カラスの行水底抜け風呂

 ブリッジには、いつもとは違う、湯上りの華やかな香りが漂っていた。
 共闘のアークエンジェル艦長の好意により解放された共同入浴施設、通称天使湯。は運よく手に入ったスペースデブリ内の大量の氷塊を利用することにより、稼動へとこぎつけた。今は戦闘のさなかとはいえ、気を張りっぱなしでは体調も崩すというものである。
「たまには息抜きも必要でしょう?」
 と。若き女艦長の発した、文字通り天使の一声で、ホワイトベースブリッジにも、俄小さな歓声が上がった。上気した健康的な肌を艶めかせブリッジへ戻ってくる女性仕官たちは、まあ、目の保養というところで。たまにはね、とささやき交わす乗組員たちも満更ではない。
「カイさん、今なら人少なかったですよ」
 濡れた赤毛もおざなりに、部屋でくつろいでいたカイの元へと顔を出したのはアムロだった。わざわざ知らせに来てくれたのも珍しい、と思いながら顔を上げると、早速後ろからタオルを持った幼馴染に小言を言われている。癖のある赤毛が文句を言いながら廊下の向こうへと消え、カイは読み止しの本を閉じると重い腰を上げた。

 ――戦艦に温泉なんて、どうなってるんだコレは。

 かぽん。と白くかすんだ空間に、なんとも間の抜けた音が響く。
「なんかさァ、こうも施設が違うとモチベーション?っていうの?そういうのがねェ」
 不健康に痩せた背中が一つ。背骨の浮いた貧相な背中を、これまた猫背にしているせいで、景気が悪いどころの話ではない。
 カイの眺める先では、おざなりに泡にまみれた背中を、たらいに汲んだ湯でひとなめ。ざばり、と流れ落ち、渦を巻いて排水溝へと流されていく。
 出かけ際、ブライト君、とよく通る甘やかな声に戸惑いながら返事をしていた。いつもはそこそこ頼れるはずの艦長の背中を思い出し、カイは湯船に沈めたタオルで空気を集めた。手の中で押しつぶせば、ぶつぶつと文句を言いながらまるいタオルは細かい泡を吹き出していく。
「そういってやるなよ」
 豪快に湯をほとばしらせて泡を流した背中が笑う。自分とは随分違う、一回り、下手をしたら二周りはたくましい背中。引き締まった筋肉の筋が走り、腕はうっすらと日焼けしているせいで色の境目がついている。宇宙に居ても日焼けなどするものなのだろうかと少し不思議に思っていると、絞ったタオルを頭に乗せた男が、湯船をまたいで隣に腰を沈めた。
 ざ、ざああ。
 一瞬浮いた体と、盛大に湯船から零れ落ちる湯。少しくすんだ金髪が水に濡れて、収穫前の小麦のようにきらきらと光った。

 天使湯。

 とえらく浮かれた名前の書かれた暖簾の先は、ただ今絶賛男湯タイムだ。ここが戦艦の中だなどと、言われなければ誰が気づくだろう。
 天然の岩を削りだして作ったらしい湯船は、案外本格的なもので、湯にも何か薬剤が混ぜてあるのか乳白色に濁り、甘い匂いがする。
「アレでも良くやってると思うね、俺はさ。まだ十九だとか言ったっけ」
「ふうん、意外と評価してるんだ」
「当たり前でしょ。君らと違って正規の軍人だってね。…ちょっと熱いな」
 頭に乗せた手ぬぐいで汗をぬぐうスレッガーの、上気した鼻先が湯気に霞んでいる。カイはわざとおどけたように笑うと、手の中で細かい泡を吐き出し続けているタオルを一気に押しつぶした。大きなあぶくを一つ吐いて、それは湯の中でたなびく。
 人が少ない、のアムロの言葉に甘えて共同風呂に来てみれば、そこには先客が居て。思わず引き返しかけたが、その影を見て踏みとどまる。寄せ集めのWBではあったが、追加戦力としてつい先日組み込まれたばかりのスレッガー・ロウ中尉。ブライトと同じ階級ではあるが、経験の差は言わずもがなである。
 飾るところの無いこの男が、カイは嫌いではなかった。まあいいか、と踏みとどまった延長でのお喋りは、いつの間にかそのブライトへとたどり着いていた。
「普通艦長なんてのは、何年も艦長の下で下積みしてからなるもんなの。まだ十九って言ったっけ?なら士官学校出立てのぺーぺーでしょ。それなのにこんな仕事押し付けられてさ」
 俺だったらごめんだね、と。
 そう呟く彼の声に、やや同情が滲んでいるように聞こえて、カイはブリッジで眉間に皺を寄せていたブライトの横顔を思い出す。少なくとも、と声には出さずに呟いた。少なくともその眉間の皺の原因のいくばかは、この目の前の広い背中の男が原因だと、彼が分かっているのかどうか。
 自分自身、色恋沙汰に現を抜かしているような余裕が無いからかもしれないが、どうもこの男が着任してからのWBの空気は今までとは少し違う空気をまとっている。いい意味でも悪い意味でも、だ。
 それはまあ、自分とは到底交わりもしなさそうな場所の出来事ではあったが。
「ヒトゴトですなぁ」
「そういう君も、大分ヒトゴトで済まそうとしてますがね」
 わはは、といかにもワザとらしく笑い声を立てたスレッガーは、前を向いたまま器用に指でっぽうで湯を飛ばす。奇麗な放物線を描いたしぶきは、湯船の真ん中当たりに着水した。波紋を広げながら消えていく。
「正直中尉はどう思ってるんです、」
 瞼を閉じていても、スレッガーの、笑う背中が焼きついているようだ。この男は、本当に楽しそうに機体に乗る。きっと同じく、楽しそうに恋もするのだろう。そんなことが出来るこの大人が、カイは少しうらやましくも思えた。自分にはきっと一生できない生き方だ。
 戦場でも恋が出来る女とは違って、男は恋などしないと思っていた。…自分が生き延びることだけで精一杯だからだ。だが違うのだとスレッガーは言う。
 ―生き延びるために。かね。そういうのは。
「俺かい?そうだなぁ、好きだねェ」
 正直自分にはピンとこないので、その言葉に素直に感心してしまう。ミライ・ヤシマとは。かくも魅力的な女性なのだろうか。
 確かに、おっとりとしていて、面倒見が良くて、…声が優しい。セイラが激しい輝きを持つ宝石だとしたら、しっとりとやわらかい真綿のような、とでも言えばいいのだろうか。それが魅力的なのかと問われれば…良くわからないが。
 さらりと好きだなどと言い放たれた言葉に、やや脱力しながらタオルを絞る。
「多分それ、言ったらめちゃくちゃ怒りますよ」
 艦長が。
 今頃は、七つ上の美人女艦長に呼び出されて、あれこれ心労を増やしながら仕事をしているであろう我らが艦長!スレッガーが好きだと言う意味は果たして、と言ったところである。
 アークエンジェル、なんて仰々しい名前のついた新造戦艦は、はっきり言ってブライトの手に余る。(おっぱいがやけにでかい)向こうの艦長もそんなことは百も承知だろうに、今は確かに協力を渋っている場合ではないのは分かっていた。
 なんせ相手はあのシャアである。
「好きになる口実なんてものは何でもいいってやつだ」
「はぁ?」
「ちょいと生意気だとか、ほっとけないとかな」
 要領を得ない投げかけに首をかしげていると、びゅっと顔面めがけて飛んできた湯が、思いっきり直撃した。
 文句を言うよりも早く、スレッガーが耐え切れなかったように吹きだす。
「俺だったらごめんだけど。男に好かれるなんざぞっとしないね。でもな、ああいうカタブツには、文句を言われたり、愚痴を垂れたりする相手が居た方がいいって思うわけさ?俺はね」
「…何の話です」
「そりゃあ我らが愛すべきブライト・ノア君だろう」
「うん…?」
 ちょっと待って、とカイは慌てた。さっき自分が投げかけた会話の続きらしいスレッガーの言葉は、「中尉はどう思ってるんです、」のお尻にくっついている。そういう意味で言ったんじゃないんだけど俺、と濡れた顔をぬぐいながら隣を見上げた。「中尉はミライさんのことを」「どう思ってるんです」。そのつもりで指したつもりが、ブライトに宛てた言葉になってしまったらしい。
 良かったじゃないの艦長、とカイは笑った。アンタ好かれてますよ、アンタがいけ好かないと思ってる中尉さんに。
 どっちにしろブライトは怒りそうだ、と絞った手ぬぐいを頭に乗せながらカイは伸びをする。スレッガーが言うように、確かに少しここの湯は熱いようだ。長湯をしすぎないように、との心遣いなのか何なのか。そろそろのぼせそうになって、ざばりと湯船の縁に足をかけた。
「烏の行水」
 頭にタオルを乗せたまま、まだ湯船に浸かっているトップガンを見下ろして、アンタみたいに体温高くないんで、と一人ごちる。無論口に出したわけではないが、彼はなんとなく言わんとしようとしたことを察したのか静かに眼を閉じた。
 やせ細った貧相な自分は、確かに烏といわれれば烏かもしれない。でもねぇ中尉。俺別に他人の色恋沙汰に嘴突っ込むような下品な烏には、なりたか無いんですが。と、これ以上長いすればその役回りにもされかねない危機感を感じて腰にタオルを巻きなおす。
「じゃ、お先に」
 口元に相変らずの半笑いをたたえたままのスレッガーを振り切り、脱衣所へと上がる。すりガラスの向こう側で、くすんだ金髪が湯気に霞んでいた。恋だのなんだのと、暑苦しい話題を語るのと同じ口で、さらりと好きだねェなどと言えてしまうあの男。
(そりゃもう、敵うわけないでしょうよ艦長サン)
 艦に戻ってくる口実なんて、たとえ恋じゃなくたってどうでもよくて、それがつまり、彼にとって「ちょっとほっとけない」相手が。
 嫌がるぞー、と湿った髪をぬぐいながら彼は笑いをかみ殺す。よりにもよって、だ。相手が悪い。それでも、少なくとも好意を持って可愛がっているというのは、カイにとっては面白くて仕方なかった。
「ミライさんも罪な女、ねぇ…」
 半ば独り言じみた呟きは、無意識に毀れてしまったものらしい。なにやら異国の言葉で題字の書かれた暖簾を潜り、むっと湿った脱衣所から無機質な艦内へと足を踏み出すと、丁度休憩時間にはいったらしいブライトと鼻先をぶつけるところだった。
「おっ、艦長さんやっと解放されたの」
 心なしかやつれて見えるブライトは、果たしてあの女艦長(たしかマリューとかいっただろうか)に何を言われたのやら。やせた背中をますます細くして、ふらりと驚いたように足をとめる。カイ、とこぼした声も幾分頼りなく聞こえるのも、疲れのせいだろうか。それとも、先ほどまで対照的なスレッガーの声を聞いていたからだろうか。
「…ミライがどうかしたのか?」
「そういうところは地獄耳っていう」
 彼としては他意はなかったのだろうが、きょとんと不思議そうな顔で呟かれた言葉に思わずカイの口が緩む。何でも、と返す言葉もどこと無く楽しげだ。
 アンタは何のために恋愛するのかね、と。そう聞ければいいのだろうが、そこまで下品な烏にはなりきれないカイは、ごゆっくり、と、いたわるフリをした。多分、ブライトにはそんな計算など端から無いのは分かっている。彼はそういう男なのだ。
(だから好かれるんでしょうよ、中尉にもね)
 極限状態にあるとはいえ、そんな中でもきちんと人らしく立っているブライトは、それだけで眩しかった。感情の温度が揺らぐのを隠せない、不器用で真っ直ぐな背中。だからこそ、人を惹きつけるのだろう。
 かく言うカイ自身、相当人の好き嫌いは有るほうなのだが、不思議とブライトに対しては警戒を抱く気にはなれなかった。
「暢気だとも言う。かな」
 暖簾を潜って湯煙の向こうに消える背中を見送って、溜息を一つ。「あ、」と声を上げる。
(スレッガー中尉がまだ入ってますよって、言いそびれたな)
 多分ブライトはわずらわしさから解放されて、やっと一人で落ち着けると思っていたのだろう。まあいいか、とカイは構わずWBへの連結橋へと足を向けた。
「ゴシューショーサマ」
 呟く声は、どことなく楽しげだ。
 それからしばし、湯当たりでのぼせたブライトをスレッガーが担いで戻ってくるまで、

 ――あとすこし。

作成:2015年8月09日
最終更新:2015年8月09日
* Gジェネアドバンス設定でした!
以前お呼ばれした、「お風呂」をテーマにした宇宙世紀合同誌に寄せたお話でした。
ブライト不在の噂話、カイさんとスレッガーさん。この二人の組み合わせ(カップリングではなく)カイメモで見てから偉い好きです。
カップリングはスレブラのつもり。苦労人艦長はいろんな人に愛されている、はず。

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