながら、コウは怪訝そうな顔をする。
確かに、ぱくりと大きな口を開いて卵を頬張る彼を見ていると、それがとても美味そうに見えた。
崩れた黄身に濁る出汁など意図もせず、コウは卵の溶けたスープを飲み干す。健康的な喉を、汗が流れ落ちていった。
「じゃあ…ガトーにはこっちあげる、ちくわぶ」
「ちくわぶ?」
聞きなれない単語に今度はこっちが怪訝な顔をする番だった。
コウが押しやって来たのは、鳴門に穴を開けてもっと大雑把にしたような代物だった。
「竹輪じゃないのか」
餅のようなそれを皿に取りながら聞けば、コウは竹輪じゃないよー、と二つ目の卵を頬張りながら笑った。
どうやらこの男にコレステロールの概念は欠如しているらしい。
「竹輪麩。魚じゃないもんそれ。ガトーがんもどきは知ってるのにちくわぶは知らないなんて変なの」
「うまいな」
押しやられたそれを、もちもちと噛み締めながら呟けば、えーっとコウは信じられなさそうな顔をした。
「俺あんますきじゃない…」
じゃあなんで二つ買ってきたんだと思いながら二つ目のちくわぶを皿にとる。
気の抜けたもちのようなそれを、ガトーは好きになっていた。
「私もな、煮卵はあまり好きじゃない。」
「えー」
「ぱさぱさするし、出汁が汚れるじゃないか」
「おでんはそうやって食べるんだよガトー、ぱさぱさしてるのは、卵を半分に割って出汁を足しながら食べれば良いんだよー」
「そういうものなのか」
「そういうもんだよー」
ではなぜちくわぶが好きじゃないのかと問えば、コウは味がしないからだと変な顔をした。
「出汁が染みてて美味しいじゃないか」
「だってちくわぶって大根みたいに出汁染みないんだもん」
そのためにこの穴が開いてるんじゃないのかとガトーは思ったが、神妙な顔をしたコウに見つめられて言い出せずにいた。

まぁいいか。

冷たいビールでちくわぶを流し込む。おでんは今まで通り卵もちくわぶも二つずつ買えば良い。
コウは卵を二つ、自分もまたちくわぶを二つ、食べれば良いのだから。
「夏おでんもわるくないな」
案外本心から呟けば、にんまりと笑ったコウが勝ち誇ったように「でしょ、」と言った。
「わー、おでん食べたらあっつい!」
「アイス買ってきたんじゃなかったのか」
汗だくになりながら座椅子からひっくり返ったコウに言えば、そうだったと跳ね起きて、がさがさと冷蔵庫に這い進む。
戻ってきた手には、クリーム色と水色のパッケージが握られていた。
「パピコ!チョコとホワイトソーダ半分ずつね。」
嬉々として、ぱきんと二つ繋がったアイスを割りながら、笑って片方差し出してくる。
夏が終わるな。
ベランダに並んでアイスを食べながら、鳴き始めた日暮を聞きながらガトーは思った。
「今度は秋刀魚にしようね」
隣を見れば、何の疑いももたない顔で笑いながらコウがアイスを食べている。
この夏最後になりそうな風鈴の音を聞きながら、夏おでんとアイスをならんで食べた、そんな1日だった。

作成:2009年9月01日
最終更新:2014年4月13日
夏に食べるおでんもおいしいよね。っていう話。
「君の隣で食べればなんでもおいしいんだよ」って、ガトーもコウも思ってても言わないと思う。

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