鬼の話

なにしてんの。

頭上から声が降る。
気になるのなら降りて来ればいいのにと思いながら、軒先に突き出した娑羅双樹が白い花を散らしているのを見上げた。
見事に咲いていたのに、手入れに手間の掛かる花なのだから、傷めないでほしいと、何度言っても聞いてはくれないのだけれど。

「虫下しを作っているんだよ」
「虫下し?」

声が落ちるたびに花も降って来る。
手元の薬皿に混じらないように手で覆いをかけながら薬研で挽いた花びらを蝋引きの薄紙へと乗せた。
鼻腔をくすぐるかぐわしい薫り。

「・・・うそつけ。それ栴檀じゃなくて白檀だろ。虫下しになんてなるもんか」

確かに。一般で服用される虫下しは栴檀で、しかも樹皮だ。手元にある乾燥させた白い花びらはかぐわしく、
星形の小さな呈をなしている。

「まあ普通虫下しは栴檀の表皮を乾燥させて使うからね。いい香りだろう、これ」

粉末状に砕いた花弁からは、涼やかな香が立ち上る。風に撒けば畳にも香が移るような気がした。

「夏になるだろう。蛍を飲んでしまう人たちが居るから。これから入用になるんだよ」
「・・・蛍なんて飲まないよ、」

夏、紫陽花の額が落ちるころにもなると、水辺を滑るように飛び始める小さな星たち。
うっかり吸い込んでしまえば、たちの悪い憑き物になるのは、この辺の子供でも知っている。君の山には蛍はでないのかいと頭上を仰ぐと、
少し離れた枝から、こんな里よりよっぽど綺麗だと小さな人影が落ちてくる。

「ケガをするよアキ。」
「うるさい。蛍なんかな、山の中、星みたいにたくさんだぞ。こっちじゃ天の川にもならないじゃないか」

朱色の着物を鮮やかな梔子で染めた帯ではしょり上げ、泥で汚れた手足はずいぶん高い枝から落ちてきたのにも関わらず、鞠のように柔軟にはねて衝撃を吸収する。
草履も履かず、けれど柔らかそうな足の裏は少しも傷付いた様子はなさそうだった。

「この間も玻璃を踏み抜いて泣いてたじゃないか。草履ぐらい履きなさい」

まだ青々と茂った紫陽花の大きな株。初夏の日差しを思う様浴びて、それでも染み一つない烏羽玉と白い横顔。朱引きの大きな瞳が好奇心に輝いてくるくると表情を変えている。
ほこりっぽい庭に撒いた水を飲んで、黒く湿った地面を踏みしめ踏みしめ、こちらに近づいてくるものの、決して手の届く場所へはこようとはしない。

「やだよ。窮屈。・・・で、なんなの蛍の虫下しって」

庭先にひっくり返した桶に腰をかけると、井戸で汲んだ水を張った盥へ足を遊ばせながらアキ。

「山の子なのに知らないのかい。人里だけなのかな。8月になると蛍が飛ぶだろう」
「・・・飛ぶよ」
「あれはね、半分くらいは蛍魂っていって人の魂が結晶化したものなんだよ。盆になると、夏の間だけこちらに留まるために戻ってくるのさ。」

うそだ、と降り注ぐ日差しに輪郭をぼやかせながらアキが鳴く。山の蛍は悪さをしないよ。そんな話聞いたことないもの。

「そりゃあね。きっと人里だけだよ。」

細かく挽いた白檀の花弁は、水と雲母と糊で練り上げて小さな錠剤に仕上げておく。

「飲むんじゃなくて焚くのさ」
「虫下しなのに焚くの?」

興味があるのか、視線だけはこちらに投げてくるものの自分から近づいてこようとはせずに、水桶に張ったしずくを跳ね上げ、庭先に点々と染みを作る。だからわざわざ縁側にまで出て薬を挽いているのに。本当は日光に触れれば薫りが飛んでしまうから、障子を立てて作業をしたいのだけれど。と、離れた場所から興味津々にこちらの手元を覗き込む子供(少なくとも見た目は子供のようにしか見えない。『オマエなんかずっとずっと年下なんだぞ!』昔そんなことも言われた気がする)を見やる。こちらが視線を向けると、急に興味がないのだというフリさえ、もう気づかないで置かないと、たちまち機嫌を崩すのは目に見えていた。
室内で作業をすれば、癇癪を起こして2,3日姿を見せないなんてことだって当たり前だ。
何より大事にしている樹も傷つけられかねない。一度、何かの拍子に怒らせてしまい、庭の飛び石を雷で叩き割られたことを思い出した。

「いい香りだよ。蛍魂は白檀が好きだからね。こうやって炊き上げれば煙と一緒に体から抜けて空へ帰るのさ。香に鉱石を混ぜれば煙も楽しめるし、祭でも使うからね。今年の盆祭りはつれてってあげようか。灯篭流しがね、綺麗なんだよ」

里を2つ隔てて流れる川に、毎年2つの村で合同の夏祭りが行われる。夜空を掬い取ったような濃紺の水面へ浮かべる灯篭と、舞飛ぶ蛍はさながら天の川のようにきらびやかだ。
一年のうちのほんの数日。生者を悼んで舞い戻る魂たち。
葬式も盆祭りも、死者のためではなく、残されたものが痛みを振り切るための儀式だ。と思う。まだ幼いころの記憶、そんな気持ち、もうとっくに掠れて遠くに消えてしまっていても、やはりこの時期だけは母の背中に負われた遠い日の思い出がちらつく。父の、握った手の暖かさを思い出す。
もう、顔さえ思い出せないというのに。
薄情なものだ。

「・・・行かない」

ぽつんとつぶやかれた一言は、なんだかさびしそうで。つま先でぬれた地面を所在なげにいじっているアキの小さな膝。無意味に描かれるつま先と地面の模様に視線を落としながらも、その小さな体はきっぱりと同情も甘えも否定しているように見えた。

「あのさ、」
「人里は嫌いだよ。窮屈だしうるさいし、行きたくないっていつも言ってるだろ!馬鹿!」
「・・・ごめん」

どうして謝ってるこっちより傷ついた顔するかな。全身でこちらを否定しようとしながらも、薄い背中は赦しを求めて気配を探っているような。練り固めた香を一つ、香炉に乗せて火を焚いた。細く緩く立ち上る白い煙は練り混ぜた雲母を吸ってちらちらと銀色の星を散らす。

「じゃあ、今年はここでゆっくりしていようかな。祭りは混むしね、蛍にもかかるかもしれないし。この庭からでも灯篭流しの光は見えるんだよ」

勝手にすれば、と。幾度目かになるお決まりの文句。うつむいた頬が気持ちうれしそうに見えるのが、欲目だけではなければいいと思う。
アキ、その名前も言うなれば自分の単なる自己満足だ。アキに名前は無い。
鬼には、名前が無い。

(鬼。)

立ち上る星を抱いた煙を、赤い目が興味深そうに追っている。改めて見てみても、やっぱりタダの子供にしか見えない。細いひざも、頼りなさそうに見える背中も。
・・・君は誰、
・・・あんた、見えるの?
初めて会ったのはいつだったか。覚えているのは燃えるような茜空に染まって、髪も目も肌も紅の、庭に佇んだ小さな人影。
名前は無いのだという。人ではないからと。

「…人間だろあんた。何で見えるの、」

何を言ってるんだ、こいつは、と思った。ぽかんと大きく見開いた目、そのとき初めて緋色の瞳が光の加減でなかったことに気づき、思わず息が止まる。血のような、なんていう浅ましい形容詞などではけしてない、茜に透けて割れた石榴の粒にも似た、叩けば割れそうな、鮮やかな朱色。
綺麗だ、と。

こん。


「あいた」

ぼんやりしていると後頭部に小さな衝撃。畳みには丸々と熟れた青い梅の実が転がっている。

「何ぼんやりしてんの」

いつの間に立ち上がったのか、アキは庭の飛び石に立ってじっと静かに燃える瞳でこちらを見つめていた。梅の実。畳みに涼やかな香が移る。

「いや、ちょっと昔のことをね」

アキのことを思い出したのだと言えば、怒るだろうか、それとも恥ずかしがるのだろうか。初夏の日差しに眩しそうにもせず、まっすぐに日差しを浴びて立っている。
アキがアキに見えるのは、多分、自分のせいだというのはなんとは無しに分っていた。鬼、というのだ。
目には見えないもの。触れることの出来ないもの、海の向こうの国では、鬼は魂をさす言葉らしい。

(アキは私かな)

「なにそれ」
「えっ」
「…だから、何。昔のことって」

一瞬、考えまでをも透かし読まれたのかと思って心臓が跳ねる。白く透き通る頬、泥で汚れた小さな足と、容赦なく照りつける初夏の日差しにわずかに傾きかけた空。
遠くで雷神がごねているのか、低い鳴き声が聞こえた。

「昔のことだよ。私が子供のころのこと。…暑いだろ、水蜜糖を切ろうか。」

おいで、と手招きをすると少し考えてからぱたぱたとぬれた地面を踏みしめて小さな影が軒先に入る。アキの事はあまりよく知らない。けれど、果物が好きなこと、良く私が不在のときは庭で遊んでいること(どこからか調達したのか、小さな鞠を持っているらしい)、時々歌うこと。
・・・一度、鞠つきをしながら歌っているところを見て、酷く怒られた記憶がある。アキに、家族は居るのだろうか。
鬼という概念上、自然から生まれ出でた者なのなら、神の子という扱いになるのだろうか。などと、ぼんやりと考えながら手桶で冷やした水蜜を掬い取る。
夏の日差しにうれしく、ひんやりとした井戸水は水蜜の甘い薫りを存分に吸い込んでかぐわしく肌を滑る。切子の飾りを入れた瑠璃の器へ注ぎいれればアキは喜んで飲むだろう。
やさしい天鵞絨で包まれた薄い皮を丁寧にむくと、真っ白な果肉とともに家中が甘い香りであふれた。

「食べる?」

小刀で数切れこそげ取った果肉を差し出すと、すいと近づいてきた唇の中へすぐに消える。普段は近づいてもくれないくせに。少し恨めしい気持ちで手の中で瑞々しく雫を光らせる小さな果実をもてあそぶ。灰青の薄い刃は抵抗も無く白い果肉を切り分け、膝に広げた手ぬぐいにてんてんと染みを残す。
初夏の風に煽られて部屋中に花が撒き散らされたようだった。

「もっと」

欲しいのだと袖を引くしぐさも小憎らしい。ひな鳥に餌付けしているようだ、と数切れ含ませると満足したらしい。指先と唇に付いた雫を音を立てて吸い込みながらもういい、と一言。残されたのは芯に程近い酸味の多い部分で、ナイフを使うまでも無く行儀悪く直接口をつけて食べた。
少し汗ばんだ額を柔らかく風が撫でていく。りん、と小さくなった鈴の音に顔を上げた。

「アキ?」

手桶と水蜜糖の種を乗せた盆を携えて振り返る。縁側に落ちた小さな白い鈴と足跡。
アキの姿は無い。
残っていたのは初夏の静かな風だけだった。

作成:2011年5月05日
最終更新:2014年4月13日
オリジナルでシリーズが書きたいなぁ…と思って昔書いた鬼の子の話。
モチーフは友人のオリジナルキャラより拝借。
続きが書けたらいいな。

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