始まりの日

 今回組んだバディの第一印象?……あんまり覚えてないな。
 目の前の椅子に押し込められるように座った背の高い青年は、しばらく考え込んでからやっぱり覚えていない、と首を振った。
 筆記試験、オール5。実技ともにオール5。
 成績だけ聞けば文句無しの優等生だ。ただ1点だけを除けば、ではあるが。
「ジェファーソン・デイビス、口答試験中です。余所見をしない」
 落ち着き無くきょろきょろとあたりを見回していた色の鮮やかな空色の瞳は、退屈そうに瞬きを繰り返すと、はぁいと間の抜けた返事を返した。
「ベース、これ成績に関係するの?さっきから何か世間話みたいなことばっかりで」
「コミュニケーションはバディを組むストームライダーには必要不可欠なことですよ。上手く相手の 動きをカバーできなければお互い暴風に巻き込まれて命を落とす危険もあります」
だってライダーは最新鋭の技術を結して作られた機体で、相当頑丈なんだろ?と、好奇心旺盛なその目は口よりも雄弁だ。
「ジェフ。いいですか?貴方は筆記実技ともにこの訓練校始まって以来の好成績を収めています」
「だったら!一人でも大丈夫だって言ってるじゃないかベース!俺はちゃんと今まで一人でもこなしてきた、シュミレーションでは一回も落ちたことだってなんだぜ?」
「あくまでシュミレーターでの話です」
 何度目かになる溜息を吐いてベルは書面を叩いた。
 ジェファーソン・デイビス。age20、筆記実技ともにオールAランク。
 文句無しの優等生、ただし。
「あなたには協調性というものが欠如しています」
 先ほどのシュミレーターを使ってのテストも、バディを組んだ同期の機体がバランスを崩すのもお構いなしに単機でストームを突破、消滅。フォローは無し、だ。
 シュミレーターだからよかったものの、ストームの気流に巻き込まれた同期の機体は大破している。データ上出なければパイロットの命は無かったかもしれない。
「先ほどのテストでも仲間を見捨てましたね。あの状態からの回復方法は」
「……小型のディフューザーで乱気流を爆破、消滅、バランスを崩した仲間の機体の速やかな回復と気流からの退避」
「正解です」
 奇麗に模範解答を述べる拗ねた横顔にうなずいてみせると、シュミレーターでの結果レポートをめくりながら続ける。
「しかし貴方はそうしなかった」
「……タイムが」
「スコアの問題ではなりません。これはゲームではないのですよジェフ。任務です」
 不服そうな瞳は、早く本物のライダーに乗りたい、と切実に訴えている。何度も何度も見た。授業中に繰り返し見たのはけしてスマートとはいえないようなまるっこい機体を、それでも鋭く操って巨大な暴風を壊滅させていくストームライダーの姿。
 夢にまで見たのだ。CWCのストームライダー。嵐を切り裂いて飛ぶ姿!
「イエスサー、ベース」
 力なく敬礼したデイビスは目に見えてションボリとうなだれている。怒ったり喜んだりとまあ、忙しい男だ。
「昨日見た実務映像を覚えていますか?」
「ああ、航空力学の授業中に見た去年のストームの消滅映像?」
 そうです、と頷いて手元のパネルを引き寄せると壁のモニターへ映像を映し出す。そこには風を切り裂いて飛ぶ2機のストームライダーの姿があった。目に見えてデイビスの表情が明るくなる。
「この機体をどう思いますか?」
「どう……って」
 どうと言われても困る。しばらく困ったように逡巡して、結局デイビスは答えを見つけられないまま救いを求めるようにベースへと顔を向けた。小さなため息を一つ。まるで子供に言い聞かせるようにゆっくりと彼女は口を開く。
「本来ライダーはバディで行動します。お互いをフォローしあって確実にストームを消滅させるのが目的ですから。それにもう1つ」
「もう一つ?」
「……万が一にも一人が任務続行不可能になったとしても、危険なストームを放置して何万人もの命を危険に晒さないため」
 つまりは、代えのナイフということだ。
「だったら、」
「しかしそれは最終手段です。基本はバディはお互いの命お確実性を高めるための相棒です。」
「ベース」
 何か言いかけたのか、椅子から立ち上がろうとするデイビスを制してベルは原稿用紙を差し出す。とたんに表情を曇らせる青年を見て席を立つと、後ほど反省文を取りに来る旨を伝えて彼女は指導室を後にした。



「苦労されてるようですねベル司令官。」
「キャプテン」
 苦い顔をしているのはインスタントで入れたブラックのコーヒーがまずかったことだけではない。訓練生たちの教室から離れた指導スタッフの部屋で各生徒の成績表を見ていると、実習室から上がってきたスコットが食堂から持ってきたらしいクッキーを差し出してきた。
「ありがとう、頂くわ」
 机に置いたデイビスのプロファイルを拾い上げて若いキャプテンが肩をすくめる。どうやら彼の評判はアカデミー全体に知れ渡るところらしい。
「ジェファーソン・デイビス……ですか。聞くところによれば、かなり優秀な生徒だという話ですが」
「成績とシュミレーションの実績は優秀ね。ただ協調性ゼロ。バディを組ませても仲間をフォローできない、ライダーとしての適正ははっきり言ってゼロよ」
 貴方はどう思う?とアカデミー始まって以来の成績優秀な問題児のファイルを見ていたスコットに視線で促す。彼は結して成績優秀だったとは言いがたい、実技の方も目だってスマートな操縦をしていたわけではないが、仲間のフォローは抜群に上手い男だ。その技量で何度も巨大なストームを消滅させていたし、彼と組んだバディは決して墜ちない、とまで言われている。
「そうですね、成績は私よりもよほど優秀だ。これなからすぐにでもトップライダーになれるでしょう。レベル5のストームだって軽く消し飛ばせる。データ上では、ですが」
 引き結ばれた硬い唇が楽しそうにゆがむのを見て、ベルは小さく溜息を吐いた。この男がこういう表情をするときは、決まって大人気ない悪戯を思いついたときだ。
「指令、この学年はまだ擬似実技訓練は行ってませんでしたね」
 擬似実技、とはシュミレーターではなく、実際のストームライダー(ただし、訓練用の小型のモデルだが)に乗り、気象コントロールセンターの管理する広大な敷地の中で、人工的に発生させたストームを空いてにした、いわば模擬訓練のことだ。
 毎年CWC付属のアカデミーの卒業試験としても用いられ、成績優秀者の中から数名は事前演習を行う権利を得ることが出来る。
 バディサポートを勤めるのは現役のストームライダーキャプテン、実習生は僚機となりキャプテンの指示に従う事になっていた。
「……キャプテン、まさか彼を模擬実習に出すつもりですか?」
「成績優秀者と聞いておりますが。実力に問題は無いはずでしょう、指令」
 書類をファイルに入れなおしているスコットの横顔はやけに楽しげに見える。鬼教官とまでは行かないが、いままでスコットは何人もCWCのいわゆる「問題児」たちのじゃじゃ馬ならしを買って出ている。面倒見がいい、というよりもむしろベルには、それがまるで彼なりのストレス発散方法のように見えていた。いい趣味をしている、とも。
「問題は有りませんが……キャプテンスコット、彼は今までの生徒と違って一筋縄ではいかないと思いますが」
「……問題ないでしょう。」
 あらかじめ用意してあったのか、こちらを見据えて差し出したスコットの手には、デイビスの名前の書かれた実習許可証が握られていた。あとは総司令であり、責任者である自分のサイン一つで、彼を模擬実習に参加させることが出来る代物だ。
「あなた最初から」
「さあ、どうでしょう。ただ……そうですね、もし彼がトップでアカデミーを上がってくるなら、イヤでも近いうちに顔を合わせることになる。その前に一度くらいお手並み拝見と行きたいところですよ」
 今日のキャプテンは良くしゃべる、とベルは書類を受け取りながら幾度目かになる溜息を吐いた。この男は完全に楽しんでいる。
 いくら成績優秀者とはいえ、まだ本物のストームには立ち向かったことの無い、いわば飛び方だけ覚えて空を飛んだことの無いツバメの雛のようなものだ。
「……あ、指令」
「なんですかキャプテン」
 サインを終えた書類を受け取りながら、ペンのキャップを外したスコットは、書類の一番した、ストームレベルの欄を差して、斜線を引いて記入をけすと、一つ右隣のレベル2のところに丸をつけた。
 ……レベル2、卒業試験に用いるストームレベルだ。はっきり言って最初の模擬実習にはレベル1ですら地獄を見るというのに、だ。
「CWCアカデミー始まって以来の優秀生徒だと聞きましたから、これくらいのハンデは問題ないでしょう」
楽しげに封をしているスコットを見て、ベルは今反省文を必死に書いているであろうデイビスの不幸を嘆かずには居られなかった。
「……落とさないでくださいよキャプテン」
「もちろん」
 もちろん、墜ちるはずなど無いのだ、この男が居れば。



 その日、アカデミーのTOPクラスは俄か興奮に包まれていた。
 入学最短の記録で実務訓練が行われるとの通知が張り出されている。

9月14日
第14期CWCレベルAクラス 模擬演習
テストエリア:ポート沖20km
キャプテン:スコット・アンダーソン
僚機:ジェファーソン・デイビス
ストームレベル2

「おいデイビス!見たかよあれ!」
 興奮気味に演習室に駆け込んできた同期に小突かれて支度をしていたデイビスは得意げに鼻を鳴らした。
いつかは、と待ちに待っていた模擬演習だ、しかもどういうことだか分からないが、卒業試験と同等のレベル2に設定されている。演習場はここから一番近いポートの沖20km船舶立ち入り禁止区域で行われることになっていた。そこまで小型ライダーで向かい、そのまま模擬に入る流れである。
「みたみた。レベル2だぜ?やるだろ!」
 嬉しげに声を弾ませてフライトジャケットに身を包むデイビスは手馴れたものだ。ヘルメットを取り、バックパックに計測機器をつめるとポートに向かってバイクを飛ばす。
 スコット・アンダーソン、聞いたことの無い名前だ。
「……初めましてジェファーソン・デイビス。本日君のサポートを勤めるスコットだ」
 港にバイクを止め、ライダーの係留してある淵まで歩けば、すでに準備を終えていたらしい一人の男とベースの姿が見える。ベルは、手元の無線機でポートの中にある気象コントロール施設と絶えず通信を取っている模様だった。効率よくレベル2のストームを発生させるにはそれなりの神経を張り巡らせなければならない。
 万が一にでも民間人を巻き込めば、CWC自体が存続の危機に晒されるからだ。
「よろしくキャプテン」
 随分大きな男だ、と思った。
 それにつまらなそうな奴だとも。
 まるで軍人のようにぴんと伸ばされた背筋のせいかもしれないが、がっしりとした骨格をフライトスーツにつつみ、手袋に覆われた手を握り返す。ダークブラウンの髪は撫でつけられ、彫の深い目元も同じくブラウンだ。軽く握手を交わしてデイビスはヘルメットをかぶることにした。いつもシュミレーターのときはヘルメットはかぶらない。バイザーのついたヘルメットに視界を制限されるだけで、随分と息苦しい気がした。
「それでは、本日のブリーフィングを行う。デイビス、今日の目標の事はちゃんと資料を読んできているか?」
「ストームレベル2、設定は雨を伴わない強い暴風のみ、熱帯低気圧ではなく風からの発達方、ストームディフューザーは小型を2台用意、時速は30kmで東北東に移動」
「完璧だ、驚いたな」
 書類を片手に素直に驚けば、人懐こい笑顔を向けたデイビスはまあね、と得意げに鼻を鳴らす。記憶力もたいしたものらしい。
「事前知識はいいからさ、さっさと行こうぜキャプテン。こうしてる間にもストームの位置も勢力も変わってくんだろ?」
「デイビス、いいですか、今日はキャプテンの補佐なのですから、きっちり言うことを聞いてですね、」
「わーかってる、わーかってるからベース!もう耳たこ!何百回も繰り返さなくたってちゃんと聞いてますよ!」
 大げさに手を振って見せれば、苦笑したスコットが後は自分がやりますと軽く頭を下げている。話を聞いていたのか居ないのか、デイビスはさっさとライダーに乗り込んで計器チェックをしているらしい。
「キャプテン、くれぐれもジェフをお願いしますよ」
「了解しました。」
 いつに無く楽しげなスコットを見送り、ベルはこの不安が的中しなければいいのだけれど、とコントロールセンターにストーム発生のGOサインを出した。
 俄に暗くなったポートの沖で、不穏な風が渦巻き始めている。



「エンジンライトOK、視界良好、ストームまで20km、このまままっすぐ突っ込んじまおうぜ」
 低空で水面を舐めるように飛び出したデイビスの操縦は、なるほど確かにたいしたものだ。と併走しながらスコットは関心していた。無線越しに弾む声は楽しげで、久しく忘れていた空を飛ぶときの感情の高ぶりを如実になぞっている。
「ジェファーソン、本当に君実技は初めてか?」
「デイビスでいいよキャプテン、シュミレーターでなれてるけど、実務は初めて、めちゃくちゃ楽しい!」
 ひゃっほおおう!と無線越しにはしゃいだ声の後、隣で小型のライダーがとんぼ返りする。確かに、操縦技術には目を見張るものがある。シミュレーターにも重力や衝撃を体感できる機能はついているが、実機でそれを感じるのとはわけが違う。
 いくら小型とはいえ、通常の戦闘機とは違い、丸みを帯びた機体は決して小回りが利くような代物ではない。にもかかわらず、軽々とそれを操って見せるデイビスの実力ははっきり言って自分よりもずっとすぐれているのかもしれなかった。
 彼に足りない部分があるとすれば、それは絶対的な経験と「覚悟」だ。
 コントロールセンターからの無線で小言を言われているらしい僚機の動きを見守り、人工的に発生させられた小さなストームへと意識を切り替える。
『デイビス!ふざけていないでまっすぐ飛びなさい、訓練とはいえこれはシミュレーターではないんですよ』
 無線機からは相変わらず司令官であるベルの神経質な声がこぼれていた。彼女は優秀な司令官だ。CWC始まって以来の女性司令官、であり最年少。まだ経験の浅い部分もあるが、ライダーたちからの信頼も厚い。それもひとえに彼女が優しく部下思いなのがあるのだろう。
 彼女は何より、嵐で仲間を失うことを恐れている。過去に何があったのか、聞くべきことではないだろうが、神経質までのその怯えがこの若いパイロット候補生に肩入れする理由だと本人が気づいているのかは疑問だ。
「デイビス、君はなぜライダーになろうと思った?」
 はしゃぐ背中に問いかけると、マイクの向こうでひとなつっこいハニーボイスが一瞬沈黙に落ちる。映像がなくてもわかる、『なぜ今そんなことを?』とその間はそう言っていた。
「……それも試験のうち?」
「いや、これは私の個人的な質問だ。試験は関係ない」
 細かく言えば、バディとのコミュニケーションも試験内容に含まれはするが、ベースから伝えられている通りハナからそちらにはあまり期待もしていなかったスコットは平気な顔で嘘を吐く。さらに数十秒の沈黙。しばらく逡巡しているらしいそれを、辛抱強く待っていると、「小さいころに」とその口が切り出した。
 その一言で全てわかってしまう様な、裏表のない声で。
 一筋縄ではいかない、とベースが言っていたのを思い出して小さくほくそ笑む。相当なひねくれものなのかと思っていたのだが、ずいぶんと素直な性質じゃあないか、と。確かに一筋縄ではいかないかもしれない。まっすぐすぎるがゆえに。
 だが、その言葉の続きはストームが近づくにつれ凍りつくことになる。レベル2。数値上からすれば大したことのない程度に聞こえるが、実際データで目にするのと、体験するのでは恐怖は違う。85ノット。生身で居れば立ってなどいられない状態だ。
 これがレベルマックスの7になれば、鉄の翼を曲げるほどの力を持つことになる。そんな中でいくらライダーに守られているとはいえ中心部に突っ込んでいかなければならないのだから、その恐怖は推して知るべし、である。
「シミュレーターで見るのとは、天と地ほども違うだろう」
経験を積んだスコットですら、いまだに恐怖を拭い去ることは出来ない。だが、恐怖感を「持てない」ようになってしまっては、ライダーは務まらないとも知っている。本来、人間は自然に太刀打ちできるようには出来て「いない」それを鉄の棺桶で守られて立ち向かっていかなければならない理由は、その恐怖からもっと多くの人を守るためだ。
 恐怖感を持たずに化け物へ突っ込んでいくのは、ただの自殺行為にならない。この実践で体感するのはそのむき出しの「恐怖」に他ならない。
だが、しばしの沈黙ののちにマイク越しから戻ってきた声はそんな恐怖を微塵も感じさせない、先ほどと変わらぬ明るさのものだった。「まあ、すごいけど。……でもシミュレーターもそんなに変わらないよ」
「おい、デイビス、待て!」
 滑るようにとなりを飛んでいた機体が、まるで吸い込まれるようにストームの中心へと向かっていく。このままディフューザーで消滅させる気なのはその動きを見ていれば嫌でもわかる。だが、風圧に煽られてデイビスの乗るライダーの尾翼が時折不安定に揺れていた。確かに操縦は折り紙つきだ、とてつもなく上手い。それは認めよう。だが、あんな無茶な飛び方で至近距離からディフューザーを打ち込めばどうなる。……ここは海上だ。おまけにテストで発生させるストームは小型ゆえ水面との距離も近い。爆発は海面を巻き上げて水蒸気爆発を起こす。
 スコットの制止も聞かずにまっすぐストームの内側へと飛び込んだデイビスの、勝ち誇った声がマイクから響く。
「よーっし見てろよ、これでいっちょあが、」
 一瞬、機体の外側を揺さぶる暴風に爆音が混じる。鬨の声を最後まで待たずにディフューザーが放たれ、静電気を放ちながらストームが爆散した。鮮やかな手際はお見事。だがそこまでだ。海面近くに放たれたそれは猛烈な水蒸気を発生させ、上昇気流が真下からデイビスの機体を容赦なく揺さぶりはじめている。
 決して華奢ではないライダーのどっしりした機体が、まるで木の葉のように錐もみしながら舞い上げられるのを目の前にして、「あのバカ」と悪態をつくと、スコットは迷わず視界ゼロの霧の中へと飛び込んでいく。無線機の向こう側では、舌でも噛んだのだろうか。デイビスの短い悲鳴が聞こえた。
「デイビス!非常灯をつけろ!」
 この霧ではどこにライダーがいるのかさえ見えない。
 悲鳴だけが聞こえる無線機の向こうに叫べば、それで少しはパニックから立ち直ったのか、白い視界の向こうでかすかに赤い光がともった。
 ――そこか。
 スコットは迷いもせずに一気にレバーを押し倒すと、その光に向かって全速力で機体を向かわせる。ほぼ視界ゼロの中、スピードを落とさずに非常灯に突っ込んでいくのはきっと体験しなければ一生味わえない恐怖だ。
 いつディフューザーの破片に横っ面をひっぱたかれてもおかしくない嵐のなか、やっと追いついたデイビスのライダーに鼻先を押し付けて体当たりをする勢いで霧の中から押し出した、ちょうどその瞬間。耳元でつんざくような爆音が響き、すさまじい衝撃が機体を揺さぶってスコットは強か操縦桿にヘルメットをぶつけていた。
(しまった、ディフューザーがまだ……)
 ストームを消滅させたディフューザーのかけらが放電しながら水面に落ちたのだろう。一瞬遠のく意識に操縦桿から手が滑り落ちる。デイビスは、あの雛は無事に暴風域から押し出されただろうか、と。徐々にホワイトアウトする意識の中で視線を向け、そして。
 轟音と共に彼の意識は闇に飲まれた。




 体中がばらばらに引き裂かれるような痛みを感じてうめき声をあげる。
 寝ざめは最悪だが、少なくとも、痛みを感じるということはつまり、命はある、ということだ。目を焼く光に眉を寄せ、体を動かそうとしたがどうにも首が回らない。何とか動く右腕で首へ触れると、それは堅いギプスで容赦なく固定されているらしいことが分かった。一瞬青ざめて手足の指先を動かしてみるが、しっかりとした感触とともに手ごたえが帰ってくる。どうやら半身不随だけは免れたようだった。
「ああ、よかった。キャプテン、私がわかりますか?」
 視界の外から声をかけられ、見えないのだから答えようがないとも思ったが、そのなじんだ声には答えざるを得ない。
「ベース、私は……」
「ジェフをかばって墜落したんですよ。鞭打ちと左足、左腕の骨折。しばらくは不自由しますが、頭と神経は無事です」
「……そうか、ならいい。デイビスは?」
 僚機をかばって自分が落ちることには慣れていた。とはいえ、情けなくもレベル2のしかも訓練用のストームでここまで情けない怪我をしたのは初めてだ。命があるだけましかと思いながら、そのかばった相手の安否を聞けば、すぐ頭の上から「キャプテン、」とこれまた情けなく震えた声に名前を呼ばれた。
「無事なら良い」
 どうやらデイビスは無事のようだ。あの後、無線も途切れて連絡も出来ないまま意識を失ってしまったので、もし落ちた自分の機体の下敷きになりでもしていたらデイビスも無事では済まなかっただろう。もっとも、彼ほどの操縦技術をもってすれば、暴風域から出てさえしまえば機体を立て直す事は造作もないはずだ。と、そう思ってこそのあの行動だった。
 手荒な救出だったのは認めるが、それでもあの状況で機体を立て直したデイビスには、やはり舌を巻く。大したものだ、と自分がこうむった被害をしばし忘れスコットは正直に感心していた。それに、この怪我の一端は、レベルと上げた自分の方にも責がある。例えそれをデイビスが知らなかったとしても、だ。
「……ごめん、俺、……キャプテンを怪我させるつもりじゃ……」
 初めての実戦、初めての僚機の墜落。その双方を一気に味わって、明らかにデイビスは動揺していた。無理もない。本来ならば、ディフューザーを使うまでもないような小さなストームの「種」をいくつか処理して実戦経験を積みながら成長していくものなのだ。荒療治としていきなりレベル2のストームに立ち向かわなければならなかった新米の心境は推して知るべし、というやつで。
 ごめんなさい、とすっかりしょげてしまったその顔に、視線だけを向け(なんせ首が回らない)スコットは再びあの質問を繰り返す。
「君はなぜライダーになろうと思った?」
 これは試験ではない。けれども返答によっては試験よりももっと大事なものだ。不意打ちの質問に言葉を詰まらせるデイビスの返事を待たずに、スコットは「私は」と静かに口を開く。
「私はポートディスカバリーが好きだ。……この町の人も、この世界の人も。自分の好きな世界を守りたいからライダーになった。昔はCWCの気象研究員だったんだ」
「キャプテンが、気象研究員……?」
 気象研究員は、いわばストームライダーのサポート人員で、ベースやオペレーター、それにライダーやディフューザーの研究開発にあたるスタッフだ。つまり、CWCにおけるライダーと、それ以外。ライダーは花形だか危険も大きく、育成に時間がかかる。
 いくら優秀なスタッフが多くても実戦に当たれるライダーが少なければ、折角開発した切り札はただのおもちゃにもならないのだ。
「デイビス、お前は才能がある。ここで終わらせるには惜しい。だから、」
 ちゃんと目標を見つけて、ここまでまた戻ってこい。とスコットは笑った。滅多に見せないそのやわらかい笑みは満足げで、デイビスはともかく少なくともベルは驚いていた。この男にこんな顔をさせるなんて、どれだけこの坊やに肩入れしているというのだろう。
「キャプテン」
「……スコットでいい。次は卒業試験で会おう、それまで退学になるんじゃないぞ」
 これは『貸し』だ、と。差し出した動く右腕をしっかりと握って力強くうなずき、デイビスはきっと唇を引き結ぶ。その顔を見て、ああこの男はもう大丈夫だな、とスコットは確信のようなものをはっきりと感じ取っていた。この男はきっと戻ってくる。あの、嵐を吹き飛ばした後のまぶしい空の元へ。
「わかったよスコット、約束だ。俺、絶対戻ってくる、主席で卒業して、絶対戻ってくるから、だから」
 その先は言葉にはならず、強い意志を秘めた青空のような目を見て、スコットは静かにうなずいた。



 そして半年後。
「おい聞いたかよ、今年の主席!」
「ああ、あれだろ。半年前の演習でキャプテンスコットに大けがさせたっていう問題児。」
 アカデミーの卒業式は滞りなく行われ、卒業演習ではデイビスは鮮やかな手並みでストームを消滅。半年前では考えられなかった僚機のフォローまで綺麗にこなして文句なしの、卒業生最高得点をたたき出していた。
 今日は新入のライダーたちの歓迎式だ。歓迎式とはいっても在学中からCWCに出入りする訓練生たちは基地内でも見知った顔で、その延長のような形で配属されることが多い。だが例外が一人。それがその話題に上る時の人であるデイビスである。訓練生は卒業と同時に各地のストームライダー基地へと配属が決まるが、その中での主席は必ずポートディスカバリーのCWCへの配属になる決まりになっている。
 半年前、スコットに全治三か月の怪我を負わせた訓練生の話は、いい意味でも悪い意味でもCWCの話題をしばらく総ざらいしていった。当の本人であるスコットは対して意にも介していなかったのか、黙々とリハビリを続けきっちり三か月後にはライダーに復帰してきたのだが。回りにあれこれとせっつかれてどうにも閉口したらしい。卒業訓練のキャプテン役は同僚に押し付けて、しばらくは任務と研究にいそしんでいたようだった。
 だがそれも今日までだ。
「スコットーーーー!!!」
 栗毛のくせ毛がはねて、元気よく駆け込んでくる。まるで子犬のように跳ねる足もそのままに、廊下をかけてきた男は、「俺、主席!」と息も切れ切れに自分を指さした。
「ああ、わかっている。CWCに配属になったそうだな。おめでとうデイビス」
 素直に祝いの言葉をかけるスコットの目を見て、しかし青年はピンと背中を伸ばすと改まった言葉で(しかし力強く)言い放った。……それはもう、CWC中に響き渡るようなよく通るあの、ハニーボイスで。
「俺をスコットのバディにしてくれ!」
 と。思わず固まったスコットの内心を知ってか知らずか(おそらく後者だ)、そのために主席を守ったんだ、俺、あんたと組んで仕事がしたいんだよ。必死に口説き落すその言葉も、スコットの耳には半分も届いていない。「なんだって?」となんとか聞き返した先に、指令室からこのやかましい男を呼び出す放送が館内へと響き渡った。
『ジェファーソン・デイビス!今すぐ指令室に来るように!』
 どうせこの男のことだ。手続きもせずにまっすぐここへと向かってきたのだろう。あんたの声、無線越しですごいゾクゾクした!じゃあまたあとで、とおまけのようにとんでもない爆弾発言を残して元気よく手を振りながら指令室に向かってかけていく背中を見送り、やっと思考が戻ってきたスコットは唇に手を当てて……思い切り頬の内側を噛みしめていた。
 全く、あの男は一体何を言い出すというのだろうか。あんな、まるで、
「熱烈な告白だったなぁスコット」
 そう、まさに告白だ。先ほどの騒ぎを面白そうに見守っていた同僚に肩をたたかれ、表情を押し殺しながら生返事を返したスコットは、
 これからは退屈しなくても済みそうだ、としばらくはまた話題に上るであろう、先ほどの熱烈な「告白」を思い出して必死に唇を噛んでいた。ディフューザーを打ち込まれた時の方が、よっぽど衝撃は少なかったかもしれない。元より、バディを申し入れようとしていたのは自分の方なのだ。
 そんなことは、死ぬまで言ってなどやらないが。
 ……少なくとも、デイビスがもうバディの第一印象を聞かれて「覚えていない」などと言える日は、もう二度とないだろう、と。まだこれはほんの、始まりの日。

作成:2015年6月01日
最終更新:2016年12月11日
ストームライダー、closeだと聞いたので…。数年前に書きかけのまま放置していたお話を書き上げ。
出会いは最悪、っていう鉄板パターンやっぱり大好きです。

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