between the sheets

それは、妙な夢だった。

冷たい手が体を滑る。
ああまただ、とコウは思う。また、あの人の手が触れる。
きちんとシャツを着て寝ていたのに、何時の間にかベッドに横たわる自分の上半身はむき出しだ。彼が眉を寄せるのもお構いなしにひんやりとした手のひらは無遠慮に体を伝う。
最初は顔からだ。顔に触れていたそれは、やがて体の形を確かめて行くように、首筋をおりて鎖骨へ。鎖骨のくぼみをなぞり終え、徐々に身体が手の温度に慣れて行く。ふと乳首をかすめた感触に自然と吐息が漏れて、肩が震えた。
「彼」は決まってコウが疲れきって眠っている時に現れ、くたくたになって動くこともできない人の体の形を好き勝手なぞっては去って行く。
最初は他人の手に触れられる感触に嫌悪を顕に抵抗したのだが、指先一つ動かせない。やがてそれの気の済むように触らせてやるのが一番手っ取り早い対処方法だと気づき、コウは抵抗することをやめた。抵抗も何も、最初から髪の毛一本動かすこともできずに冷や汗を流していただけなのだが。
金縛り、というやつだろう。目を開かないのにどうしてそれが「彼」だと思ったのかはわからない。ただ、裸の胸に感じた手のひらはひんやりと冷たく筋張っていて、どことなく男を感じさせた。
指が腰骨をたどる。
好きにさせてやればいい、これは夢だ、僕はベッドに横になって、朝になって目が覚めればいつも通りにシャツをきたままベッドの中で目を覚ます。幸いそれは夜中のまどろみの中やってきて、眠気に負けて彼が触られるままにじっとしていれば去って行くものだった。それに、とまた押し寄せてくる睡魔に抗うことなく意識を傾けながらコウは思う。それに、いつも先にやってくる眠気に意識を奪われるものだ。
幽霊を信じているわけでもない。第一、宇宙に幽霊など存在するのだろうか。
戦場で散っていったタマシイたちがそうなるのならば、と冷たい手に触れられながらも考える。やがて自分が戦死したら、やっぱりこの冷たい手のように誰かのぬくもりを求めてこの暗くて寒い宇宙をただようことになるのだろうかと。
「っ…」
手が、腰骨をたどって下におりてくる。ここまで露骨に触れられたのは初めてで、彼の意識はまどろみかけていた睡魔の池の淵から覚醒へと引き戻された。
ちょっと待てよそれはルール違反だろう、僕はそこまで触るのを許した覚えはないぞ。手はそんなことお構いなしに彼の脚を探った。裸になっていたのは上半身だけではなかったらしい。素肌に直接シーツが触れるのは妙な心持ちだった。自分の体温で温まっているはずなのに、妙に冷たい。その上冷たい手に撫で回されるものだから鳥肌が立った。
夢なら冷めてくれ、そうじゃないならせめて腕だけでも動いてくれ、とそう願ってみるものの、体は鉛のように重く、やはりピクリとも動く気配は無い。
無遠慮な手は太ももを割るように動いて体を暴いて行く。羞恥と怒りに頭が燃えそうなのに、体は妙に冷え切っていた。手だけでは無い、何か冷たい塊に体を包まれているようだった。さらりと乾いた感触は、大きな獣を連想させる。
視界のない頭の中で、コウは大きな冷たい獣が自分に寄り添っている様を想像した。…そんなに悪いものでもないかもしれない。
ただし、其の手は獣の手ではなく、はっきりとした人間のものだ。指が腰の括れを掴んで体をひっくり返して行く。荷物のように扱われて、少なからず彼は不満の吐息をこぼした。硬いベッドに顔が押し付けられて息が出来ない。それなのに指は明確な意識を持って彼の穴へと忍んだ。
こういうのもレイプっていうんだろうか。
夢の中のはずなのに、とやけに冷静な自分がつぶやく。自分の体のはずなのに、目を閉じていると、知らない繭の中にいるようだった。人の体の形をした繭。その中にこもって、冷たい指が繭を撫でたりこじ開けようとするのをじっと内側で見ている。
コウが抵抗しないのをどう思ったのかわからないが、露骨な指が体の中を探り始めた。ポルノ小説じゃあるまいし、そんなことをされても快楽など得られるはずもなく、ただ下半身にどんよりとした不快感だけが残る。
中途半端な排泄感を与えられて戸惑っていると、ふと指が体を離れて行く。ああ、これでやっと開放されるのか。繭の内側で眠りの空気のなかに体を委ねようと力を抜いた瞬間、しびれるような鈍い痛みに襲われ、彼は押し殺した悲鳴を漏らした。
「あっ…ぐ、!」
声は、まるで自分のものではないような。
そんな気がする。
痛みがと熱が交互に襲ってくる。膝を擦りむいた時の痛みににていた。ヒリヒリと痛む傷口を無理やり伸ばされた時のような。それが、おそらく考えたくもないことだが、自分のなかに誰かのものが無理にねじ込まれているものによって齎されていることはわかる。コウはさすがに文句の言葉を吐いてやろうと息を吸い込み、吸い込んだ息を吸い込みそのまま吸い出された。誰かの唇が触れている。触れている、というよりもまるでそれも開いた口のなかから入り込もうとしているような。冷たい舌が絡む。
噛み付いてやろうかとも思ったのだが、万が一死なれでもしたら困る、…いや困らないけれども、顔もわからない相手に犯されたまま腹上死というのはぞっとしない。腕は相変わらず何かを詰められたように重く沈んでいた。サイズの合わない服を着せられて、余った余分に鉛でも詰められているようだ。
舌はまるで食らうように口内をまさぐり、頭の奥に湿った音を残して離れて行く。舌までもが冷たいのは流石に気味が悪い。死体にでも抱かれているようだ。
「あっ…は…ッ」
動けないままにもがいていると、離れた指が戻ってきた。腰をかきいだかれ、乱暴に揺さぶられる。体に異物を抱えたまま揺さぶられて内臓が圧迫されそうだった。人形のように動けないままに何度も何度も奥に入り込んでくるそれは、やはりセックスというよりも体の中にすべて入り込みたいとでも言いたげなもので。
もしかしてこいつ、本当に自分のなかに入り込もうとしてるんじゃないだろうか、そんな不穏な考えるが脳裏をよぎってぞっとする。
「やめ…」
声が出た。
コウは必死に声を絞って抵抗を試みるが、それはどう思ったのかますます乱暴に揺れるだけだ。シーツに突っ伏したままの胸が苦しい。俯せで腰だけが高く上がって、さぞかしみっともない格好なのだろう、夢だとしたらどうかしているし、夢でなかったとしたらもういっそ舌を噛んで死んでしまいたい。どちらにせよ最悪だ。
泣きそうになってあえぐと、ふとおりてきた冷たい手が顔を覆う。すくい上げられるままに顔もを上げれば、再び三たび唇が触れた。まぶたに相手のまつげが触れるのを感じる。また舌を食われるのかと覚悟をしていたら、思いの外やわらかな接触に驚く。触れる唇がわずかに開いて何かを言いたげに震える。が、それは声を出さぬままに閉ざされて終わった。
体に食い込んだ性器までもがつめたく、妙にリアルな形が感じられて居た堪れない。上手く息が出来ずにいると、背中を腕がすくいあげて、そのまま胸の内に抱きしめられる。ぴったりと寄せられた身体が…ひんやりとしているくせに心地よい。
あなたはだれ、
何時の間にか腕が動くようになっている。そのくせ相変わらず目が開くことはなく、必死に腕を伸ばしてしがみつく。腰は容赦なく打すえられ、声をつまらせたまま喉をのけぞらせると鋭い痛みが首に走った。生ぬるい液体が首を伝い落ち、噛まれたのだと理解する前につながりにじんわりとした熱を感じて悲鳴が上がる。
明確な意思は、それが自分のなかに思うまま吐き出したいのだと神経にさわり、コウはただ逃げたい一心で腕を押しのける。だがその甲斐無く強く引き寄せられた体に覆いかぶされて、どろりとした何かが体のなかに溢れたのを感じた。
それが何なのかは考えたくも無く、やっと離れて行こうとする体を思わず引き止めるために腕を伸ばす。指が、腕を捉えたようだった。
「コウ、」
どこか耳慣れた声が、耳慣れない名前を呼び、ぞわりと背中が泡だつ。低く甘い声が耳をうち、頭のなかをぐずぐずととろかしていく。コウ、とたったそれだけだ。
信じられないことに、その立った一言で先ほどまで萎えていた自身が一気に熱をおびて意識を犯した。
薄くまぶたが光を受ける。こじ開けるように開いた目の先でぼんやりと見えたのは、

…確かに自分の顔だった。



雨が降っている。

徐々に浮上する意識のなかで遠くに響く水音が煩い。
ざあざあ、ざあざあ。それは絶え間なく地面を叩く雨粒の音だ。うめき声をあげて彼は腕を振り上げ、体を起こした。大丈夫だ、ちゃんと動く。
妙な夢をみたくせに、体は案外すっきりとしていて、ほんとうにあれは夢だったのだろうかと思わず首をかしげてしまう。しかし体はきちんと眠った時のシャツを身につけていたし、どこにも痕跡らしきものは見当たらなかった。
それにしても、と思う。それにしてもあの身体は誰のものだったのだろうか。自分に抱かれていたのだとしたら…と考えてコウは身震いした。それこそぞっとしない。
ベッドのから足を下ろすと素足にテレビのリモコンが触れる。雨だと思っていたのはテレビの砂嵐だったらしい。そういえば機能借りたDVDを再生したまま眠ってしまった、と停止ボタンを押すと、プレイヤーからディスクが吐き出されてくる。有名なアニメだ、うだつの上がらない主人公がロボットに乗って戦う。
夢の中で宇宙のことを考えたのはこのDVDを見たせいだろうか。
そういえばあの主人公のライバル、ちょっとガトーさんに似てたな、なんて思いながら時計を見れば夕方に近い。うたた寝のつもりがずいぶんと眠り込んでしまったらしい。最近レポート詰で疲れていたのだろうか、慌てて顔を洗うとジャケットを掴んで家を出た。今から自転車で駅まで飛ばせば開店時間には間に合うはずだ。



「あれ、」
いつもは背筋を伸ばして立つその姿が、今日はどこと無く疲れが滲んでいた。
カウンターのなかを片付ける手つきもどことなく危ういものがあり、珍しくオーナーがさりげなく気使いを見せていた。
「なんだい、睦言で体力を消耗とは君らしくないね」
からかうように嗤うクワトロの、何時もの軽口にも反応を返せずに彼は眉を寄せた。普段であればここで小言の一つや二つ、平手の一発や二発は食らわせていたところだ。
恐らくは疵を見咎められてのことだろう。きっちりと首元まで閉めているシャツの裾からでさえ、その疵は酷く目だつ。寝ぼけてどこぞにぶつけたのだろうと思えば良かったが、それにしてはそれは奇妙な具合だった。
「そういえば今日はこうくんが一番乗りではなかったのだね、珍しい」
クワトロがそういう件の人物がまだ現れないのも気になった。彼がいうとおり、コウはいつも一番に店に来て鍵を開ける。その彼が今日はまだ現れていなかった。しかし休みの連絡も来ていないところをみると、単に遅刻しているのだろう。遅刻とは言っても開店時間までにはまだ間があった。
表の様子はわからなかったが、今朝テレビのなかでポニーテイルの気象予報士が夕方から小雨が降ることを伝えていた。もしかしたらもう降り始めているのかも知れない。
ホントウにココロココニアラズダ
「…は」
ふと耳に入った声に反応が遅れて思わず訝しげにクワトロを見つめれば、苦笑した彼と目が合った。
「心ここにあらず、大丈夫かい?本当に具合でもわるいんじゃないのか、何なら今日は休んでもいいが」
「いや、」
心配してくれているのかと思いきや鬼の霍乱、と面白そうに笑う彼が憎らしい。言葉短に否定すれば、それならばいいけれど、と男はあっさり引き下がった。
からころと入り口のベルが湿った音を立てる。どうやらコウが飛び込んで来たらしい。秋晴れにしてはやけにしけったベルの音に、やはり表では雨が降り始めているのだろう。
入り口でジャケットを脱いだ彼は、ぷるぷると犬のような仕草で頭を振った。店内の照明に細かな飛沫がきらきらと散って…ガトーま眉を寄せる。
「おいウラキ、そこはさっき拭いたばかりだぞ。ちゃんと綺麗にしておけよ」
声を低くそういってやれば、叱られた犬のように一度飛び上がって、すみませんと上ずった声でコウが言う。かわいそうに、ガトーはね、今日はなんだかおかしいんだよこうくん。
「具合悪いんですか?」
「彼女とでも喧嘩したんじゃないかなぁ」
「え、ガトーさんて彼女さんいるんですか」
「だってねえ、首に、」
「勝手に話を進めるな」
クワトロがコウの肩をだいて、形ばかりの耳打ちをしていると、後ろから飛んで来た何かがぺたりと綺麗に金髪へとへばりつく。ガトーが絞った台拭きらしい。
「ガトーさんて彼女いるんですか?」
汚いじゃないかと憤慨しながらそれを払いのけているクワトロを尻目に、コウは律儀にもそうガトーへと聞き返した。そうだよな、人の知らないところで、勝手に話を進めるのはよくないよな。…でもガトーさんに彼女が居るかは気になるよな。
「…いないし、その唐変木が言っている寝言を真に受けるんじゃない。その男は9割は嘘しかつかん」
「ひどいことをいうね君」
じゃあ残りの一割はホントウのことなんじゃないかと思いながらも、コウは妙に安堵していた。よかった、ガトーさん恋人いないのか。
…よかった?
「じゃあこれはなんだい」
呆れた顔で台拭きを回収していたガトーの首に伸びた手が、絆創膏を引き剥がす。皮膚が引き連れたのか、一瞬眉を寄せた彼が手を上げるよりも早く鮮やかな薔薇が目についた。首に咲いた、一輪の。
「犬にでも噛まれたっていうのかい?」
返せと手を上げる彼の腕の隙間を、するりと交わしたクワトロが笑う。薔薇打と思ったのは、それが随分とくっきり付けられた噛み疵だったからだ。ずきり、と自分の疵でもないのに首が疼くのは、さっき見た夢を思い出したせいだろうか。
「覚えていない、昼寝から醒めたらついていたとさっきも説明しただろう」
「君ねえ、だるそうにしていて、首に噛み跡までつけておいてそんなの信じるのはこうくんくらいだよ」
さりげなくひどいことを言われた気がしたが、コウはというと硬直したまま今朝の夢を思い出していた。首の疵、ガトーさんに、覚えがないって?
ねえ、目が覚める前、もしかして
「夢の中で自分に噛まれた、とか…」
ふとこぼした一言にガトーの目が大きく見開かれる。どうしてお前がそれを、と声には出さずに彼がいうのを見て、コウはますます顔を赤くした。じゃあなんだ、夢のなかで彼を抱いていたのは自分で、でも意識は彼の身体のなかにあったとでもいうのだろうか。
「だいたいねえ、そんなに強くないのに君は飲み過ぎなんだよガトー。」
知ってる?こうくん、昨日の夜ね、ガトーが最後に飲んだカクテル。
「おい、余計なことはいい。さっさと着替えろ、開店時間だぞ」
何かを言いかけたクワトロを制してカウンターの中へと追いやられる。しかしその直前に彼が口にした名前をコウははっきりと聞き取っていた。
ビトウィンザシーツ。ベッドにへ入って。
何という甘い誘いだろうか。
世界一セクシーなナイトキャップは、ガトーならずとも何故か自分にまで甘い夢をもたらしたらしい。照れ隠しなのか、不機嫌な顔でグラスを磨き始めるガトーを尻目に階段を登る。
今度機嫌がいい時に注文してみようか、と思った。
彼はどんな顔をするだろう、それにまた、
またあの夢はみられるだろうか。

一緒にベッドに入って。なんて。ねぇ?

作成:2014年8月24日
最終更新:2016年12月10日
lavianroseの無料配布おまけ冊子として書いたSSをサルベージ。
クワトロが営むバーで働くバーテンダーのガトーと見習いのコウ、という体裁のガトコウでした。


桜色の日本酒は、広島県賀茂泉の「COKUN」です。

女性ターゲットに開発された、甘口の綺麗なお酒。アルコール度数も低めなので冷やしてそのまま、やソーダで割ってもとても美味しいので、日本酒が飲めない、という方にもおススメ。

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