ラプンツェル

昔話をしよう。
まだこの国とある国が、戦争をしていた頃の話。
その時僕はまだ一人の冴えない兵士で、かと言って戦うわけでもなく、
ただ惰性のように続く毎日を鬱々と過ごしていた。
戦争と言っても、フィルムの中で行われるような血と、弾薬の香りにまみれたようなものではない。実際にはそんな戦いをして居た兵士も多く居たのだろうけど、僕が居た所はただ消費されて行く毎日を腐らせて行く、そんな戦争の端っこだった。
何をするわけでも無い。
毎日繰り返される異常なしとの報告に、近隣住民からの敵意の視線、些細な嫌がらせ。
ストレスは溜まれど、命を落とすわけでも無い。このまま腐らせる日常が尽きてしまえば、何もかもが終わると、その時はまだ
そう、思っていた。



「捕虜ですか?」
そうだ、と渋面を作った上司は、面倒臭そうに書類を投げてよこした。この辺境の駐屯地に捕虜が収監されることに決まったのは、つい先日の話だ。
確かに、捕虜用に用意された独房はある。だが何も無いこんな田舎の駐屯地にまで捕虜が回されるとなると、いよいよ切羽詰まってきて居るらしい。
「そうだ。こっちでする事なんざ何もないがな。上が処理に困ってるんだろう、落ち着くまでの仮収監ってところだが…」
「捕虜っていうくらいなら、軍属ですか。それとも政治犯?あの独房、使うの始めてですし、大丈夫なんですか」
上官である彼も、明らかに気乗りしないといった顔をしている。
投げてよこされた書類には、お決まりのスケールの前で取られた写真と名前、そして所属が簡単にではあるが書かれて居た。どうせ顔も名前も知らない、名ばかりが敵だというただそれだけの存在だろう。
それをみるまでは、そんなぼんやりとしたことを考えていた。一度見ただけてはどうせ忘れてしまう顔だ。たがそんな考えが甘かったのだというのは、写真の中に写ったものの偶像だけで十分だったと思い知る。軍属でなかろうと、一度は見た事のある顔だった。思わず凍りつき、思考を整理して顔を上げる。上官にいうべき言葉は見当たらず、ただ追いすがるように彼を見た。そうすれば自分よりも経験豊富な軍人が、何もかもがを助けてくれるとでも言わんばかりに。
無論、そんなものは幻想だと理解しているのに。
「たっ、大尉…!」
彼の渋面の理由はこちらか、と思わず納得の行く理由だ。思わず書類を何度も見直して顔を引きつらせる。
そうだ、この顔だったら一度ならずとも見た事がある。…士官学校に通っている学生ならば何度も、だ。
「アナベル・ガトー、ソロモンの悪夢」
「嘘でしょう!」
思わず悲鳴のような声が漏れた。
個性など求めようもない、囚人(実際似たようなものだ)じみた写真の中でさえ見間違いようもない。写真の中でさえ鋭さを失わない燃えるような目は鮮やかな藤色だ。白にも見える髪は、星を掃いたような鈍い銀で、背後のスケールをみるかぎり、二メートルに届くのではないかと思うほどの威丈夫。
ソロモン海域での紛争では、一騎で一軍隊を退けたとも、1000人斬りだのを噂される鬼神だ。無論、鬼や神の類ではなく一人の人間だというのはわかっている。
それでも通り名を頂く軍人はそう多くは無いということだ。
「どうしたってこんな辺鄙な所に…」
脱力しながら呟けば、だからだろうと彼は投げ出された書類を掴みながらため息を吐いた。
「辺鄙な田舎町なら、例えその鬼神とやらが暴れた所で重要機関にトラブルは及ばない。それに、捕虜とはいえ、政治には関わらないいわば武器としての兵士だからな。どうしても裁判所の処置は後回しになるだろう。それまで獣をつなぎとめて行く檻としてここはうってつけってわけだ」
「はぁ…」
「そう腐るな。退屈なんだろう?ここが」
なら、お前にも少しはいい刺激になるだろう。と彼は笑う。
くそくらえだ、と思った。そんなちゃちな刺激なんかくそくらえだ。ただ自分は命さえ無事で、この平凡な戦争が終わって、またいつもの日常がに戻れればそれでいいのだ。
机に投げ出された写真の中では、鬼神の名にふさわしい、銀色の髪をした男が鋭い視線でこちら側を睨みつけている。



小さな音を立てて、けれど確実に。
戦争の中の日常という、矛盾した平和が音を立てて崩れようとしている事だけは確かだった。



「コウ、コウ・ウラキ少尉!時間だ、交代の時間だぞ」
浅い眠りはいつも唐突に破られる。
戦争が始まってからというもの、激しい戦いにこそ巻き込まれた事は無かったが、深い眠りは忘れてしまった。
まあ、そのおかげでこうやって交代の時間にも直ぐに目をさますことができるのだけど。のろのろと薄闇の中で目を覚ませば、まだ雄鶏が鳴き出すにも早過ぎる早朝の空気が冷たい。早朝というよりも夜中に近いだろう。腕時計の針は午前二時を指していた。
「ウラキ少尉!」
「起きています!!」
けたたましく叩かれる鉄扉に頭が割れそうだ。どうにも軍属の人間と言うのは一方通行のコミュニケーションしか出来ないらしい。青年は眉を寄せて堅いベッドから身体を引き剥がす。
脱ぎ捨てたままのブーツに両足を突っ込み、冷えた革の感触に思わず背中を震わせた。部屋とは言ってもベッドと机と小さな本棚くらいしかない。独房とそう変わりもない小さな監獄みたいだ。
椅子の背に掛けたままの外套を被って、薄闇に体を投げたせば、夜露に湿った背の高い草をの向こう側に溶けた大きな陰が目に付いた。件の監獄は、もともとこの村のはずれに建てられた物見櫓だったらしい。頑丈な石造りの、ちよっとした塔のようになっていた。一昔前に造られた石の塔は、忘れ去られたおとぎ話の中の城のようだ。
日常から意図的に切り離された、石造りの監獄。鬼の眠る場所、そんな考えに不気味なシルエットが相乗効果のように恐怖に駆り立ててくる。無論、そんなものは幻想にすぎないのはわかっている。受け取った鍵を手の中で弄びながら塔へと向かうのは、まるで毎夜逢引を重ねる恋人たちの儀式のようだ。
日常に追加された些細な非日常。それがアナベル・ガトーという男だった。
思ったよりも普通の人間なのだ、
というのが最初にその男を見た時の第一印象だった。
確かに天井に届くのでは無いかというほどに伸びた身長や、燃えるような目は写真のままに、けれど確かに生きてすぐ鼻先に居るその生き物は、自分と同じ人間なのだということ。
動物園のような太い檻は、何を閉じ込める前提で作られたものなのかわからないが、不格好に強調されたその監獄の中で静かに目を閉じたその男は確かに同じ人間だった。
幻想の中で抱えて居た恐怖心こそ、自分が自分で作りだした何かに怯えて居たのだろう。
足音を忍ばせて檻の前に置かれた椅子に腰掛け、暗闇の中でも仄かに月明かりを吸って淡く輝くその生き物を見つめる。ひんやりとした石造りの牢獄は、いささか寒そうに見えた、毛布に包まって小さくなった姿は森で見かける狼のようで、かすかに上下する胸がかろうじてその男が生きている事を伝えていた。
これからどうなるのか、どうするのかはわからない。ただ今自分にわかるのはその男がいつかここからいなくなる時がくるという事、恐らくはもうこのガトーという名前の生き物の行く末は決まってしまっている事だけだった。
「寒く無いんですか、」
毛布が少し震えているような気がして、聞こえてはいないだろうと思いながらも声をかける。独り言は硬い石に吸い込まれてあっという間に消えて行った。
「少しな」
だから、声が戻ってきた時は少しどころか大分驚いたものだ。
この男がこの檻に閉じ込められて暫く、もう何度もここに足繁く通って居るというのに、今まで真面に言葉を交わした事など無い。ただ、時間がすぎるまで黙って隣にいるだけの、そういう、ものだと、
「起きて…たんですか」
「人がいると、そう深い眠りに落ちるわけでも無い。」
軍人だからな、と諦めるような声が帰ってきて、コウは檻に向き直る。毛布にくるまったまま目を開けた男は暗がりでこちらをじっと伺っているようだった。
人が居ると、などとここは常に人が配置されてる独房だ。
「じゃあ、ずっと眠ってないって事じゃ無いですか!」
「もうかれこれ2週間ほどはそうなるか」
まるでここ2週間の晴天を嘆くような口調に驚く。鬼神だかなんだかわからないが、2週間もまともに休めないのでは、いくら軍人はいえ体が無事であるはずが無い。月明かりの中でよくわからなかったが、確かにここに来他ばかりの頃と比べて、彼の顔色は芳しく無いようだった。
「眠ったって何もしないですよ…少なくともここは、貴方が居たような前線じゃ無い」
「そんな事はわかっている。だからこそだ」
諦めたままの乾いた声に怪訝そうな顔を向ければ、彼は毛布に体をくるんだまま腰を起こし、壁にもたれてこちら側をじっと覗き込んでいる。燃えるような鮮やかな紫が銀に透けて、まるで頭の中までをすかしみられているようだ。
「前線に居た方が何も考えなくてすむ。こんな静かな場所に居ると、嫌でも何かを考えてしまう。だから余計に眠れなくなる」
居心地が悪くて目を逸らせば、からかうような笑い声が降った。低く、甘く、心地のいい声をだ。
「その言葉はそのまま貴様に返そうか」
どう答えればいいのかわからずに口を閉ざせば、柔らかな口調はそのままに、男は静かにそう言った。
どういうことです、とおずおずと顔色をあげれば月明かりに切り抜かれたシルエットがとても綺麗で。場違いな緊張に息がうまく飲み込めない。
「何もしない、ということだ」
「え?」
「貴様が眠った所で何もしない。…怖いんだろう、私が」
暫く言葉の意味を考えあぐねて目を丸くして居ると、まるきり子供をからかうような声音で笑われて、バカにされたのだと思い知る。みるみる頬が紅潮するのが暗がりでもはっきりと感じ取れた。
「違いますよ、そういうのじゃ」
「では?」
「やめてくださいよそういうの…」
しどろもどろと言葉を探す自分を明らかに面白がっている声だ。居心地が悪くてやっと口にした声が子供染みて拗ねているのが情けない。咳払いをして椅子の上で身じろぎをすれば、小さなくしゃみ。窓の外は淡い浅葱色に染まりつつあり、空には雲一つ無い晴天だ。恐らくは放射冷却だろう、明け方にかけて一番に気温が下がる時間だ。
「こちらへ来い」
自分の肩を抱いて身震いをしていると、檻の向こう側から差し伸べられた手に驚く。いつの間に立ち上がったのか、ほんの数十センチ向こう側の距離を隔ててガトーが立っている。怪訝そうな顔をしたままで居ると、肩に羽織ったままの毛布がふわりと舞った。微かに鼻先に香ったのは薬箱のような、不思議な匂い。ああ、これは、
「何です」
警戒したままあとずされば、ガトーは綺麗な薄い唇に苦笑を浮かべたまま檻にもたれて腰を下ろす。鉄に触れた薄いシャツが寒そうで、伸ばした手を、その手に触れそうだ。
「何もしないと言っただろう、交代までの時間は?」
「あと3時間ほどは」
「自分の部屋に毛布をとってかえるか?…交代の時間まではいくら平和な基地とはいえ自分の部屋にのこのこは帰れないんだろう」
何でもお見通しなんですね。嫌味のつもりで吐いた言葉にも彼は何事もなかったように手を伸ばすだけだ。多分、
多分、その手をとってはいけないのだ。
その暖かさには触れてはいけない。
頭の何処かで軍人としての自分が微かな警鐘を鳴らしている。
恐る恐る檻の隣に腰を下ろすと、僅かな隙間を縫って肩へと毛布が回された。薬箱の匂い、これは確かローズマリーだ。
「放射冷却だろう、夜明けまで窮屈だがな」
冷たい金属越しに触れているはずの体温が酷く暖かい。いかにも体温の低そうな色をしているくせに、と思った。冷たい色をした肌に髪、それなのに触れた肩は暖かい。毛布の中で体温を分け合って、まるで雪山で遭難した旅人みたいに。
「…」
何か言わなければならない気がして、それでも継ぐべき言葉を探しきれずに逡巡する。触れた瞬間は暖かく居心地の良かった体温も、慣れてしまうと気恥ずかしく、毛布にくるまれたまま小さく体をこわばらせる。触れた肩が小さく震えて、それが彼が笑って居るからだと気づいたのは喉が小さく音を漏らした直後だった。
「何を…」
「いや、別にとって食おうとかそういう事を考えているのでは無いのだが」
あまり警戒されるのものなと、穏やかな声が言う。どうしてこの人はこんなに静かな声をしているのだろうか。
「お前、名前は」
「へ?」
「名前だよ、それとも敵兵に教える様な名前は無いか。お前だけ私の名前を知っているのは不公平だ。と思っただけだ」
不公平、その奇妙な響きに混乱する。ここは戦場のはじっことはいえ戦争中の国で、同じ毛布で体温を分け合っているこの男は紛れもなく敵で、
それで?
だから何だというのだろうか。
「ウラキ、ウラキです。コウ。ウラキ」
滑るように言葉が口をつく。男は少しだけ笑ったように見えた。それは夜明けの微かな光が見せた幻だったかもしれないけれど。
「甘いな、私は敵だぞ?」
それはそうだ。自分の名前を告げたあとにも棘のように小さな後悔が引っかかってしまっている。ほんの小さな目に見えないほどの棘のくせに、心の一番柔らかな場所に食い込んだように痛む。
それは後悔か、それとも悲しさか、自分でもよくわからない感覚だった。
「教えろと言ったのは貴方ですよ」
「お前は軍人に向かない」
そうかもしれない。
けれど少なくとも今は軍人として生きて居るし、こうするしか他に生きる術を知らなかったのだ。言いたい言葉はすべて飲み込んで、知っていますと口に出す。
そんな事はとうの昔に知っていた。
「少し喋りすぎた」
次の言葉を継ぐ前に、彼はゆっくりと息を吐いて動かなくなった。驚いて横を向けば、微かに重くなった肩と鉄格子に半分食い込んだ体、ゆっくりと静かな吐息の音。閉じられた薄い瞼がすぐ隣にある。
「…何が人が居ると眠れないだよ」
恐る恐る鉄格子の向こう側に腕を回して肩を支えても、彼は起きなかった。交代の時間まではあと2時間と少し。小さく区切られた窓の向こう側では叩き起こされた太陽が、不満のかけらも感じさせぬ色を容赦なく浴びせかけている。
遠くで鶏の泣く声がした。



「…こうして娘と王子は幸せに暮らしましたとさ」
昔話にお決まりのくくりを語り終えて古い絵本を閉じる。ぱたんと小さく音をたてた本の隙間からは、細かい誇りが舞い上がり、薄暗い塔の中に差し込んだ光の中をきらきらと舞い落ちる。雪のように。
昔話の中の娘は決まって貧しく、けれども美しく、虐げられた継母や魔女の手を逃れて、助けにきた王子と幸せになるのが提携句だ。
塔は昔村の物見櫓だったこともあり、幼い子供たちにとっては恰好の遊び場所だったのだろう、牢獄の作られた周りにはその当時の面影か、場違いな本棚が壁にうめこまれており、古い絵本が忘れ去られたまま埃を被って眠っていた。
暇を持て余した青年たちは、どちらからともなく古い本を持ち出しては読み合う遊びを始めていた。言葉を交わす回数は決して多くは無い、けれどどちらかが古い話を語り始めればおとなしく耳を傾ける。
不思議と居心地の良い時間だった。
「ちょっと似てるよね」
今日の話は母親の尻拭いのために塔へ閉じ込められた美しい娘が、やがて訪れる王子とともに魔女の手から抜け出し、お決まりの幸せな家庭を築くまでの話だ。娘は長い髪を伸ばし、塔へと王子を招き入れる。
だがその逢引をは長くは続かず、塔に娘を閉じ込めた魔女に見つかった彼女は、王子に二度と会えぬように髪を切り落とされて深い森の中へと放逐される。
だがやがては王子に助けられ、二人は幸せに暮らしました、だ。
石の塔に閉じ込められ、毎夜こうして顔を合わせる。自然と出た言葉の意味を改めて反芻して彼は赤面した。いや、そういう意味じゃなくて、と慌てて取り繕った言葉が宙に浮く。
「第一版を知って居るか」
「え?」
「ラプンツェルの第一版だ。塔の娘が放逐されたのは、忍び込んだ王子と体を重ね続けて妊娠したため。王子は彼女を失ったことを知って塔から身を投げて失明する。それは後に書き直されたものだな。子供向けに」
淡々と語る彼の口調は静かで、ただ事実を淡々を告げているだけだ。それなのに妙に居心地が悪いのは、彼の語り口が淡々としているため酷く生々しく感じるからだろう。
「で、誰が何に似てるって?」
からかう声音に一気に喉が詰まる。知っていたのだ、最初から。
閉じた本を乱暴に棚に戻せば、積もった埃が一気に舞い上がってあたりを舞い落ちる。光を浴びた粒は埃のくせに酷く綺麗で、暗く湿った冷たい牢獄の中で惨めな感傷を噛みしめる。閉じ込められているのは自分では無いくせに、とコウは思った。
どうしてこんなに悲しくなるのだろう。
「…もうすぐ、首都に送還だって」
それは定かでは無い、ただ通りがかりに耳にしただけの話だ。確実性など無い、けれども終わりは少しずつ近づいて居るという事実。
「だろうな」
彼がここへ来て一月とすこし、彼と始めて言葉を交わして二週間と少し、静かに運命を受け入れようとしている横顔は薄闇に紛れて笑っているように見えた。
首都への送還はすなわち彼の死を意味する。
政治犯では無い士官が辿る道は極めて狭く、意味の無い軍事裁判にかけられた後は死ぬか、「いなかったことにされる」かのどちらかだ。彼のように名の通った軍人は寝返ることも生き延びる道の一つなのはわかっている。だが、決して彼がその道を選ばないだろうこともここ2週間の付き合いでわかっていた。
彼は恐らくは死を、選ぶのだろう。
「だろうなって…怖く無いんですか、首都へ行けば貴方は殺されるだけだ」
怖くないはずなど無い。いくら屈強な軍人とはいえ、死ぬのが怖くないはずなど。多分自分はガトーが怖いと不安を漏らして自分にすがる事を、どこかで望んでいたのでは無いだろうか。
「…死ぬ事が怖いと思った事は無い」
静かにそう呟くかれの顔は穏やかで、それ以上は何も言えなくなった。ああ、この人は多分、
最初から死ぬつもりで軍人になったのでは無いだろうか。何かを生かす為に、それが何かわからないほどバカでは無いはずだ。
けれど、きっと一生かかっても自分には到底及ばない大切なものを抱えたまま死のうとしているこの人は、
…酷く悲しい生き物なのではないだろうか。僕にはそう、思える。



この戦いの行く末を、僕は知らない。
もともと大義などというものに突き動かされて軍人になったのでは無いのだから当たり前だ。繰り返される日常は、どこかで切った小さな傷口をきっかけにして、どんどんと腐り落ちて行く。それは自分では気づかないほどの小さな傷で、きっとその時に気づいていればこんな事にはならなかったはずなのに。
抑えた傷口からは血が止まらない、壊死したそこは醜く腐りはて、やがて緩慢な死が訪れるのだろう。
この戦いの行く末は、日常の死の果てにあるものは。
果たしてなんなのだろう。
死というものは果てしなく静かなものだ。
目の前に立たされた背中はどこか現実離れしていて、何の感傷も抱く事が出来ない。
首都から現れた役人は、裁判の執行手続き書を持ってこの辺鄙な田舎の村へとやってきた。しみ一つないノリの効いたスーツに身を包み、磨き上げられた革靴が汚れるのは耐えられないと言った顔をして、上官にその一枚の紙切れをつきつける。
それは、塔の中の彼の終わりの時がやってきた事を告げていた。
「つきましては護衛と執行見届け人としてこの駐屯地から一名お借り出来ないかと」
本当はそんな事はどうでもいいのだと言いたげな、眠そうな口調に上官が自分を見たのがはっきりと分かった。彼は、恐らくこの辺鄙な場所で物好きな一般兵が突然現れた戦場の鬼と蜘蛛の糸のように細く頼りない交流を気づいた事を感づいているのだろう。これは彼なりの優しさであるのかもしれなかった。
あるいは、その死を目の当たりにして、きっぱり諦めろという、ある意味残酷な決別の。
「こちらからはウラキ少尉をつけましょう。構わないなウラキ」
「はい」
ごく短いやりとりと、一枚の紙。たったそれだけだ。長い時間馬車にゆられたせいで感覚のなくなった尻をさすり、さてどれだけの裁判が繰り広げられるものかと思えば、それは裁判などと言えるような代物ではなかった。
ただ被告人席に立たされたガトーへと、一方的な刑の執行が伝えられる。後につかえる裁判を少しでもさっさと終わらせたいとでも言いたげな、抑揚のない裁判官の声と無慈悲なハンマーの音。
被告人からの異議は。
そう感情の無い声で投げかけられた時ですら、彼はいつも通り背中をまっすぐに伸ばしたまっすぐ、凛とした声で吐き捨てただけだった。
「貴様らに語る事など何も無い」
これは裁判などでは無い、一方的な屠殺なのだ。思わず縋るように策を握って見つめた先で、振り向いた彼が、ほんの少しだけこちらを見て笑ったような。…そんな気がしたが。
柵の向こう側には、こちらに背を向けた白い鬼が立っている。
無感動にその背に向けて銃を構えるのは、どこにでもいそうな青年だ。あるいは、その顔は自分だったかもしれない。
何時の間にかその目を通して彼の背中を見ている事に気づいて動揺する。引き金にかけた指は冷たく、あまりに重く、引き絞れるような気がしない。
何かを、何かを伝えなければならないのに、伝える言葉を知らずに持ち上げた銃口は揺れながらも銀色の髪を束ねた後頭部へと狙いを定めた。
望んだ終わりはこんなものだったのだろうか、
傷を負ったのは一体いつだったのだろうか。
「コウ・ウラキ少尉」
静かな声に呼ばれて耳を疑えば、それはガトーが発した言葉だったようだ。銃を抱えて震えたまま、声にならない声で泣いている。
「だから貴様は軍人には向かないと言ったんだ」
背中を向けていてわからないが、その声はどこか笑っているような気がしていた。塔の中で本を、古い話を読み聞かせたあの時のままのように。穏やかな、
「ガトー…!」
それに比べて自分の声のなんと情けない事か。
視界が歪むのは涙のせいと、気づいた時には震える膝をなんとか立たせているだけで精一杯で、
「撃て、ウラキ」

静かな声に、ただ引き金を



ぱん!
乾いた音が響き渡る。
びくりと肩を震わせて顔を上げれば、日の光に透けた細かい埃がゆっくりと舞い込む風に乗って床を滑り落ちてくるところだった。
冷たい外気に晒された頬が痛い。鉤型に強張った指には何かが握られていたようで、血の通わない冷たい手を何度か握りしめてやっと手を閉じる。
床には古い絵本が落ちていた。どうやら手から滑り落ちたものらしい。
「ひどい顔だな」
果たして自分がどんな顔をしているのだろうかわからないが、ほおを擦れば乾いた涙が行く筋も通った痕がこびりついている。ずいぶんな言い草だと思いながらも床に落ちたまま不服そうな沈黙を続ける絵本を拾い上げた。どうやら先ほどの音はこの本がたてたものらしい。
「傷が、見つかった」
「なんだと?」
「いえ…なんでも」
繰り返される日常と、腐って行く傷口と。やがて訪れる緩慢な死を受け入れるだけの最後は1度きりで十分だ、と。閉じたままの本が笑う。塔から放逐されたラプンツェルも、そうだったのではないだろうか。
ただ繰り返される日常と、安全ではあるが緩慢な死を迎えるだけの日々。見知らぬ男に奪われたのは、果たして純潔だけだったのか、否か。
その答えを知るのは彼女だけだ。
「おい、何をしている」
ならば終わりの答えは自分たちで見つけなければならないだろう。見つけた傷口にはもう治らない傷がある、ならばそれを腐らせるかどうかは自分だということだ。
「何って、逃げるんですよ。ここにいたら貴方は殺されるだけだ。やっぱりこんなのはおかしかったんです、僕は見たんだ」
「何をだ」
「クソッタレな結末をですよ!」
鍵はあっけないほど簡単に外れてしまった。
まるで何事もなかったかのように、はじめから囚人などいなかったのように。ラプンツェルを失った男はどうなったか、塔から身を投げ視力を失って長い間さまよい歩くのだ。
だがそんなものは本の中だけで十分だ。
「おい、ウラキ、」
「馬があります。この塔の裏手に繋いである。白い星のある栗毛の馬が一番足が早くておとなしいです。使ってください。」
「何をしているのかわかっているのか、私を逃がせばお前が死ぬぞ」
「…わかってますよそんなこと、ああクソ、あんたに会うんじゃなかった…しゃべるんじゃなかった」
夢なんてくだらないものを見るのではなかった。
そうすればきっとこの男を知ることもなく、同じ結末を受けいられたのに。その本の結末を知ってなお、それを書き換えようとするなんて、
「僕は相当な馬鹿だ。」
怪訝そうな顔をしたままの彼の腕を掴む。鉄格子ごしではなく、すぐ目の前にした体は教科書で見たような屈強な男のものではなく、これから死を迎えようとしているただの人間だということ。つま先で伸び上がると、驚いたまま棒立ちになっている顔を掴んで薄い唇に自分のそれを押し付ける。
突き飛ばされるか殴りつけられるかとも思ったが、彼は少し驚いただけでこちらが手を離すまで大人しくされるがままになっていた。
「命の代金にしては安いでしょう」
「嫌がらせか?」
「…そうかも、貴方に惚れたみたいだ」
「馬鹿か!」
吐き捨てるような声に、今度こそ殴られるものかと強く目を閉じたが、代わりに落ちてきたのは殴るにしてはあまりにも優しい手のひらだった。
「家族はいるのかウラキ少尉」
「…いえ、僕は一人っ子だし、父と母は戦争で死にました。家族が悲しむからやめろっていうんですか?それなら残念でしたね」
そうではない。
そうつぶやいた瞬間に強く腕を引かれて足がもつれる。驚いたまま転がり込んだのは腕の中で、声を失ったままで居ると彼がいう。
「それならばむしろ好都合だな」
「何が、」
「逃げるのだ、貴様が私を逃がしたのではない、私がお前をかどわかしたか殺したと、この状況を見れば誰もが思うだろうな」
硬く握ったままの手をこじ開けられ、掴んだままだった鍵を牢の床に放り投げながら男がいう。どうしてその姿に儚げな夢を重ねたのか、この一瞬でわからなくなってしまった。確かに彼は守らなければならない何かを背負っている。
その何かを背負ったまま死ぬのは、やはり誰だってためらうものだろう。
「貴方も相当な馬鹿ですよ…!」
手を繋いで塔の階段を駆け下りながら声をひそめて罵り合う。
暗闇に佇んだ馬は、まるで自分たちを待っていたかのように体に散った星を煌めかせて一度小さくいなないた。
「そうかもしれんな」
でも、
そう呟くガトーの声が少し楽しそうで、繋いだ手を強く握り返す。
そう、惚れてしまったのだ。この男に。
綺麗な星色の髪をして、まるで流星みたいにこの腐った戦争の端っこに現れたこの男に。
塔に忍び込んだ王子は、
ラプンツェルに一目惚れをして彼女の髪を自ら切り落として魔女の手から逃げ出した。
彼女たちがその後どうなったのかは、朝が巡ったあとに冷たい抜け殻の牢に残された結末の書き換えられた絵本だけが知るのだろう。

彼らは幸せに、なれただろうか。

作成:2015年3月18日
最終更新:2015年3月18日
2011年に数冊だけ作った同人誌からサルベージ
なんとガトーがラプンツェルという……

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