「何考えてんだ、畜生…!」

何も考えていない、と答える代わりに彼は狭い空間で振り回され、頬に当たった手に爪を立てる。締め切られた空間は酸素が供給されているとはいえ、本来の許容を超える人数を擁しているせいで、息苦しく感じる。何より、上がる体温に部屋の温度はどんどん上昇し、お互い酷い有様だった。

「無粋な事を言うな」

ハ、と笑いとも吐息ともつかない声を漏らした男が、わずかに身じろぎ、腕を振り回した方は眉を寄せて小さく呻いた。額には汗が滲んでいる。

むっとする熱気と、最後の抵抗のように頼りない送風をするエアコンと、薄くなっていく酸素と、鳴り響くアラートの音。

(ああ、このままもしかして、死ぬのか?)

首に牙をたてる白い獣を前に、彼は静かに眼を閉じた。


遠く、大きな青い星が輝く。

何度目かになるアラートを送信し、反応のかえって来ないコンソールを叩くと彼は小さく舌打ちをした。

C.E.70年5月30日。2030。

直径は優に80kmを超えるであろうクレーターには、希薄な重力で巻き上げられた粉塵が蔓延し、視界はすこぶる悪い。すり鉢状にくぼんだクレーターの中心には半壊したドーム状の基地がぽつりぽつりと見受けられ、時折思い出したかのように小規模な爆発が起こった。

―――まあいい。

機体の機能が損なわれたことで、生命維持システムが作動し、空調が緩やかに機能を停止していく。残ったエネルギーを酸素を生産することに比率を置き、なるべくパイロットが発見、救出されるまでの時間を稼ぐ安全装置だ。ノーマルスーツを身に着けているのであれば、機体を捨て置き母艦まで戻る…という強攻策も可能ではあったが…

と、白い手袋に包まれた指先をコンソールから離して彼は苦笑する。身体はノーマルスーツではない、手袋と同じく一点の染みも無い白い制服に包まれていた。

何故パイロットスーツを着ないのか、と問われることは少なくない。

そのたびに、彼らは「死ぬ気がしないから着ないのだ」と勝手に納得して去っていく。その背中を見ながら息を吐くのはいつものことだ。

逆だ、と笑ってやりたい。

死ぬ気がないから着ないのではない。

…いつでも死ぬ覚悟があるから着ないのだ。とはいえ、無駄死にするのも面白くは無い。おそらく信号の消えた自分の機体に気づいたオペレーターが、今頃所在を調べているところだろう。戦火の光はモニターから随分と遠い。

優勢を保っているとはいえ、数では劣るプラント側が、まだ利用価値のある貴重な「英雄」をみすみす手放すわけが無い。と言えば自惚れに聞こえるだろうが、それがまぎれも無い事実になっているという笑えない現実がある。

なけなしのMAを投入し、苦し紛れの抵抗を続けていた連合政府も、度重なる敗退にじりじりと戦線を捺され、もはや疲弊しきっていた。これは終局が近いな、と彼は満足げに息を吐く。ただ、追い詰められた鼠は最後の抵抗に何をしでかすかは分からなかった。悠々と引き上げようとした、その喉元に噛みつかれては面白くも無い。

最後まで気が抜けないのもまた、確かでは有る。

(駆動系を強化されたMSの耐久に、問題が生じやすいとは聞いていたが)

いまや完全に沈黙したジンハイマニューバのコンソールを軽く蹴り飛ばし、彼は深く溜息を吐く。なんとか手動で信号弾を打ち上げられたのは果たして、幸か不幸かといったところである。最前は遠いが、クレーターの岩の陰になったこの場所で、仲間がスムーズに見つけてくれる可能性を考えるべきだったかもしれない。または、連合に鹵獲される。

「お手上げだな」

通信の途絶えたコックピットに、思わずこぼした独り言が虚しく浮いた。サイドから引き出したサブコンソールを開くと、作戦海域の地図が表示される。ここから数十キロ離れたメインクレーターの方では、更に激しい近接戦闘が繰り広げられたようだ。確か地下鉱脈の採掘のために、サイクロプスが設置されていた、と聞いた覚えがある。

パネルを叩くと、鏡を寄せ集めた傘のようなものが表示される。太陽光のエネルギーを利用してマイクロウェーブを発生させる原始的な装置だ。エネルギーを送り続ければやがて限界を超えた一つ目の巨人は暴走するだろう。そのときその場所へ居合わせたらどうなるか、考えるのもおぞましいことだった。要するに巨大な電子レンジに放り込まれたとしたら。

(しかし、私がもし同じ選択を迫られればそうするだろう)

モニターの地図、クレーターの中心に電子ペンで小さく×印をつける。その前になんとしてでも仲間に見つけてもらわなければならない。まあ、

なるようにしかならないだろう。彼はゆっくりと息を吐くと、身体を締め付けていたベルトを外して椅子の上で方膝を立てた。薄い色の金糸がゆらりと漂い、奇妙な仮面に覆われた面を縁取っている。

仮面に隔ててられた表情は、誰にも読まれることは無かったが、頼りない防護壁の中で確かに一瞬。その顔が焦りに歪んだ。



パイロットである以上、地獄というのはそう非日常的なものでもないと覚悟はしていたが。

色の無い砂の海に点々と沈んだ、機体の屍骸の上を飛びながら、彼はヘルメットの下で眉を寄せた。最初から敵う相手とは言いがたかったのだ。

「ひっでぇな…」

先ほどからモニターに映る熱源は殆どない。仲間の生存を信じるうちに、思いのほか遠くまで来てしまったようだった。先ほどから母艦への打電を試み見ているものの、反応は芳しくない。電波妨害なのか、はたまた沈んでしまったのか。もともと航行用ではないメビウス・ゼロは戦いの間分の燃料しか積んではいない。焦りに任せて飛び回ればやがてガス欠に陥り、破滅を迎えるだろう。

息苦しく感じるヘルメットの中で、パイロットスーツの酸素供給装置を作動させる。その代わりコックピットの生命維持装置は最低限を残して停止させた。こうしておけば、もしどちらかの酸素が切れたとしてもしばらくは生きていられるだろう。

(ま、それがどれくらい気休めになるかわかんないけどね)

スラスターを吹かして推進剤を無駄に消費するのも気がひけた。エンジンを切ると、惰性に任せて機体を操り、枯れた海を滑った。月のクレーターや場所には水さえないものの、海や沼や入り江といった水にちなんだ名前が付けられている。実際、地表の下では太陽の愛撫を受けずに凍結した巨大な氷の塊が眠っている。レアメタルを含んだそれを溶かし、資源として採掘するのもつきに設けられたこの基地の役割だった。

しかし、ザフトの侵攻にあって、それどころではない。今は少しでも戦線を維持することに尽力しているが、もはや旗色は目に見えて悪い。最新のMAを投入している手前、すぐに引き上げろとも言わないところが連合の敗因の一つだと。現場で戦うパイロットがいくら声を荒げようと、安全な司令室で椅子にふんぞり返る司令官には届かないようだ。

とばっちりで死ぬのはいつも俺たちパイロットだ、と彼はレバーをゆっくり倒して旋回した。ごつごつと複雑な陰影を作る地表を見下ろす。その影に、一瞬何か光るものが見えた気がした。

「…なんだ」

慎重に機体制御をして高度を下げる。MSとは違い、四肢を使っての姿勢制御が出来ないが、操縦さばきはさすがといったところである。獲物を捕らえた猛禽類が、空から地面に狙いを定めたように、オレンジの機体は影へと滑り落ちた。

そこには、静かに方膝をついたままじっと動かない、

「モビルスーツ…?」

モビルジン、ともまた少し違うようだ。グレーと白を基調に塗り分けられたそれは、よく戦場で見かけるジンタイプよりも駆動が大きく作られているようだった。後継機か、カスタムモデルなのかもしれない。

モノアイに光は無く、アラートが鳴らなかったのも熱反応が殆ど検知できなかったからのようで、おそらくエンジン部の故障か、なんらかのOSトラブルか。機体にほとんど傷がついていないところを見ると、もしかしたらパイロットは中で気を失っているのかもしれない。

鹵獲、の文字が彼の脳裏に浮かぶ。

新型だとしたら、もし無傷のまま鹵獲できれば、一矢報いることが出来るかもしれない。

「起きてくれるなよ…」

土ぼこりを上げてメビウス・ゼロはMSからやや離れた位置へと舞い降りる。この位置ならば、もし自爆装置を作動されても自分の機体まで失う事態だけは免れるだろう。最も、爆発に巻き込まれれば生身では跡形も残らないだろうが。

幸いMSに目覚める気配は無い。彼はコックピットのハッチを跳ね上げると、簡易スラスターをつけて白いMSの元へとワイヤーアンカーを打ち込んだ。

「多分、強制開放装置が…っと。…ン、これか?」

胸部にコックピットがあるはずだ、と当たりをつけてあたりを探る。ザフト製とはいえ緊急用に、強制ハッチ開放装置くらいは用意してあるはずだった。

探った指先にへこみがふれる。果たして握ってみればレバーのようなもので、両手で握ってまわせば

、ブシュ、とコックピットの中から空気が吐き出されてそれは開いた。

ふわり、

と。漂った色に、ヘルメット越しに目を丸くする。

「なッ」

狭いコックピットの中で、吸いだされる空気に巻き込まれて真空に放り出されようとしているのは、あろうことかスーツも身に着けていないパイロットだった。身体をまるめて横をすり抜けていってしまいそうなパイロットの腕を掴むと、押し込むようにコックピットへ転がり込んでハッチを閉める。吸い出された空気を、生命維持装置があわただしく補充する音。掴んだ腕の中でぐったりと伸びている男を見て舌打ちをする。もしかしたらもうとっくに死んでいたかもしれないのだ。思わず引き込んでしまったが、死体とランデブーというのはどうもぞっとしない。

狭いコックピットに酸素が満たされたのをスーツについたセンサーで確認すると、ヘルメットを脱いでスーツの手袋をくわえて引き抜く。指先で腕の中で伸びているパイロットの首筋に触れれば、微かな熱と不規則な脈が伝わった。

おもわずほっと胸をなでおろすと同時、敵とはいえよほど腕に自信があるか、馬鹿かのどちらかだろう。パイロットスーツも身に着けずに出撃とは、今のように真空に晒されればそれは即ち死を意味する。真空に晒された人体は、ものの2分か3分あれば、気圧で水分が蒸発するし、さえぎるもののない有害光線に貫かれれば、たとえ呼吸ができたとしてもただではすまない。

いわばコックピットは棺桶だ。

「…おい、おいあんた!」

わずかに呻いた男は、よくよく見れば奇妙な仮面で顔の半分を覆っている。ヘルメットもつけていないというのに、おかしな話だ。ニュースや通信や、軍の資料で何度も見たことの有るザフトの軍服だが、彼が身につけているのは見たことの無い色…白だ。もしかしたらそれなりに地位のある人物なのかもしれない。

ぺちぺちと頬を叩くと、細い金糸がからんだ頬がわずかに震える。仮面にさえぎられていて見えないが、どうやら目を覚ましたらしい。ああ、よかった。ほっと息を吐くその一瞬で、跳ね上がった手にひねり上げられてシートに押し付けられていた。舞い上がった白い制服が視線をさえぎり、その手に握られた、一振りのナイフ。

ひんやりとした刃を顎下に突きつけられ、彼は両手を上げた。一瞬で飛び起きた白い制服の男は、軍人というよりも何か野生の獣じみたしなやかさを感じる。制服と同じく、白い手袋に守られた手が握る、ナイフの柄。彼が体重をかければ、銀色のセラミックの刃は、ヘルメットを脱いだ男の首へとたやすく飲み込まれるだろう。

「…誰だ貴様は」

「ご挨拶様…命の恩人」

「誰が」

「俺が、あんたの」

ナイフを突きつけられたままゆっくりと指を自分からその元凶へと指し示す、が白い軍人は微動だ似せずに鼻を鳴らしただけだった。

「人を殺しかけておいてよく言う」

「ですよねー!」

コックピットの中は、外から見たときは分からなかったが計器類が生きている。ということは駆動系の不具合で足止めを食らっていたのだろう。生命維持装置も問題なく動いているということは、コックピットを強制開放するまでは、目の前の男は無事だったというわけだ。

酸素が急に吸い出されたショックで一時的に気を失っていたのだろう。ナイフを突きつけられたまま、手袋に包まれた指が、器用にパイロットスーツのフロントを下ろしていく。腰のポーチを探り、あわせを探り、どうやら武器の携帯を確認しているようだ。

「なんも、もってねぇよ…」

生憎銃はコックピットにおいてきてしまった、と数分前の自分をのろいながらため息を吐く。もっとも、射撃はからきし苦手であったし、持っていたところで役に立ったかどうかは分からないが。

するりするりと降りてきた指に、あらぬ場所を探られて、彼がうめき声を上げた。ちょっと、と焦った声がこぼれ、振りほどこうとするものの首に押し付けられた凶器のせいでそれもかなわなわない。狭いコックピットに閉じ込められて、シートに深く押し付けられた膝の間に、白い膝。金色の髪の男の制服が、スカートのように広がっている。

「ちょ、ちょっとアンタ…!やめろッて…!なんも持ってないってんだろ…!」

平静を装うにも、手で弄られれば生理現象に苛まれる。

相変らず顔色一つ変えずに身体を弄る男に翻弄され、すっかり熱を擦った身体を持て余し、焦った声を上げれば男の唇が歪む。殺すならば、最初の一撃で首を切るか、スーツを奪ってコックピットから放り出しでもすれば十分だったはずだ。ふむ、とナイフを少し首から離して彼が頷く。

「下着はつけないのか」

「やめて俺そういう趣味無い…」

情けなく泣きそうになりながら、引き倒された男が顔を覆う。その耳が、見て分かるほど真っ赤に染まっているのをみて満足そうに頷いた制服の男が言った。

「それは奇遇だな、私にもそんな趣味は無い、が」

嫌がらせだ、と。薄い唇が弓なりにしなるのを見て、彼は青ざめた。シートに押し付けられ、膝が股をすりあげる。小さく呻いて顔をそらせば、白い指に顎を掴まれた。そのまま無理やり白い面に向き合わされ、思う。その奇妙な面の向こうで、この男はどんな顔をしているのだろう。

酷く、冷たい声だ。

「あんた、もしかして…ラウ・ル・クルーゼか?聞いたことあんぜ、世界樹を切り倒した男の一人だって、確か白い、仮面の…」

声が途切れる。

クルーゼ、と呼ばれた男が強く膝を押し付けたせいだった。それは光栄だな、と頭上から声が降る。彼が見上げれば、仮面に隠された顔が静かに笑っていた。こぼれた金糸が頬に落ちて、計器の光で淡く輝く。

「…ほう、知られていたとは光栄だな」

耳元に低く、吹き込まれる声に心臓が跳ねる。紛れも無く男の声なのだが、妙に湿った陰がある。それが色気だと気づいたときにはもう、膝に乗り上げたからだが目前にあった。もともと狭い密室である。無理やりとはいえ、興奮して体温の上がったからだと、二人分の吐息に、コックピット内の生命維持装置は対応しきれず、気温を上げる。はァ、とかすかに毀れた溜息に、思わずぎくりと腰をすくませた。

…なんという声を出すのだ、クルーゼは。

「ふ、ふ、勃っている」

「止めてください…」

情けなく顔を覆ったまま呟く。膝に乗り上げた白い制服をまとったからだは、色のせいか、制服のせいか、軍人というよりも役者のようだ。手袋に、仮面。鼻から下のわずかに露出した口元だけが、彼の感情を伝えている。

パイロットスーツは、体温調節機能のほかにも、酸素の供給機構、それに排泄の処理に関する簡易装置までが備わっている。ぴったりと身体に沿うように作られているため、下には薄いアンダーウエアしか身に着けることが出来なかった。

故に下着を身に着けずにスーツを着るパイロットも少なくない。長期にわたる戦いと予想されるものほど、のことだった。

さらりとした感触が下脚をなぞり上げ、男は息を詰める。ナイフのせいで下手に動けないまま、クルーゼの指先に翻弄されていた。いくら相手が男とはいえ、生理現象には抗えずに身体は否応無く反応を返す。

度重なる戦闘で過剰に分泌されたアドレナリンがいけなかったのかもしれない。いつの間にかスーツから抜き出された自身は、手袋に包まれた指にしごかれ、苦しげに震えている。呻くような、声が漏れた。

「ッマジ、で…やめ、」

とろりと溢れた液体が、手袋にしみこんで計器の微かな光でてらてらと光っている。どこか人事じみたその光景に、まるでポルノ映画でも見ているような感覚に陥ってしまう。身体が、自分から切り離されてクルーゼの手にゆだねられていく感覚。思わず仮面に伸ばした手は、直前で彼の手によって阻まれた。

「おっと、」

そのはずみで、首筋へと今にも食い込もうとしていたナイフが宙を舞う。危うくそれに切り裂かれそうになりながら顔をそらすと、月の重力に軽い音を立てた銀色の刃はコックピットの床に滑ってどこかへ消えた。身をかがめてそれを拾おうをするクルーゼの、空いた片手を掴む。ふ、とその唇が笑うように吐息を漏らした。

「おまえ、マジいい加減にしろよ」

乱れる息の元で動きを封じてみせるも、ちょこんと腰へ乗り上げたままの男は、一度笑っただけで何も語らない。片手ずつを戒めあったまま、椅子の上で視線が絡んだ。

「言っただろう、嫌がらせだと」

何でお前にそんなことされなきゃいけないんだ、と男の目が語っている。掴んだ手を離すと、彼はぱちんと音を立てて制服のベルトを外した。柔らかな、コシのある軍服の裾がドレープのように一瞬広がって、落ちる。おい、と声をかける前に彼の制服が翻る。今度こそ頭を抱えそうになって、彼は床に滑り落ちたナイフをなんとか拾えないものだろうかと考えていた。



吐息が鼻先に触れる、気がする。

湿った空気を不快と感じるほどの余裕もなく、熱に浮かされたままに首に噛み付こうとしている獣を見上げた。

腰からぐずぐずと飲み込まれて溶けていくような、熱。腰の上で踊る男が笑う。クルーゼ、と唸り声を上げても彼は少しも揺るがない。

「…ッ…ほんと、なんなん、だよ、」

情けない嬌声を漏らすことだけは、プライドと理性のギリギリの一線で耐えていた。こみ上げる感覚に唇をぐっと噛み、コックピットシートの肘に爪を立てる。保温性の高いスーツの中で、翻弄された身体はとうに汗にまみれていた。

仮面に阻まれた表情は読めない。汗さえ滲ませているものの、わずかに覗く肌は白く、腰の上に乗り上げた身体は、丈の長い制服に隠れて時折太ももが覗くばかりだ。だがそれが余りよろしくない。ちらりと向けた視線の先で、白の隙間から覗く白。心臓が跳ね上がる。

「お前を殺すものだ、とでも言えばいいのか?」

声が少しでも揺るげば可愛げがあるというものだが、クルーゼの声は跳ねもしない。演技じみて抑揚のついた、静かな声が鼓膜に染みる。制服にかくれた、あらぬ場所がたてた水音にまた、シートに沈んだままの男の体温が上がった。

クルーゼの手に掴まれた時は、ああさようなら俺の処女…とやや的外れな絶望を抱いた男だったが、その思いは早くも打ち砕かれる。腰にまたがったクルーゼはためらいも無く彼を飲んだのだ。肉に埋もれる感覚は女を抱くのと近く、それでも生殖器ではないのだから濡れるわけも無く、引きつりながら飲まれる感覚は痛みに近い。思わずうめき声を上げる彼をいたわりもせず、自分の身体へと引き込んでいくクルーゼは淡々としたものだった。痛みを与えるための行為のように、その動きにためらいは無い。

だが一度飲まれてしまえば男である。

彼が腰の上でくねるたび、狭い内壁に擦られてじわじわと雄は熱を取り戻す。これじゃ軍人なんかよりも娼婦だ。またもっていかれそうになって、うめき声の隙間で唇を強くかみ締める。わずかに血の味がした。

「殺す?お前が、俺を」

なんとも間の抜けた質問だと思う。

敵同士、ましてや片方は丸腰で、あと数センチ。あのナイフを突き入れていれば彼は頚動脈を切り裂かれて死んでいただろう。それがこの有様というのは。

せめて剥いでやろうと手を伸ばしても、その指は仮面に届く前に縫いとめられる。薄い唇が歪み、一度浮いた腰が、ぐっと深く落ち込んだ。まるで何か別の生き物の口内に飲まれて嬲られるような感覚に、開いた口から殺せなかった声が吐き出される。

「ッか、はっ…くそっ」

「これはダメだ。」

まるで子供を叱る口調だが、その声の温度は限りなくゼロに近い。限界に近かった彼の張り詰めた体は、クルーゼが身体を押し付けたことで限界を迎えたらしい。微かな声を耐え切れずこぼすと、クルーゼの背中に手を回す。彼はすこし驚いたようだった。

「おっ…、うぐ、ッ」

抱きしめる、というよりも声を殺すためにすがりつくように。

彼の胸に顔をうずめて息を吐く。強く抱いた腰は、制服の上からは分からなかったが、しっかりと引き締まっていて細く、だが女とは違う抱き心地が彼がまぎれも無く男だということを伝えている。

本当に、男を抱く趣味なんか、無いんだって。

軍にいれば多少はそんな話も飛び交うが、彼は紛れも無く男の固いからだを抱くような趣味は持ち合わせてはいなかった。それなのに、と最後の抵抗のように跳ねる腰に眉を寄せながら彼は思った。

それなのになんだ、クルーゼということの男。触れた素肌はそれこそ繋がった一点のみのくせをして、心のうちまでがダイレクトに流れ込んでくるような、感覚。もっていかれてしまう、と戦慄した。心の中に鍵をかけてしまっておいた何かの、その鍵をずっと探していたはずなのに、勝手にピッキングでこじ開けられたような。

鋭い痛みを感じて背中をしならせれば、スーツから覗いた彼の肩に、クルーゼが遠慮なしに歯を立てたところだった。甘噛み、などと生易しいものではない。皮膚を割いて、白い歯が肉へと食い込む。鮮血が肩甲骨へとわずかに流れて、スーツの中に吸われた気がした。

食われる、と思った瞬間、甘美な痛みが腰へと駆け下りていく。彼は思わず悲鳴を上げた。

「だめ、だ…!イっちまう…!」

ずる、る。

音を立てて引き抜かれた杭が、最後の居場所を求めるように深く、深く突き刺さる。慌てて体を離そうとしたものの、頭を抱えこまれてクルーゼの身体が深く、落ちてくる。彼は耐え切れずに小さな咆哮を漏らすとその体内へ精をぶちまけてしまった。

「ッ…」

痙攣するように何度も、何度も震えて精を吐く性器に、クルーゼも微かに息を呑んだようだった。だがじっと頭を抱いたまま燃え上がった熱がくすぶり冷めるのを待っている。制服に隠れているために、二人の繋がった箇所が酷い有様になっているのが見えないことだけが唯一の救いだっただろうか。

…いや。

逆に見えないせいで、あらぬことまで想像してしまうだろうか。戦闘で興奮していたのも重なって、酷く大量の精を、命の繋がりももてない相手の体内へと流し込んだ、という事実が彼の意識にのしかかる。ふふ、とクルーゼが微かに笑ったようだった。

「えらく溜まっていた、と見えるが」

「うるせーよこの、」

もういいだろ、と無意識に強く抱きしめていた腕を解きながら荒げた息を整えていると、案外あっさりと苦彼は身体を引く。立ち上がった脚の、白い裾に隠れた股に自分の注いだ精の垂れるのを見て思わず目をそらす。クルーゼは何も気にすることが無いのか、制服が汚れるのも構わずにスラックスをはき直す。ぱちん、とさきほどまで散々男の精を絞るためにくねっていた腰にベルトが留められる。

それは意識の断絶の音、にも聞こえた。お互いに分け合っていた感情の温度がその音を聞いて一瞬で冷めていく。

「…死ぬ前にせめてイイコトしてやろうとか、そんな理由だったら俺全力でお前のこと殴るわ…」

精根尽き果てる、というのはまさにこのこと、とシートに沈んだ男が呻く。頭を抱えているせいで、まるで泣いているように見えた。

「ならせめて殺す前に名前を聞いておこうか。私だけ名乗るというのは不公平ではないかな」

床におちたナイフを拾い上げながらクルーゼが笑う。ああ、俺ここで死ぬの?男は指の間から呻いた。やっぱそうなりますよねー、と。乾いた笑いを漏らすその声は案外軽い。

「…ムウ、ムウ・ラ・フラガだよ女王様。あんたが殺す男の名前だ」

微かに。

本当に微かにクルーゼの頬に翳りが走ったが、うつむいていたムウにはそれは見えなかっただろう。ほう、と呟いたクルーゼの声にはわずかに今までと違った響きが含まれていた。もてあそんでいたセラミックナイフが、彼の腰にある鞘へと静かに収められる。

「なに、やんないの」

「殺して欲しかったか?」

「ンなわけあるかよ…」

顔を上げたムウの目に、髪を払ったクルーゼの姿が映る。その面はさきほどの淫靡さなど少しも持ち合わせておらず、いっそすがすがしくも見えた。彼は狭いコックピットの脇からサブパネルを引き出している。操作したコンソールに合わせて地図が表示される。その中心に、小さく赤く×印が付けられていた。

「…今日はやめておこう、ムウ…といったな。次に会うときが、私がお前を撃つ時だ。それにこんなところでお前の首を切って、血まみれで戻るのは趣味じゃない。」

いいことを教えてやろう、とその唇が薄く歪む。×印のしめされた地図を、汚れた手袋につつまれた指が指し示す。その指を汚したものを思って、ムウはわずかに赤面した。

「生き延びたいなら、ここには近づくな」

エンデュミオンクレーター。

永遠の美貌と引き換えに永久の眠りを賜ったゼウスの息子の名前の冠されたクレーター。その中心に付けられた赤いしるし。確かここには採掘のためのサイクロプスが設置してあったはずだ、と思い出してムウは怪訝な顔になる。口を開きかけた彼を、クルーゼは軽く制した。

「理由など聞くな。信じるも信じないも貴様の自由だ」

さあ、そろそろ出て行ってもらおうか。腕を組んだクルーゼが笑い、ムウはシートから引き剥がされる。相変らずエンジンは沈黙を保っていたが、モニターの片隅にはこちらに信号を送る味方機の数値が表示され始めていた。

信号弾が功を奏した、といったところだろう。

夢から覚めたようにはっとしたムウが、ヘルメットをとって被りなおす。バイザーの中でその唇が、クルーゼ、と呟いたようだった。声はもう聞こえない。

息を吸うとハッチを開放する。シートベルトに固定された自分とは違い、ムウの身体は空気ごと外へと放り出される。外した手袋も共に捨てた。

酸素が再び満たされるのを待って、ゆるゆると息を吐く。モニターには、機体にたどり着いた男が一瞬の閃光の後にそらに消えた。その姿を見送った、クルーゼの口に複雑な表情が浮かぶ。

「ムウ・ラ・フラガ、なんとも皮肉なものだな」

誰に向けられたわけでもないその一言は、小さな箱の中でいつまでも漂っていた。

救援信号が、遠くに光る。



C.E.70年6月2日。

追い詰められた連合軍がエンデュミオンクレーター地下に設置されていたサイクロプスで、敵軍を味方ごと焼き殺した、と速報を受けたときクルーゼはやはりな、と鼻を鳴らした。

窮鼠猫を噛み、情けなくも月からは撤退を余儀なくされることとなる。双方に深い爪痕を残した約1ヶ月に渡る小競り合いからしばらく。

生き残ったムウ・ラ・フラガが英雄に祭り上げられたという話が、クルーゼの耳に届くのはもう少し後のことになる。

作成:2014年8月24日
最終更新:2014年8月24日
インパクトで出したコピー本をサルベージ。
コックピットえっちが書きたかった……

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