いつえしん、きくがたはなび

お前だったら桔梗格子とか、似合いそうだな。
もごもごと、聞き取りづらい声で確かにそう聞こえた気がして、クルーゼは顔を上げた。
相変らず山積みになっている株式処理の書類に埋もれながら視線を転じれば、あろうことか主人(…と呼ぶべきなのだろうか)はソファで端末を弄りながらアイスを咥えていた。声がくぐもって聞こえたのはそのせいらしい。
「何が」
仕事をしろと一々口にするのも面倒になって、クルーゼはかすかに眉をひそめただけだった。すぐにその視線は手元の書類に戻っていく。
ここ最近この株は芳しくないな、そろそろ潮時か。そんなことを考えながら。
「花火大会あるだろ、来週」
アイスを食べ終えたムウは、棒をゴミ箱へと放り投げて端末を指先でひとなで。何を見ているのかは会話からたやすくうかがい知れた。
「花火…?ああ、セントラルポートの」
そういえばもうそんな時期だっただろうか。
セントラルポートで行われる花火大会は、今年で10回目を迎えるらしい。そういえばそんな広告をどこかで見たような気がすると思い、だがそれがどうしたと言いたげに寝転がったままのムウをねめつけた。
港で行われる花火は、それほど規模は大きくは無いが、水上から打ち上げられる四尺玉は見事なものだ。水面に浮かんだまま、打ち上げずに開かせる花もあり、さながら見事な蓮の花畑のようで。
「察しが悪いのか、相変らず意地悪なのか」
クーラーの風はゆるやかで、汗をかくほどでもないが夏の日差しのふんだんに差し込む室内は眩しくて暑い。ソファでねそべるムウの、少しくすんだ金髪は日の光にゆらぐひまわり。とクルーゼは思った。
拗ねたように唇を尖らせる男を見やり、溜息を吐いてみせる。わからいでか、とそう言う変わりに指にはさんだ万年筆で書面を叩く。
「…行くのは勝手だが、株式書類の振り分けを終えてからだぞ」
てっきりそれで諦めるかと高を括っていたが、その一言をうけてムウは端末を放り出すと、ぱっとソファから体を起こした。ほんとに?と、その目が言っている。
「いいのか?それ、おわったら」
「ちゃんと仕事が終わったなら、な。やることさえやっていれば別に私はお前の私生活に口を挟んだりしていないだろう。」
というか、どちらかといえば被雇用されているのは自分のほうだ、とクルーゼは複雑な気持ちで切り捨て株券をファイルに放り込む。もともと、彼の父親の代からこの家に仕えるよう言われていた彼は、まあ紆余曲折あって今もまだムウの下でサポート業務を行っている。
とはいえ、普段は別途立ち上げた民間航空会社のパイロットを兼業するムウのこと、事務仕事はほぼクルーゼの独壇場だったが。
クルーゼが仕事に復帰したのはつい最近の話で、それまでは体を壊して入院をしていた。というか、ほぼ生死の境をさまよっていたといった方がいいだろう。それがこうしてまた仕事が出来るまでに回復したのも、いわばムウのおかげであり、その点に関して命の恩人と言ってもいい。
「やり!」
クルーゼはフラガ家の「使用人」であるが、そう扱うことをムウは極端に嫌う。
まあ、複雑な事情があったとはいえ、血を分けた兄弟…のようなものであるので無理は無いと思うが。歓声を上げてデスクに向かい始めた三つ年上の兄(?)を眺め、まあいいか、とクルーゼは声に出さずに呟いた。





「はいこれで最後!」
紙を滑る万年筆の、心地よい音が響く。
山積みになっていた仕事を片付けて、ムウは達成感を湛えた顔のままデスクに突っ伏した。その手に握り締めたままの紙の束をとりあげ、無言でチェックをしたクルーゼは静かに頷いて「いいぞ」と呟く。その言葉を皮切りに顔を上げた男は、まるで子供のように顔を輝かせた。
「じゃあ花火…」
「行っていいぞ。夜からだったか、羽を伸ばすのも構わないが、帰れなくなるなら連絡をすること。明日は休みだったな、なら、まあ…構わない」
端末を開いてムウのスケジュールを手早く確認する。
パイロット業務は今週は入っていない、会議や会合は来週の頭までは入っていなかったし、急ぐ仕事を終えた今は、向こう2日間はオフの予定だ。が、ムウは怪訝そうな顔をしてクルーゼを見上げた。何いってんのおまえ、とその口が呆れた言葉を搾り出す。
「お前も行くの」
「は、」
「一人で見たってしょうがないでしょ、お前も行くの花火。一緒に。あ、もしかして『俺だけ』ってつもりだったの?」
「…そうだが」
ちげェよ?!
あああ、と頭を抱えてうずくまったムウを見下ろして、クルーゼは困惑したまま立ち尽くす。端から彼が喜んでいたのはつまり、
「私を誘って、花火大会に行くつもりだったと…そういう」
「察しろよー!あの場でああいう事言えば、そういうことだろ?!一人で花火大会はしゃいで行くとかどんだけぼっちなの、俺!」
それは色々あるだろう、とクルーゼは眉を寄せる。ムウもいい年である、そう、例えば婚約者であるとか、懇意にしている女性であるとか。
「私にばかりかまけていてどうする…」
呆れた声もなんのその、ムウはめげない。
それで、どうなの、と手を引かれて肩にかけた髪が毀れた。どう、とは。
「一緒に行くの、行かないの」
主人であるムウが、それでも「来い」と命令しないのは彼の優しさなのだろう。まるで主人の出方を伺う犬のような目をして、これではどちらが雇い主か分かったものではない。
触れた指はまるで子供のようにあつい。
その体温を、心地よいと思い始めたのはいつからだっただろうか。毀れる息はため息にはならず、もっと甘く響いたことだろう。「仕方ないな」呟いたクルーゼにムウの口が緩む。
その尻に、確かにちぎれるほど振られる尻尾を見た気がして、クルーゼは顔をそらして毀れそうになる笑いをかみ殺すのに酷く苦労した。
「なあ、お祭り、行くならこれ着よう」
そう言って、ごそごそとクロゼットを探っていたムウが取り出したのは、白に近い生成りの衣だった。見慣れないシルエットに首を傾げると、彼は両手を広げて風に浮きそうなそれをクルーゼに差し出す。目の覚めるような濃い紺色で、裾に桔梗が染め付けられている。浴衣、と彼が言った。
「最近流行ってるだろ、これきて祭り行くの。絶対お前、似合うと思ってさ」
受け取った浴衣は手に軽く、さらりとして風通しもよさそうだ。クルーゼは浴衣には明るくないが、きっとそこそこ値の張るものなのだろう。しかし、と思わず眉をひそめたのは。
「女物じゃないって、安心しろよ…」
しかしお前には前科がある、と声を低めて呟いて見せれば、ムウは「うっ」と声を上げてたじろいだ。慌ててもう一着の浴衣を引っ張り出すと、目の前で広げて見せている。こちら藍に、流水の模様が染め抜かれているもの。クルーゼの腕の中に抱かれたキモノと、確かに形は同じのようだ。
「な、俺のと同じだろ」
「…フン、そのようだな」
もう少し素直になれよと苦笑するムウは、浴衣を広げてクルーゼの肩にそれをあわせた。
「ああよかった、サイズはいいみたいだな。俺もお前もさ、でかいほうだし、これ東洋人向けに仕立てられてるから合うか不安だったんだよ。これなら着られそうだな」
「それは別に構わないが、私は着付けの方法など知らんぞ」
確かキモノというのは着るのにコツがいるのではなかっただろうか。そう思って呟くと、デスクから本を取り出したムウは「じゃーん」などといいながらその表紙をかざしている。「キモノ着付けハンドブック」たしかに、そうかかれた本を。
「大丈夫大丈夫、勉強したから。さすがに着物は無理だけど、男物の浴衣くらいなら着せつけられるぜ、多分。」
多分というのが怪しいが、自分で着ることが出来ない以上、ムウの手にゆだねるしかないのだろう。クルーゼは溜息を吐いて観念することにした。じゃあ服、脱いでなどとムウは言う。
「は?」
「だから服脱いでって。じゃないと着られないだろ」
それはそうだが、と二の足を踏んでいてもムウの手は容赦なくシャツのボタンを外しにかかる。あ、パンツはさすがに履いてていいし、などと言う口先に当たり前だと鼻先を弾いた。
「本当はさ、下着もつけないほうが良いんだって。尻のラインが奇麗にでるとか…」
「阿呆め」
今度こそ音を立てて脳天に落ちたこぶしに、ムウの悲鳴が上がった。いってェ!!飛び上がるのを見ていい気味だと鼻を鳴らす。
「何も本気で殴ることは…」
ぶつぶつと文句を言いながらも、ムウの器用な手はシャツを脱がし、言われるままに足を上げればジーンズも脱ぎ落とされる。腕上げて、と声のまま素直に腕を上げれば後ろからふわりと降りてきた浴衣に体を包まれた。さらりとした軽い布地は風通しもよく、なるほど確かに涼しいかもしれない。
古くは文字の通り、湯上りに着る着物だったらしいが、今はファッションとしての記号の意味合いが大きいようだ。
「右前、な。あわせが逆だと死に装束になっちまうから」
腕が体の前で交差する。
こうしていると後ろから抱かれているようで、クルーゼはわずかに動揺した。が、それを悟られぬように顎を引いて背中を伸ばす。きゅ、とかみ締めた奥歯がかすかに軋んだのは、聞こえてしまっただろうか。
「帯、くるしくねえ?」
「平気だ」
お前腰細いから締めにくい、なんて笑いながらも長い帯を器用に結んでいく。結び目を背中にくるりと回せば完成だ。ほら、と促されて姿見に映されれば、まあなんとかちゃんと着付けはこなせていた。まっすぐにすとんと落ちたシルエットは、見た目にも涼しい。淡い白に、鮮やかな藍の桔梗模様。
「な、やっぱりお前白選んで正解。よく似合うよ。…女の人だと、ここ、抜くんだけど」
ちょん、とムウの指が後ろ髪をかきあげて襟足に触れる。
抜くとは?とクルーゼが聞き返せば、彼はすこし考えて「うなじが、」と言った。
「うなじを見せるように、襟を後ろに引いて開くんだ。男はしないんだけど。髪を上げたときに首が奇麗に見えるようにだってさ。」
いいながらも指は名残惜しそうに首から離れない。襟足を触る感触がくすぐったく、首をすくめるとひやりとした何かが生え際に触れた。髪を肩にたらすようにかきあげられているので、クルーゼの日に焼けない項はムウの目前に晒されているのだろう。
「…おい」
それが唇だと認識するよりも早く、ちり、とかすかな痛みが走り、クルーゼは思わず声を漏らした。見えないだろ、と鏡ごしのムウの目はそういっている。が、そういう問題ではない。
「馬鹿、やめろ」
振りほどこうとするものの、なれない着物に上手く身体は動かない。執拗に首を撫でる指がこそばゆく、クルーゼは姿見の前で身をよじった。ガラス越しの視線。鼻先が押し付けられ、すんすんとかすかな音がする。いいにおい、などと男が笑うので、クルーゼは動揺して体温を上げた。やめろ、やめろばか、力ない声がただそればかりを繰り返す。

「ッ、あ!」
唇が開いて今度は首を噛まれた。痛みを伴うような強い噛み方ではないが、歯が、ついで舌が盆の窪を擦りあげる。
「ちょっと色ついた」
漸く離れた口に、ムウの少し嬉しそうな声。
首を押さえて振り向けば、当の本人は悪びれもせずに「見えないしいいだろ」なんて笑っていた。自分では見えない場所に、付けられた色。手のしたで首が熱い。嬉しそうな声にすら、首の後ろが熱を帯びてくらくらする。クルーゼは深く息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
ムウは濃紺の浴衣に袖を通して自分で着付けをしている。器用なものだ、どう結んでいるか分からない、複雑な形の帯の結び目も、彼の手の中で奇麗に形になっていく。練習でもしたのだろうか。
「機嫌損ねて、やっぱ行かないってのは無しな」
差し出された手に戸惑っていると、両手でクルーゼの手を捕まえたムウは、静かに笑って花火、と言う。機嫌を損ねるのが怖いなら、最初からあんなことはしなければいいのに、とは思うがきっと彼はそんなこと露とも考えていないのだろう。
「良い場所見つけたんだ。穴場も穴場。たまにはさ」
やっぱりその尻に尻尾が見える、とクルーゼは先を歩くムウの背中を見てこっそり笑った。濃紺の浴衣は、彼の背中によく似合っている。縞模様のついた淡い色の帯も、なれない履物に苦労しながら歩く足元も。たまに…こちらを振り返る様など、散歩中の犬そのものじゃないか。
「早く行こうぜ」
セントラルポートとは反対方向に歩いていく背中を追いかけ、クルーゼは空を見上げる。浅黄から紺へと奇麗にグラデーションを描きながら暮れていく遠くの空には、半分にかけた月が笑っていた。








どぉん、
胸を直接震わせるような音を響かせて、紺色に色とりどりの光の粒がちりばめられる。ぱちぱちと細かな泡がはじける音とともに、それは柳の形に光を引く。たーまやー、と空に向かってムウが叫んだ。
彼が穴場、と言ったのは港を眼下に眺めることができる、丘の上の小さな公園だった。穴場と言うだけあって人影はまばらで、人よりもむしろ野良猫の姿が目立つ。途中コンビニで買った缶ビールをあけ、彼は楽しそうに花火を眺めていた。
「何だそれは」
「うーん、定型句?」
花火がうちあがるたびに、ムウの頬は色とりどりの光に照らされる。どん、ぱらぱらぱらぱら、たーまやー。
小高い場所にある公園からは、港で見るよりも花火が近い。頭上ではじける光の音にかき消されて、お互いの声は随分と曖昧だ。
ベンチに腰掛けてクルーゼもコンビニの袋から取り出した缶ビールの、プルトップを引き開けた。ぷしゅ、と泡がとびちって指の間を液体が滑り出す。彼は慌てて缶をもちあげて指の間を啜った。振り向いたムウが何か言ったようだったが、聞こえないふりをする。
ビールはすこしぬるい。
「花火のホシ、ってさ。ああ、ホシって花火の材料の火薬玉のことなんだけど」
ぼんやりとクルーゼがベンチに座ったまま、次々に打ち上がる花火を見上げていると、柵にもたれてビールを啜っていたムウが振り返る。ぱぁん、とその頭の向こうで見事な大玉がはじけた。飛び散る星は金から赤、そして最後にカキ氷のシロップのような鮮やかなみどりいろを残して消えていく。
ムウの表情は光に隠れて一瞬見えなくなった。
「あの色の変わるの、1色作るのに二十日、かかるんだって。赤から黄色に変わるのなら四十日、それにもう一色足すとまた更に二十日で六十日。あの光の一粒作るのにさ、凄いよな」
俄、勉強してきたらしいムウの声に、クルーゼは空に散っていく光の一つ一つを眺める。打ち上がって、少し遅れて響く「どん」の音。そして1、2、3、4、5秒。ぱらぱらと音を立てて開き、散り、消えていく光の欠片。
六十日、とムウが言ったその粒はたった5秒で消えていく。
「儚いものだな」
蝉も、カキ氷も、花火も、夏に生まれるものは儚いものばかりだ。墓無い、と、クルーゼはつま先で地面に文字を書く。
「もしかしたら私は夏に作られたのかもしれないな」
うまれた、ではなく作られたと言ったクルーゼの言葉に、ムウの形のよい眉がわずか寄せられる。柵からクルーゼのほうへと歩いてきたムウは、地面に書かれた文字を足の先で踏み消す。おい、と彼が文句を言う前に違うだろ、と彼は言う。
「お前の誕生日は俺と一緒に祝うだろ。…夏じゃないし、嫌がってでも同じ墓に入ってやるからな。覚悟しろ」
「私は、お前の伴侶ではないのだが」
ぬるいビールを飲み干すと、似たようなもんだろとムウは笑う。人もまばらな公園で、花火は佳境を迎えているようだった。反響しすぎてよく聞こえないアナウンスが、「次、株式会社某、五重芯菊形」と告げている。
「お、いちばんでかいヤツだ。」
煙の名残が消えるのを待って、じっと虚空を眺めていると、どん、の後に続いた光の帯が空の途中で消えて、ぱっと目の前が明るく染まる。白い光の輪が広がるその中に、赤、藍、そして橙、緑、最後に金と。名前の通り五重の菊が花開く。離れていても、大きく開いた花の、燃える熱さが頬に触れるような。そんな気がしてクルーゼは目を見開いたまま思わず光に手を伸ばす。指の隙間で散った光の粒は、砂が落ちるようにあっけなく、ぱらぱらと隙間をすり抜けて消えていく。
これが私の定めですから、どうか気にせずに。そんな声が聞こえてきそうな潔さと、儚さで。
「すげぇ」
半年かけて作られた花火は、ほんの一瞬瞬きする間に燃え落ちる。瞼の裏に、刻印のようにいつまでも色鮮やかな五重の菊模様を残して。クルーゼとムウは並んでビールを飲むのも忘れ、ぼんやりとその光の洪水に目を奪われていた。温くなったアルコールの雫は、手の中をぽたりぽたりと滑り落ち、いつの間にやら公園の土の上に小さな水溜りを作っている。
奇麗だな、とムウが言う。ああ、としか返せずに、クルーゼは缶に残った温いビールを飲み干した。
最後の花だったのか、遠く喧騒に紛れてアナウンスが何事かをつげ、公園に残っていたまばらな人影も一人、また一人と踵を返していく。ムウは何かを考えているのか、じっとベンチに座ったまま、いつまでも花の枯れ消えた虚空を睨みつけていた。
「…なあ」
「何だ」
ムウの手が触れる。
暑くて、すこし汗ばんだ大きな固い手が、確かめるようにおずおずと。その手を拒むことも求めることもせず、クルーゼは淡々と言葉を返した。ムウの空色の目は、暗がりに沈んで浴衣と同じ藍色に見える。その先は、先ほどクルーゼの書いた(そして消された)墓無い、の文字に落ちていた。
「俺、ほんとにお前のことはちゃんと同じ墓に持ってくからな。」
ラウ・ラ・フラガって墓標に刻んで。
俺、お前の名前好きだよ、とムウは笑った。
「一字違い。ムウ、とラウ。親父のことは好きじゃなかったけどさ、この名前を付けてくれたことには感謝しないとな」
半分って感じ、しないか?ムウ、とラウ。
「半分、ねぇ…どうかな。」
ひまわり、と闇に沈んで尚、明るい金に淡く光るムウの髪を眺めてクルーゼは声に出さずに呟く。或いは朝顔。
「夏の花を愛する者は、夏に死ぬらしいな」
明るく、風通しのいい笑顔を向けるのは太陽の先か、昔何かの本で読んだ引用を呟いてクルーゼは視線を向けた。その薄い瞼に包まれた中は、同じ色とは思えない碧がかった青で、わずかに潤んだ瞳のそれは先ほどの花火の散り際の光を思い起こさせる。
「私はきっと夏に死ぬな」
「クルーゼ」
「死んだら、剥製にでもして飾っておくか?どうせ中身はもうほとんど作り物だ」
そう言ってクルーゼが手を当てた胸の下では、今ではほとんど人工臓器におきかえられた身体が息づいている。ムウは眉を寄せた。
「…そうだなあ、壁に飾る?…でも目は、この目はガラス玉じゃ利かないだろうな。…はなび、」
「ん?」
「花火、みたいな碧」
慈しむように頬をなでた手が瞼の上から眼球に触れる。そっと目の縁を押し、中身の感触を確かめるように動き、やがて薄い瞼越しに唇で触れた。クルーゼが薄く目を開くと、視界をさえぎられた中で何かやわらかいものが目玉に触れる。眼球の触覚は鈍いが、それが舌だと気づく前に倒錯的なキスは離れていった。
「お前は死なないよ」
「なんだそれは」
「俺の呪い。お前は死なない。…生きるよ」
呪いか、とクルーゼは暗闇の中で笑う。十五までに死ぬだろう、と呪いをかけられたのは茨姫だったか、まさかお前は死なないなどと呪いをかけられるとは思っても見なかった、と。
「俺が死んでも、一人で生きてるんだぞ、どうする」
「そうだな。剥製にして飾るか、お前を」
「飾られる前のベッドの上がいいなぁ」
阿呆か。
ぺちんと軽い音を立ててムウの額を叩き、空き缶をゴミ箱に放り投げたクルーゼが立ち上がる。ほら、と言って差し出された手を握って立ち上がったムウは、にんまりと笑ってクルーゼの首元をくすぐった。
「消えちゃうな、のろいが」
「何だ」
ここ、と彼が指で擦ったのは浴衣の襟と髪に隠れた項で、出掛けざまに彼が噛んだ痕だ。と気づいたクルーゼはわずかに体温を上げる。
歩き出す彼を追って半歩後ろをついて歩くムウが言う。呪いは消えるから、消えないうちに上書きしてやらないとなぁ、とそう笑った広い背中を叩く。ぱん、と掌は花火のような音を立てて背中に花を散らしただろうか。
「だからお前は死なないよ」
「もういいから黙れ、お前は」
じゃあ黙る、と一息に唇にかみつかれ、毛を逆立てたクルーゼは、今度こそムウの脛をしたたかに蹴飛ばす羽目になる。
続きは帰りに、といわれたような言われないような気がして、呪いを受けたまま、あとは手を繋いで。花火色の目をした二人はゆっくりと家路についた。
夏の夜の、暑い日のおはなし。

作成:2012年8月16日
最終更新:2014年4月13日
夏の花が好きな人は夏に死ぬ、のは確か斜陽の中の台詞か何か。このフレーズ好きです。
ムウもラウもきっと浴衣がよく似合う。
同人誌、菫の咲く庭のムウとラウでした。(フラガ家に使えるラウ、という設定)

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