捨てる神あれば救う悪魔あり

背中で発着場のスタッフが息を飲む音がしたが、不思議と落ち着いた気持ちでその事実を受け入れている自分に驚いた。そこにはあるべき筈のものが無く、有ってはならないものだけが残されている。
シートにべったりとこびりついた赤は、鮮やかに瞼に焼き付いてしまった。
結局、
怯えたように暗闇をにらむ目が、何を見ていたのか。
最後まで、分からずじまいだった。
そう思うのが悲しくて、カカロットは一瞬目を閉じると祈るように首を空へと向ける。無論、神など信じてはいなかったのだけれど。



「兄ちゃん、なんか話してくれよ」
荒れ果てた大地はあまりにも広く、たった数人の手に委ねるには少し大きすぎた。派遣から数日。さほど問題になるようなトラブルも無かったが、広すぎる惑星をしらみつぶしに調査するのは退屈だ。戦闘も無く、ただ闇雲に地表のデータを取るだけだったカカロットは早々に音を上げ、けだるそうに飛びながら、ぽつりとそんなことを口にする。
「何かって何だよ。」
「面白い話」
なんだよそれ、と手に持った端末とスカウターの数値を比較しながらレポートを打ち込んでいたターレスは呆れた声を上げる。カカロットは、調査向きのメンバーではなく明らかに今回の遠征のメンバー選定ミスだ。というのも本来ならばラディッツが来るはずだったのだが、急にフリーザ軍直々の命令で彼が駆り出されたため、弟であるカカロットが呼ばれたというわけで。
しかし早々に戦闘が片付いてしまったため、自分の存在意義を失ったカカロットは日々こうして腐っている。寡黙なわけでもないが、おしゃべりでもないカカロットは普段人数が集まる場ではさほどしゃべる方でもなく。こうして暇を持て余して声をかけてくると言うのは、相当限界に達しているのだろう。
「調査に最後まで付き合ってくれるってんなら、終ってから話してやってもいいぞ」
「ほんとに?」
だから最後まで付き合えよ、と釘を刺した一言に、カカロットのくりくりした目は分かったと真面目な光をたたえたまま頷いた。基本、人をあまり疑うことも無いカカロットはあまりバーダックには似ていないなと思う。けれどこうした穏やかな時には想像もつかない、彼が戦闘時に見せる気迫と闘牙には間違いなく彼の父親の血を感じさせるあたり、いまいちつかみどころの難しい男でもあった。
が、幼い頃からラディッツの隣で面倒を見ていたためか、にーちゃんにーちゃんと懐いてくるこの無邪気な青年を邪険にできるわけも無く。
(結局あの甘ったれを移されたんだろうなぁ)
と、親友の、弟にはとことん甘い顔をする横顔を思い出してターレスはこっそり苦笑した。


調査を終えた二人は、ポッドを停泊している小さなクレーターにたどり着くと、集めた薪に火を付けて明かりを炊く。小さいせいで碌な食べ物の取れない惑星では、携帯した食料を水増しして食べ続けなければならなかった。が、元々燃費の悪いサイヤ人がそんなちまちました食料で満足などできるはずも無い。
「にーちゃーん、くいもんとってきた!」
嬉々として猪に似た獣を背負って飛んできたカカロットは、クレーターにたどり着くなり目を細める。
「まっぶし、にーちゃん火炊きすぎじゃね?」
「良いんだよ、肉焼くんだろ。脂出るんだからこんくらいで」
煌々と炊かれた火は、そこだけを闇からくっきりと切り抜いて白く、遠くの空からでも良く見える。
「分かり易くて良いだろ」
そんなの、スカウターがあれば迷わないのに、と怪訝そうな顔をしたカカロットは、しかし「そうだね」と腑に落ちない声で呟いて獣を火にくべた。毛皮を焼く鼻に付く臭いが立ち上り、垂れ始めた脂が火をオレンジ色に躍らせ始める。その火からじっと目を離さないターレスは、このごろ何処かおかしい。
どうおかしいと言われても、はっきりとは言えないが、落ち着きがないというか。普段からあまり煩い方ではないターレスだがこのところ目に見えて元気がないような気がしていた。口数も少ないし、兄に聞いたところでも最近は付き合いが悪いという。元々兄弟のようにべったりだったらラディッツをそう云わしめるのだから相当なのだろう、と言うことくらいはいくら鈍いカカロットでも察しがついた。
一度だけ、本当に一度だけ訪れたことのあるターレスの家は、スラムの端っこの暗くて湿った小さなぼろ小屋だった。それも彼が遠征でメディカルマシンに叩き込まれ、傷は癒えたが意識の戻らない状態で、ベッドが無いから連れて帰れと言われたあの日、教えられた住所に担いで運んだ日の一ドアだけだ。
結局そんな場所に彼を置き去りに出来るわけも無く、自宅に連れて帰って自分のベッドに寝かせてやった。その日、初めて彼とセックスをしたのだ。意識が朦朧とする中、ターレスは何度か父親の名前を呼んでいたような、気がした。
あの日はほとんど意識も無くて、回復時の熱にうなされたような状態でしたセックスだったから、その後ターレスは何も覚えていないようだったけれど。あの日触れた熱すぎる体の感触は、しっかりと手に染みついてしまっていたし、酷く罪悪感に苛まれたものだ。
もしかしたら、……もしかしなくても。
ターレスは全部わかっていて、覚えているのかもしれない。
「カカ坊、肉焦げてんぞ」
「えっあっ、わわ」
じゅうっと一際大きな音を立てて脂が落ち、たき火から盛大に白い煙が上がる。肉塊を回して焼いていた手を止め、ひょいと持ち上げた獣の肉は、こんがりと焼け目を纏って湯気を立てている。二人分のサイヤ人の胃を満たすには十分だろう。
「坊って、言うなよぉ」
いつまでも子ども扱いをされてむくれて見せてもターレスはどこ吹く風だ。肉を裂いて手渡すと、脂で手をべたべたにしながらもそれをむさぼっている。たき火に反射した唇が、妙にぬらぬらと光って艶めかしく、血のしたたる肉を喰らう様はそれこそ悪魔もかくや、と言ったところだ。
「たっ、ターレス」
脂が垂れてる、と指摘しようとした声は情けなく揺らいだ。この男が、わざとこんな喰い方をしているとしたら相当なたぬきだな、というところだが、生憎というか幸いというかカカロットにそこまでを見抜く経験などあるわけもない。なんだ、と顔を上げたターレスの唇は、紅を引いたように獣の血で真赤に染まっていた。
「あ、あぶら、垂れて……」
「ああ、」
わざとらしくうなずいたターレスは指で唇を嬲るが、血は拭われるどころか頬の方へと赤く線を伸ばしただけだった。事態は悪化する一方だ。何もかもが。
「ターレスさぁ、そういうの」
「どういうの?」
思わず膝を寄せて木の葉で乱雑に手を拭ったカカロットが唸るのと、言葉の先をすべて見透かしたようなターレスがにやにやと人の悪い笑みを浮かべたのはほぼ同時で、子供じみた仕草で投げた骨を避けたターレスはとうとう耐え切れなくなったのか、ひっくり返って笑い転げる。
「お前さぁ!ほんっと分かり易いっつうかなんつうか!」
ぶひゃひゃひゃ、とお世辞にも色気があるとは言えない声で笑うターレスに、しかしカカロットはむすっとしたまま覆いかぶさった。わらうなよ!だってその顔!と二人でひとしきり転がって笑いあった後、息絶えるようにぱったりと動かなくなる。
ターレス?と顔を覗き込めば、彼は笑い疲れたのか息をふうと一度吐いて静かになった。
「何よ」
「何って、別に……なんでもねぇけど」
もしかして欲情しちゃった?と冗談めかして頬をつつくターレスの顔をまともに見ることも出来ずに、ウウ、と唸る。子供みたいにじゃれあったり、ともすれば急に色めいた視線であたりを誘惑したり。本当に悪魔のような男だ。
「しっ、してねーもん!」
「うっそだぁ、だってほら、カカのここ、もうかっちかちじゃん」
無遠慮に伸びてきた手でスパッツを掴まれて、ぎゃあと上がった悲鳴に「もう少し色っぽい声出せよ」とかなんとか。ターレスは笑っているがそれどころではない。
「こういうこと!誰とでもしちゃいけねえんだぞっ」
「なんでぇ?誰が言ったんだよそんな事」
「に、にーちゃん……」
「ばぁか、ラディはそいういう奴なの。真面目すぎんの。気持ち良ければ俺は誰としたって構わないんだぜ?」
良くない、と叫んだ声は思ったよりも高く響いてじゃれるように体に手を伸ばしていた男は、一瞬びっくりしたように目を丸くして手を引っ込めた。普段少しけだるげに細められている目は、驚いて見開かれると思いのほか表情が幼くなる。背格好ももう変わらない、むしろターレスは純血ではないから、密度のあるサイヤ人の筋肉のつき方とは少しちがくて、どこかふわふわとした体の柔らかさがあって。
あの日、うわ言のように声を上げながら伸ばしてきた手を振り払えなかったのも、その柔らかな肉に溺れたからだ。
誰とでも構わない、と平気そうな顔をして言う声に、「うそつき」と言う。声には出さずに何度も「うそつき、兄ちゃんのうそつき」と。あの日、腕の中で何度も呼んだのは父の、……彼の名前じゃないか。と。
「……よくないよ」
二人で眠るには煌々と炊き過ぎた火が、彼の浅黒い肌を嘗めてちろちろと揺らいでいる。炎から遠ざかっていても、熱くて、肌がじりじりと焼けるようだった。
「良いって云ってんだろ」
ほら、カカ。と差し伸べる手を、本当は握ってはいけなかったのだと思う。握った手は血と脂で滑って、酷く生生しく。そのくせ生きているのが信じられないほどつめたく冷え切っていた。


他のサイヤ人たちとは少し違う。
どこが違うのかと言われても困るが、触れた肌は自分や兄や父や、それに女であるほかのサイヤ人と比べても、少し柔らかいと思う。筋肉しかつかない身体とちがって、筋肉の上に薄く脂肪の乗った皮膚は柔らかく、強く指を食い込ませれば押し出された肉が盛り上がる。その触れた肌もひんやりと冷たくて、彼の体からは体温がまるで感じられなかった。
触れることで少しでも温められるだろうか、と思ってしまうのは高い自分の体温のせいだ。
「お前の手、あっついな」
「……ターレスの体が冷たすぎるんだよ」
「そうかな」
「そうだよ」
まるで兄弟の会話だ。というか、まぎれも無く、兄弟のようなものだったはずなのに。一糸まとわぬ姿で炎に照らされ横たわる体は、同じ雄である自分から見ても兄や父の裸を見ているのとは違う、いけない事なのだという意識があった。
下腹部が、ぞわぞわして、さっき食べた獣を喰うようにその、冷たく柔らかい皮膚を思い切り引き裂いてかじりつきたいような。獲物を追い詰めるときの、ゾクゾクした感覚によく、似ている。
「た……れす」
肌に突き立てそうになる指を握りしめて、最後の抵抗のように呼んだ名前は、酷く情けない響きになった。揺らぐ気が、暴走しそうになるのを感じている。
「……やっぱ、オラできねぇ…、こんな、だって。ぞくぞくして、すげぇ、きもち、いいけど、でもっ」
首を振って体を離したカカロットに、しかし笑って手を差し伸べたのはターレスだ。
「気持ちいのは悪いことじゃねぇだろ?」
本当は。
……本当は、彼は最初の時、ちゃんと意識があって何もかも覚えているのでは無いだろうか、と思う時がある。ターレスがその時の事を言い出さないのは、単純に秘密を守っているというよりも、無言の脅しのようにも感じられて、カカロットは居心地悪く首を振った。
「オラ、手加減とかわかんねぇし……あっ、あんま、こういうこと、したこともねぇから、兄ちゃんの事怪我させっかもしれねぇもん…」
そんなんやだ、と呟く声が子供のようでわずかに罪悪感が胸を焼く。が、触れた手が止まらないのも、知った熱を手放させないのもわかりきったことだった。
「ターレス、だろ。こういう時は」
「ター……レス、」
「そう、良い子だカカロット」
触れた手が熱くて、痛い。きっと自分の肌は酷く冷え切って異常なほど冷たいのだろう、と思う。ゆっくり名前を呼んで頭を撫でてやれば、無垢な青年は困ったように目を伏せて、どうしていいのか分からないのかゆっくりと首を振った。
その仕草が、拒否ではないのを確かめるように脂で湿った唇へと触れる。獣の血と、脂の臭いが鼻を突く。何も怖いことは無いのだと言い聞かせるように肌を伝って、熱をはらむ性器へとたどり着いた。
「いつまでもガキだガキだって思ってたけど、」
「な、なんだよぉ」
なぁカカロット、お前が俺を見て欲情するのは何も変なことじゃないんだぜ?と。本当はそう言ってやりたかったのだけれど、ターレスは何でもないと首を振るとゆっくりと首をもたげはじめたペニスへと指を絡めて扱きあげた。ウッと声を詰まらせる青年から目を逸らし、ぼたぼたと垂らした唾液を潤滑剤代わりに皮を引いて扱きあげる。
自分よりも戦闘力の弱いものを、獲物とみなして欲情するのはサイヤ人であれば別に何もおかしくは無い生理現象だ、と。そう告げてやれれば良かったのだけれど、優しい彼はそんなことを知れば傷つくだろう。
捕食される側は、自分がそのターゲットになればあとは大人しく体を開くほかないのだと。愛情深い家庭で育てられてきたカカロットや、ラディッツにはきっとわからないだろうし、バーダックもそんなことは絶対に教えない。
「カカ、足ひらいて、座って」
「こ、こう……?」
むに、と抓んだ亀頭は唾液と先走りに濡れて、てらてらと赤黒く腫れ上がって苦しそうだ。内腿を叩いて促してやれば、困惑したまま膝を立てて開いたそこへ、顔をうずめて雄を吸った。
「ンあ…?!ちょっ、ちょっ……にい、ちゃ…!」
「ターレス、だろ」
「だってぇ……!」
じゅるる、と態と派手な音をたてて吸い上げてやれば、顔を見ずとも彼が真赤になって焦っているのが太ももの緊張からもうかがい知れる。尻尾がうねり、興奮を伝えるように総毛だったそれが我慢するために地面をたたいた。バシン、と思いのほか大きな音を立てて土ぼこりが上がり、眼球へ与えられたチクチクとした刺激に思わず目を閉じる。カカロットの尻尾が叩きつけた地面は、僅かにえぐれていた。反射的とはいえ、相当な威力だったのだろう。
飛んできた小石に目を潰されずに済んで良かった、と思いながら、苦しげにひくつく鈴口へと舌をねじ込めば、むっとした若い雄のにおいに頭がくらくらする。交尾中、相手がたとえ雄であれ強い相手に組み敷かれれば自然と身体のバランスは雌の側へと傾く。こうした匂いひとつとってもそうだ。
恐らく自分の体からは今、雌の臭いに近いものが出ているのだろうと思うと、フェラチオ一つで切羽詰って身悶える年下の青年が酷くかわいらしいものに思えて、思わず膝を撫でていた。
「んっ、ウッ……だめだっターレス、出ちまう、オラ、でちまうからぁ…っ!」
口を離せと促すその手を振り払って、追い詰めるように軽く歯を立てながら陰嚢を絞ってやる。ひ、と息を飲む声が頭上で聞こえ、粘度の高い温い液体が喉に向かって何度も吐き出された。びゅるっ、るる、びゅく、と射精のたびに暴れるように何度か跳ねたペニスは、残滓を絞るように扱いてやればおとなしくなる。
「っは……なっ、なんだよ…っこれぇ……」
「何って、フェラチオ。知らないのか、お前」
カカロットも何も知らない子供ではないのだから、これがどういった行為なのかくらいの想像はついている。知識として(バーダックやラディッツの隠し持ったそういったメディアからの)情報を知っていても、実際に自分がされるのと見るのでは全くの別物だろう。第一今のところ彼のパートナーとも呼べなくもない相手は、酷くプライドの高いお姫様でこんなこと思いつきもしそうにない。
「しってっ、けど……」
こんなに気持ちのいいものなのか、と口の中でとかされてしまいそうな感覚に思わず自分の下半身を見下ろしたカカロットは、やや安堵しながら呟いた。大丈夫だ、オラのちんこ、ちゃんとついてる。
「ま、しょうがねぇなぁ、俺様めちゃくちゃ上手いし?」
態とおどけたようにそう笑うターレスは、しかし、無理をしているように見えて頬へと手を伸ばす。一瞬、ほんの一瞬だったが怯えたように見開かれた瞳の奥が、一体何を見たのかカカロットには分からなかったけれど。
「ターレス……?」
「あん?なんだよ」
怪訝な顔で呼んだ名前も、しかしあっさりと躱されてあの昏い色の目はすぐに瞼の奥へと隠されてしまった。腰をくねらせながらこちらを見下ろすその眸の中には、何の温度も感じられなくて、ただたき火の炎がちらちらと燃えるのを確認できるくらいだ。たき火にあたって、これだけ触れていても、死んだように冷えたターレスの肌。
どうしてこんなに冷たいのだろう。
「カカ、お前ちゃんと相手、居るんだろ」
「え?あ、……う、うん……」
こんなことをしていても、まるで昼下がりのくだらないおしゃべりみたいな会話に思わず毒気を抜かれて頷いてしまう。相手、というのは無論、身体を重ねるだけの関係ではなくて。傍にいるだけでワクワクして、楽しくて、どうしようもなく高揚してしまう。……そんな相手だ。
「なら、その相手の事でも考えてろよ。目、閉じてていいから」
「え?あ……っ」
ず、と体が落ちてくる。座った体が向き合うように重なって、飲み込まれた体の中は柔らかいのにやっぱり冷たい。その冷えた肉が熱を煽って、また自分の性器が体の中でみるみる硬度を取り戻していく。
違うんだよターレス、こういうことだけじゃないんだ。けれどその言葉は声にはならなくて、最後に見たのは苦しそうに笑うターレスの顔と、こちらの目に向かって伸ばされた指先だった。
「っはぁ!あ、あっ、すご、い」
腰の上で跳ねる何かが声を上げる。それは冷たい肉の塊で、視界をふさがれた暗闇の中で濁った声だけが耳に残った。気持ちがいいか悪いかと言われれば、良いに決まっている。しかしそれはカカロットが知っている、抱き合うような気持ちの良さではなくて、もっと機械的な。
自分の意識の外側で、獲物を嬲って殺す時のような妙に静かに冷えた感覚だ。先ほど殺した獣の臭いのせいだろうが。当たり前だが、その獣を喰らった自分にもターレスにもその匂いは染みついている。
「っだめだ、ターレス、ダメ、だっ、オラっ…!」
このままでは抑えきれない。
自分の中に住み付くは一匹の獣。それは滅多なことでは出てこないが、今までに数度押さえきれずに解き放ってしまったことがある。その時にどうなったかは思い出したくもない。あれは戦いなんてものじゃない、一方的な虐殺だった。あと少しで、あと少しで相手を殺してしまうところだったのだ。あの時も同じ、自分の主導権を奪われ一方的に、
「……っ!?」
思わずふさがれた手を振り払って、身体を離そうとした瞬間。今まで両手で塞いでいた手を離されて頭をかかえて胸へと抱きしめられる。柔らかな肉、獣の臭いの、
(にく、が)
ぴりりとした気が、全身を一気に貫いて爆発した。乱暴に手首をつかむと膝に乗り上げた体を地面に押し倒す。たき火の炎だけではない、驚いたように見開いたその目に移りこむのは金色の光だ。
「ター、レ…ス……!」
身体は繋がりを保っている。その体で自分を喰う、その無防備にさらされた喉を食いちぎりたい、と思った。あの獣を殺したように、彼の喉笛を食いちぎれば吹き出す血は、この身体と同じように冷たいのだろうか。自分の喉が獣のような唸り声を上げるのを、どこか他人事のように聞いていた。鼻を寄せて、仰け反ったその喉へと唇をつける。唾を飲み込んだのだろう。喉仏がごくりと上下して、その感覚が面白くて舌を這わせた。
「は、……っはは、やっと出てきた」
怯えるだろうかと思っていたのに、しかしターレスの口から出てきたのはそんな一言で、思わず毒気を抜かれて見下ろせば「知らないとでも?」と言わんばかりに饒舌な目が訴えている。
「ラディから聞いてるよ。伝説の、スーパーサイヤ人、だっけ。もっとおっかないもんかと思ってたけど」
案外綺麗なもんだな、とその指が髪に触れて梳いていく。きんいろ。目も翠だな。なんて、どうして今更になってそんな優しい声が出るのだろうか。このままでは彼を殺しかねないというのに。
「そうだ、話」
どうして、となんで、の間で必死に言葉を探しているらしいカカロットと、あろうことか体を繋げたままでぼんやりとターレスが口を開いた。話、と辛うじて切り返せば「約束しただろ」とその口が吐息交じりの声を絞り出した。繋がりは先ほどよりもきつくて、質量を増したそれが根元まで突き刺さった体は苦しいはずなのに、何でもないように振る舞う。
まるで、いつものおしゃべりの延長なのだ、と言わんばかりに。
「話してくれっつっただろ、お前、何か面白い話、ってさ」
「そんな事、」
今話すことではないのだ。けれど感情のままに彼を食い荒らせば、確実に致命傷を負わせることは分かりきっていたので、大きく息を一つ吐いてカカロットは頷いた。頼むからヤり殺さないでくれよ、と笑ったターレスが体を一度引き抜くと、寝かせた体の上へと馬乗りになる。
「……なあ、カカは神様って信じる?」
それこそセックスをしながらする話ではない、と思ったが、再び冷たい胎内に飲み込まれて息を詰まらせたカカロットは少し考えてから首を横に振った。神を信じる者もいるが、自分自身は特にそういうものを信じたことは無かった。
「じゃあ、悪魔は」
そう呟いたターレスの声が、氷のように冷え切っていることに背筋が凍る。戦闘力で言えば、今の彼は自分が片手でひねり殺せるほどのものしかない。けれどその声が、何か得体のしれない不気味なものを抱えているのもまた確かで。本能が、聞いてはいけないと言っているようだった。
「あく、ま?」
「そう、悪魔。神様って基本不干渉だろ、見守るだけ。でも悪魔ってな、お願いすれば聞き入れてくれるんだって。お願いっつうか、契約?」
ぐちゅ、ぐちゅ、と腹部に乗り上げた男に食われる個所から、粘着音が漏れ出て溶けてしまいそうだ。それは確かに気持ちがいいことだけれど、ベジータとするそれとは明らかに異質なものだとも思う。冷たくて、こわくて、でも気持ちがいい。いけない事だと頭のどこかで警鐘が響いているのに、酔わされているように拒むことが出来ない。
「兄……ターレスは、神様を信じてるんか」
「……そりゃカカのご想像にお任せってとこかな」
一瞬。
ほんの一瞬だけ考えるように黙り込んだターレスは、そういって微笑む。その一瞬が何を意味するか考える前に、ほらここ、と下腹部に手を触れたまま呟かれて首をかしげる。何、と聞く前にこの中にカカが居ると笑われてカッと体温が上がった。つめたく柔らかな彼の体の中に、自分の性器が確かに喰われている。
一度意識してしまえば、その感覚から逃れられなくなった。まるで、呪いみたいに。
「悪魔はな、契約するとお願い聞いてくれるんだと。なるべく人に踏まれる四辻の真ん中にな、願い事を書いた紙を埋める。そうすると悪魔が現れて契約を持ちかける」
そんなカカロットの気を知ってか知らずか分からないが、ターレスは男の体に跨ったまま淡々と言葉を紡ぎ続ける。契約、と見えない書類を広げるように胸元で小さく両の手のひらを広げる仕草。
「けいやく?」
「そ。悪魔も仕事だしな。願い事には引き換えのものが必要ってわけ。タダじゃ引き受けてくれない」
そうだとしたらこの腰に乗り上げた悪魔は、一体この行為を引き換えに何を与えてくれるのだろうか、とカカロットは思った。ターレスが悪魔だとしても、自分が願いを申し出る前にこうして食われてしまったのでは順番があべこべだ。
腰が揺れるたびに凶暴な破壊の衝動が体を喰らい尽くしそうになる。ぎゅう、と飲み込まれた胎内が引き攣って震え、腰を掴んだ手に力がこもった。
「……契約した願いが叶ったら、どうなるんだ?」
引き換え、と彼は云った。
一体ターレスは何を話しているのだろうか。悪魔だの神だの、彼がまるで信じそうにないものだというのに。
「悪魔が契約した引き換えを、取り立てに来るんだと。悪魔の使いの大きな獣がな。契約した奴にしか見えない、地獄の番犬。どこまで逃げても必ず追いついて、」
「うぁっ!」
呟きながら、つつつ、と指先が胸元を這い上がる。その先を見ていたら、不意に落ちてきた唇にがぶり、と喉を噛まれた。
不意打ちに思わず声が上がり、見上げた先では悪魔が笑っている。
「案外、こんななのかもしれないな、――綺麗なきんいろの、」
つめたい指先が髪を撫でる。瞼の上から眸を確かめるように指が動き、噛まれた喉へと再び唇が触れた。それを合図と受け取って、身体を反転させると衝動のまま腰を突き入れる。悲鳴が上がって浅黒い肌が炎の中で踊るように揺れた。
「っあぁ……!カカ、遠慮、すんなっ、ちゃんと……っ奥、に」
手加減を見透かされているかのように、嗤う悪魔はこちらの目を通り抜けて、何か別の物を見ているのではないだろうか。言われるまま押し倒した身体をむさぼって、揺すり上げる。全力で翻弄すればきっとミンチにしてしまうだろうが、幸い理性は皮一枚でつながっていた。
性器と共に押し込んだ空気が内臓の中で移動するのか、彼の体の中からはグウグウと不規則な音が響いている。どこが良いのかなど分からないので、探るように闇雲に体の中を引っ掻き回せばターレスはそのたびに腕を伸ばして背中を掻いた。こんな捕食するようなセックスで、気持ちがいいはずなんてないのに。彼は何かを怖がるように、何度も何度もそれを強請る。まるで、このまま意識を失ってしまえば楽になるのだと、そういっているような。無茶苦茶な行為だ。
例えば、戦いの後。血の臭いに酷く興奮して、似たようなことをした事が無いわけではない。けれどターレスのこれは、一方的に痛みを、衝撃を欲しがっているようだった。快楽などではない。ただの暴力を。
炎に揺れる首が眩しくい。
獲物の無防備な肉を目の前に晒され、口を開くと喉の奥から獣のような唸り声が迸った。食いちぎってしまう、と理性がそれを押し殺すよりも早く、有ろうことがターレスの方から腕が絡みつく。顔を首へと近づけられて、開いた口へ触れた肉に、思い切り、牙を、
「あ!う…っは、あア!」
確かに薄い皮膚を食い破った感触が残った。
じわりと鉄の香りが鼻を付き、口の中へ血の味が広がる。それは先ほど喰らい尽くした獣の臭いと混じって体の芯をいたずらに猛り、熱を上げていく。
ぎり、皮膚を徐々に強く噛みしめてやれば、ターレスは仰け反って悲鳴を上げ、先ほどよりも強くその体の中を収縮させたので、
「タ、っ……レス……!」
耐え切れずにその、つめたい体の中へと精液を放った。抜き出すタイミングを失って、どくどくと注ぎ込まれる子種は、雌ではない彼の体の中で死んでいくだけだというのに。ビクビクと痙攣し、跳ねながらも自分の意志とは無関係に射精を繰り返す。
「はっ、離してくんねーから、中、に……」
出しちまったぞ、と気まずそうに呟く唇は、伸びてきた指を押し当てられてふさがれた。
「ぁは、いっぱい、出したなぁ、……ほら。中、いっぱい……」
うっとりと愛おしげに下腹部を撫でるその顔が、酷く色を含んでいて。
「っ……」
まるで悪魔と契約したみたいだ。と先ほどターレスが話した夢物語を思い出し、カカロットはずるりと冷たい身体から、慌てて自らの雄を引き抜いた。引き攣りながら止まらない射精は、引き抜いた彼の体の上へとふりかかり、浅黒い肌に点々と白い筋を残す。ターレスも限界だったのか、自らの性器へと指を絡めると数度扱きあげて精を放った。引き締まった腹筋へと落ちてきたそれを、指で擦って伸ばしなすりつけ、見せつけるように黒い悪魔が、腹の上で笑ってた。
「に、いちゃ、」
ごめん、と開きかけた口は伸びてきた手のひらにふさがれる。たき火は消えかけており、ふらつく足で立ち上がったターレスは、火のそばに屈みこむと積み上げてあった薪を炎の中へと放り込む。乾いた枝が炎に爆ぜ、オレンジを濃くしたそれに安心したように彼は体の力を抜いた。
「俺が勝手に誘ったんだぜ?カカは付き合ってくれただけだろ。」
炎の中に、冷たい肌が踊っている。黒く切り抜かれた影になったそれを目を細めて眺め、言訳みたいな言葉を反芻した。ターレスは、何か理由が欲しかったのだろうか。
「……水浴び、しないと」
互いの精蜜に濡れた体を見下ろして呟く。金色の光は徐々に失せ、破壊衝動はやっと霧散するように消え去っていた。火の傍に立ったままのターレスは何を考えているのかは分からないが、しばらくぼんやりと踊るそれを見てから、首を振る。
「いいっていいって、帰ってからにしようぜ。どうせ大した水場なんか無かったし。」
「でも、」
「どうせ遠征先でヤっちまってそのまま帰ってくる奴なんか履いて捨てる程いるんだから、お前のお姫様も気づかないって」
そうじゃなくて、とそれ以上カカロットは口をはさめなかった。ベジータは、忙しい身でもあるし正直このまま帰ったとしてもすぐにシャワーを浴びてしまえば気づかないだろう。罪悪感が無いわけではなかったが、ターレスが言うようにさほど気にすることでもなかったのだ。
そうじゃなくて、ターレスは大丈夫なんか、と。その隠れて見えない表情をぼんやりと眺めて思う。炎に照らされて尚昏く沈んだその目が、一体何を思って体の熱を欲したのか。このところ何か彼は、一人でいることを異常に怖がっているのではなかっただろうか。自分が噛み付いた喉の傷だけが、くっきりと鮮やかに浮き立っている気がして目を逸らす。
このまま放っておけば、それこそ彼は炎の中に身を投げるのではないか、と思った。
「報告来たら明日朝イチでかえんぞ」
「……うん」
簡単に身づくろいを済ませた彼は、燃える赤に少しでも近い位置で眠りたいのか、勢いを増した薪のそばで丸くなる。あんなに火に近くてあつくないのだろうか、と、思わず汗ばみそうになるその熱さにカカロットは目を細めた。
濡れた布で身体を拭っているうちに、ターレスは体を丸めたまま眠ってしまったようで。浅い寝息を立てるその背中を見詰めて、一体彼は何をそんなに怖がっているのだろう、と。そう思ったのを覚えている。炎に揺れる影が彼の言う悪魔の獣、のように見えた。



「なぁカカ」
炎がすっかり消え失せ、煙がくすぶるだけの薪を踏み消しながら惑星と通信を終えたターレスが呟いた。カカ、と自分を呼ぶその声は、確かに同じタイプなのだから自分や父と似ているのだけれど、少しけだるげに甘い所が好きだった。
普段はもっと斜に構えたように挑発的なのに、自分や兄を呼ぶときは無防備に幼くなるところも。
「なぁに、兄ちゃん」
この惑星の目的は地下に山と埋もれた鉱物資源だ。惑星ごと持って帰ることなど出来るわけでもないので、フリーザ軍が資源とするためのビーコンを仕掛けてあとは帰るだけ。眠くなるようなつまらない任務だった。いくつもこなしてきた任務の中でも、きっとすぐに忘れてしまうようなものだ。と、思っていた。あんなことが起こる前は。
「俺お前の事好きだぞ」
「なっ、なんだよ急に」
「好きな奴少ないけどさ、お前の事はちゃんと好きだし、ラディのことも。あとついでにバダも」
だから、と言ったままスカウターに手をかけたターレスは、通信を遮断しているのだろうか。言葉の先を考えているのか、呟く横顔は前髪に表情が隠れて見えなかった。
「知ってるよ」
何をいまさら、と思ったが素直に頷いて先を待つ。彼は少し顔を上げて空を見た。それからカカロットを。不思議な色をした目、とそう思い続けていた眸は、その時も少し不思議な色をしてゆらゆら、揺れて。初めてそれが、黒ではなく薄く紫がかった色だったのだと気付く。開いたくちびるが、言葉を紡いで、
「―――――、―――。」
「……え?」
彼は一体何を呟いたのだろう。聞き返したその先は、再び示されることも無く彼はポッドに足を掛けている。
「ぼーっとしてんなよ、先に帰ってるぞ」
「え、あっ待ってよ、オラも帰る!」
ばたん、と音を立てて閉じたポッドはすぐに発射のために準備を始める。慌てて乗り込んで起動ボタンを押し込めば、あとはポッドにプログラムされた帰還ルートに沿って自動的に惑星につくはずだ。
『カカ、帰りだけど。俺コールドスリープかけっから』
砂ぼこりを巻き上げながら射出されるポッドは、みるみる地表から遠ざかり、惑星の重力を浴びながら宇宙へと舞い上がる。窓から覗くのは漆黒の宇宙ばかりで、振り返ることは出来ないが来るときに見た、青く美しい星を思い出して目を閉じた。水の豊富な、とても綺麗な。
くぐもった音で通信が入り、自分もコールドスリープのボタンへと手を伸ばす。長距離での移動が多い惑星派遣は、ポッド内を低温に保ち仮死状態で移動することにより身体にかかる時間を疑似的に止めることが多い。こうすることで精神と肉体にかかる負担を極限まで落とすことが出来るからだ。
「うん、オラもそうする。じゃあまた帰ったらな、お休みにいちゃん」
『ああ、おやすみ』
互いに挨拶を交わして終わった、いつもの一日だった。操作パネルに表示されたコールドスリープのタイマーを、帰還予定時間にセットすると徐々に温度が下がり出す。冷たい空気が体を満たし思考が鈍く、意識が朦朧と濁りだしていた。眠気にあがらいながら目を向けたタイマーには7月7日の文字が赤く点滅している。
7月、7日。何の日、だっけ。と、考えようとしたのもそこまでで、急に襲ってくる眠気にあらがえずに意識を手放したカカロットは、丸いポッドの中で眠りにつく。胎の中の胎児のように、身体を丸めて一人、と独り。
おやすみ、と。
それが、カカロットがターレスと交わした最後の会話になった。



そしてタイマーが示した帰還時間の7月7日。
眠りから覚め、開いたポッドから出てきたのはカカロット一人で、いつまでも開かないターレスのポッドを強制解放した発着場のスタッフが目にしたのは、有るべき主を失った空っぽのポッドだった。
「おっ、おいカカロット、ターレスは!」
青ざめてこちらを振り返る発着場のスタッフに、帰るときは確かに居たと説明する自分が、案外落ち着いていることに驚く。
シートにはまるでぶちまけたような血の痕が残っており、もしこの血液が彼の体から出たものなら、見つけられたとしてもきっと生きてはいないだろう。シートに触れると、血は色に反してひんやりしていて、それがターレスの最後に触れた肌を思わせて鳥肌が立つ。冷たいくせに、べったりとやけに粘着質で触れた感触がいつまでも残るところも。
「こういうこと、他にもあったんか」
肌に残った血の感触にぞっとしながらも口を開けば、呆けたようにぼんやりとその抜け殻を見詰めていたスタッフは我に返って頷いた。
「……あ、ああ…時々な、ポッドの中で消えちまう奴が居る。決まってサイヤ人だけなんだ。あいつら、宇宙空間じゃ生きられない筈なのに」
彼に聞くまでも無く、その話はサイヤ人ならば誰でも知っている噂だ。
時々こうして、帰還した時にポッドから忽然と消えてしまうサイヤ人が居ると。今までは事故だと思っていたのに、ターレスが消えるのを見て彼らは、自分の意志で、少なくとも自らが招いた結果として消えて行ったのではないかと思う。
悪魔の話をした彼は、一体その話を『誰から』教えてもらったのだろう。
「オラ、スカウターの追跡頼んでくる」
あわただしく発着スタッフが連絡を取り合う端で、カカロットはそう声をかけたつもりだったが彼らにはどうも届いたようには思えなかった。人一人が忽然と姿を消してしまったのだから、それどころではなかったのだということは分かるが、ターレスは多分もう帰ってこないだろうということがどうしてわからないのだろうと、慌ただしく行きかう彼らに背を向けて発着場の階段を下りていく。酒場からは聞きなれた喧騒が溢れだし、何度かすれ違いざまに肩をたたかれた。だが彼らに曖昧に笑って返しながらも、カカロットはただターレスが居なくなってしまった事実に、一人孤独を噛みしめる。
まばらに人の集まる酒場を見回し、そこに父も兄の姿も見当たらないことを確かめると思わずほっと息を吐いていた。
いつまでも隠し通せるようなことではないのは分かっているが、今すぐに言葉で説明できるかと言われれば首を振るしかない。でも、多分ターレスはもう帰ってこない。
「……ターレス、もうけぇってこねえんだ……」
そう、思ったら。つんと鼻の奥に痛みが走って、まなじりがじんわりと熱を持った。泣き出しそうになるのをぐっとこらえて、涙が溢れないように空を見上げる。それは悲しいとか寂しいとかではなくて、ただ、
(ターレスが可愛そうだ)
獣のように、ひんやりと冷たいからだをして、腰の上で泣いていたターレス。
首を噛みあうのも。あの時は本当に人としてセックスをしたというよりも、獣がじゃれあうような行為だった。思い出して手を上げれば、痕など残っていなさそうなものなのに、触れた所だけが少し熱を持っているような気がして目を閉じる。
欲しい、と。そういわれて与えた体だ。
それなのにターレスは連れて行かれてしまった。彼が子供みたいに怯えて、恐れていた何かに。きっと消えたほかのサイヤ人達もそうなのだろう。彼らは何を思って、悪魔に願いを託したのだろうか。
一体、何を願ったのだろうか。
「カカロット、何してるんだ貴様こんなところで」
ぼうっとしていたのか、かけられた声に意識を引き戻される。気配にも気づかないほど考え込んでいたのか、声の方へと顔を向けると、手を伸ばせば触れ合えそうな距離にそれは立っていた。色鮮やかな赤がふわりと流れて、手に残ったままの色と同じそれに、一瞬思考が乱れる。
「帰還したらさっさと報告に来いといつも言っ、」
声が終わる前に、伸ばした腕でその体を捕まえた。触れてから自分がまだ、ターレスと夜を過ごしてからシャワーを浴びていないことに気付いたがもう遅い。抱きしめた体はターレスよりも堅い。しっかりと密度の高い筋肉で作られた、小さくて綺麗な体。
「へへっ、ただいま」
ベジータは小さい。
そんな事を言えば雷が落ちてくるのは身を以て知っているが、その腕に収まりきる質量をカカロットは気に入っていた。体温の高いその肌を、プロテクター越しに味わっていると、離せ馬鹿者!と何にせよ落とされた雷とともに頭に鈍い衝撃が走り、緩んだ腕からベジータは逃げ出した。
日常茶飯事なのでもはや周りも気にしないような事だが、彼の雲より高いプライドはそれを許さないらしい。睨みつける目は鋭いが、その顔が茹蛸のように真っ赤になっていれば怖く等ないというもので。
「いってぇなあ、別にいいじゃねえかよぉ、減るもんじゃねえし……」
「時と場所を考えろと言っている!」
じゃあベジータの部屋ならいいんか?と聞いてみれば、彼は言葉につまって目を逸らす。そういう事じゃない、と呟く目元がまだ赤い。雌相手に興奮するのとはまた違う、隣にいるとわくわくして、触れたくて、戦いたくて、でも愛おしくなるような。そんな相反する感情を抱いて自然と唇が緩んだ。
彼の性質が、王族の気位の高さから来るものなのか単なる彼自身の性質なのかは分からないが、一旦の通過儀礼のような抵抗が済んだことを悟ると、頬へと触れた手で目元へと至る。すっかり手のひらの赤を忘れていたカカロットは、その頬にべったりと赤い痕が残ったのを見て「しまった」と慌てて手を引っ込めたがもう遅い。
「何笑って……おい、なんだこれは」
肌の違和感に気づいたベジータが怪訝そうにその手を上げてその赤を擦る。目元を赤く彩る色を見て、場違いにもぞくりと体が震えたことを悟られないように。ターレスが、と口を開いた。
「ターレスが、消えちまったんだ」
「……ターレス?……ああ、確か貴様と同じタイプの……確か雑種だったか。肌が黒い」
「ずっと、何か怖がってて、惑星出るときも、なんかおかしかったんだ。なのにオラ、何が変なのかよく分かんなくて、そんで、」
「おい落ち着け」
溢れる言葉は感情のままに口をつき、主体性を欠いてベジータを困惑させる。ぺちんと頬を叩かれて言葉を止めた。血を弄ぶように手のひらを擦り合わせていた彼は、少し考えると「後で部屋に来いと呟いて背中を向けてしまったので、それ以上言葉を掛けられずに喧騒の中に取り残される。
「部屋って…ベジータのか?」
「それ以外にどこがある。報告も含めて、貴様に話しておくことがある」
「いいじゃねえかここでも。」
「良くない事だ。……良いから来い、場合によっては、否。……後で良い。バーダックから報告があった件だ」
「とうちゃんから?聞いてねぇけど、オラ、」
お前が出かけている間だからな、とそれ以上の言葉を切ったベジータは鮮やかな赤を残して王宮の方へと飛んで行ってしまった。下級戦士が王宮をふらふらしてる方が問題だ、と以前兄に渋い顔をされたのを思い出し、いいのかなと一度首をかしげたカカロットは手のなかに残った赤を握りつぶす。
ターレスはあの時確かに、惑星を出ろと、そう言ったのではなかっただろうか。
「兄ちゃん……」
彼が何を願って姿を消したのかは分からない。だがベジータのあの深刻な顔といい、何か良くないことが起き始めているのは確かだ、と自分の中の何かが告げている。首には、もうすっかり消えてしまったあの夜の痕。もう表には残っていないかもしれないが、皮膚の下にはしっかりと刻み込まれているのだろう。
シャワーを浴びよう、と緩く首を振って意識を切り替える。
考えるのは自分の仕事ではない。自分はただ、有るべき時に望まれるまま、望むままに戦えばいい。
「ぜってぇ、助けてやっからな」
きっとターレスはどこかに居る。と、あの血を見た後にもかかわらず、自分の本能が告げていた。何かに怯えたままに姿を消してしまったターレス。でも、多分ベジータが言う話と、彼の失踪はどこかつながっているような気がしていた。
手のなかで温もった血を見詰めて、カカロットは自信のこもった顔で、力強く頷いた。

作成:2014年6月23日
最終更新:2014年6月23日
元はアンソロ用の原稿でしたが、あまりにも報われないので没に。

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